
海神社/北海道寿都町(Kai Jinja,Suttu Hokkaido Japan)
2014年7月13日(日)、寿都町字磯谷町にある海神社に参拝。国道229号沿いの中規模の神社。左側に磯谷小学校の門跡と二宮金次郎の像、右側に磯谷会館、JP磯谷局がある。赤い鳥居、アスファルトの参道。錆びたイカリ、国土地理院「水準点」。大きな忠魂碑、正八位「藤田常作君」紀念碑。水の無い手水石、社務所無し。数段の石段がありちょっと高くなり社殿がある。
獅子狛犬は3対居た。
1対目は、赤鳥居の後ろ灯篭の上に居た。とても珍しい。すっかり風化していて顔は崩れ四肢は無い。阿吽についても定かではない。もちろん奉納年も不明。
2対目は、社殿前に居た。
風化が進んでいるが、阿吽は正常、四肢・尾もある。顔の表情は不明。奉納年も不明。
3対目は、社殿前に居た。
阿吽正常。岡崎型だ。阿像は左足で玉を、吽像は右足で子獅子を守っている。奉納年は平成18年9月(2006年)。
-------------------ネットによると-----------------------------------------------
☆所在地
〒048-1300 磯谷郡寿都町字磯谷町能津登1番地
☆祭神
・豊玉彦命(とよたまひこのみこと)
・豊玉比賣命(とよたまひめのみこと)
・倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
☆由緒
社伝によると文化4年(1807)のある日、漁師が尻別川で漂流の木像2体を拾い揚げてみると1体の背に「いそやのたけ寛文六年丙午八月十一日初登浦山圓空」とあり、もう1体の背には「らいねんの山」とあり、2体あわせて能津登岬の洞窟内に奉斎した。その後、地元住民の豊漁祈願のため協議の結果天保2年社殿を建立し奉遷する。爾来海神と称して奉祀してきた。明治9年10月村社に列せられる。同22年1月18日能津登村稲荷神社の合祀が許可される。明治33年2月8日社殿の改築を出願し、同年3月16日許可を得て5月18日に竣功する。
☆町名の由来
アイヌ語の地名「スッツ」に由来する。永田方正『北海道蝦夷語地名解』によると、語源はシュプキペッ(Syupki-pet)で「矢柄に用いる茅のある川」の意であるという。なお同書によれば、アイヌ語の「シュフ」に由来し「葦や荻が多い岩崎」の意とする説もあるとされるが、永田はこれを否定している。
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2014年7月13日(日)、寿都町字磯谷町にある海神社に参拝。国道229号沿いの中規模の神社。左側に磯谷小学校の門跡と二宮金次郎の像、右側に磯谷会館、JP磯谷局がある。赤い鳥居、アスファルトの参道。錆びたイカリ、国土地理院「水準点」。大きな忠魂碑、正八位「藤田常作君」紀念碑。水の無い手水石、社務所無し。数段の石段がありちょっと高くなり社殿がある。
獅子狛犬は3対居た。
1対目は、赤鳥居の後ろ灯篭の上に居た。とても珍しい。すっかり風化していて顔は崩れ四肢は無い。阿吽についても定かではない。もちろん奉納年も不明。
2対目は、社殿前に居た。
風化が進んでいるが、阿吽は正常、四肢・尾もある。顔の表情は不明。奉納年も不明。
3対目は、社殿前に居た。
阿吽正常。岡崎型だ。阿像は左足で玉を、吽像は右足で子獅子を守っている。奉納年は平成18年9月(2006年)。
-------------------ネットによると-----------------------------------------------
☆所在地
〒048-1300 磯谷郡寿都町字磯谷町能津登1番地
☆祭神
・豊玉彦命(とよたまひこのみこと)
・豊玉比賣命(とよたまひめのみこと)
・倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
☆由緒
社伝によると文化4年(1807)のある日、漁師が尻別川で漂流の木像2体を拾い揚げてみると1体の背に「いそやのたけ寛文六年丙午八月十一日初登浦山圓空」とあり、もう1体の背には「らいねんの山」とあり、2体あわせて能津登岬の洞窟内に奉斎した。その後、地元住民の豊漁祈願のため協議の結果天保2年社殿を建立し奉遷する。爾来海神と称して奉祀してきた。明治9年10月村社に列せられる。同22年1月18日能津登村稲荷神社の合祀が許可される。明治33年2月8日社殿の改築を出願し、同年3月16日許可を得て5月18日に竣功する。
☆町名の由来
アイヌ語の地名「スッツ」に由来する。永田方正『北海道蝦夷語地名解』によると、語源はシュプキペッ(Syupki-pet)で「矢柄に用いる茅のある川」の意であるという。なお同書によれば、アイヌ語の「シュフ」に由来し「葦や荻が多い岩崎」の意とする説もあるとされるが、永田はこれを否定している。
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