
三石神社/北海道新ひだか町(Mitsuishi Jinja,Hokkaido Japan)
2014年4月26日(土)、新ひだか町三石本町にある三石神社を参拝。ウグイス鳴く丘の中腹にある大きな神社。すぐ前をJR日高本線が走る。近くに青葉保育園がある。銅製の鳥居をくぐり広場があり、演舞場が建っている。石段を登り左側に社務所、宮司さんの車が駐車していて普通の住宅のような佇まいだ。更に石段が社殿まで続く。石段の手前に軽自動車が駐車している奥に手水舎あり。社殿の左側に忠魂碑あり。
獅子狛犬は2対居た。
1対目は、手水舎のある石段の両脇に居た。阿吽正常。顔は台形で乱杭歯、垂れ耳で個性的だ。阿像は左足で玉を守っている。奉納年は、昭和3年8月(1928年)
2対目は、社殿の前に居た。阿吽正常。岡崎型だ。奉納年は、大東亜戦争出征記念昭和17年10月(1942年)。
-------------------ネットによると-----------------------------------------------
☆所在地
〒059-3108 日高郡新ひだか町三石本町302番地
☆祭神
・保食神(うけもちのかみ)
・市杵島比賣神(いちきしまひめのかみ)
・事代主神(ことしろぬしのかみ)
・綿津見神(わだつみのかみ)
☆由緒
当町開拓者小林家の祖栖原屋半次郎(小林屋半次郎)が姨布の地に創立し、2代、3代の重吉が再造営した辨天社も明治8年に至り神社制度の改革に伴う取調べの節、社格未定につき郷社に列せられ、社名を稲荷神社と称した。明治33年12月27日、境内も狭隘となり、社殿も腐朽したので三石郡姨布村越樋壱番地(現在の本町245番地)に移転改築を願い出て明治34年10月17日建坪15坪6合5勺の社殿を建立して遷座祭を執行したが許可証が交付されないので、明治36年7月30日再度出願し、同年12月23日に落成届を提出し、ここに鎮座されることとなった。その後、昭和17年10月現在境内地(本町302番地)に遷座し、その後、昭和56年の裏山崩壊により社殿が倒壊し、昭和60年10月に社殿を改築し現在に至る。
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2014年4月26日(土)、新ひだか町三石本町にある三石神社を参拝。ウグイス鳴く丘の中腹にある大きな神社。すぐ前をJR日高本線が走る。近くに青葉保育園がある。銅製の鳥居をくぐり広場があり、演舞場が建っている。石段を登り左側に社務所、宮司さんの車が駐車していて普通の住宅のような佇まいだ。更に石段が社殿まで続く。石段の手前に軽自動車が駐車している奥に手水舎あり。社殿の左側に忠魂碑あり。
獅子狛犬は2対居た。
1対目は、手水舎のある石段の両脇に居た。阿吽正常。顔は台形で乱杭歯、垂れ耳で個性的だ。阿像は左足で玉を守っている。奉納年は、昭和3年8月(1928年)
2対目は、社殿の前に居た。阿吽正常。岡崎型だ。奉納年は、大東亜戦争出征記念昭和17年10月(1942年)。
-------------------ネットによると-----------------------------------------------
☆所在地
〒059-3108 日高郡新ひだか町三石本町302番地
☆祭神
・保食神(うけもちのかみ)
・市杵島比賣神(いちきしまひめのかみ)
・事代主神(ことしろぬしのかみ)
・綿津見神(わだつみのかみ)
☆由緒
当町開拓者小林家の祖栖原屋半次郎(小林屋半次郎)が姨布の地に創立し、2代、3代の重吉が再造営した辨天社も明治8年に至り神社制度の改革に伴う取調べの節、社格未定につき郷社に列せられ、社名を稲荷神社と称した。明治33年12月27日、境内も狭隘となり、社殿も腐朽したので三石郡姨布村越樋壱番地(現在の本町245番地)に移転改築を願い出て明治34年10月17日建坪15坪6合5勺の社殿を建立して遷座祭を執行したが許可証が交付されないので、明治36年7月30日再度出願し、同年12月23日に落成届を提出し、ここに鎮座されることとなった。その後、昭和17年10月現在境内地(本町302番地)に遷座し、その後、昭和56年の裏山崩壊により社殿が倒壊し、昭和60年10月に社殿を改築し現在に至る。
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