神社と狛犬見て歩き

主に北海道の神社巡り。最近全国の一宮巡りを始めた。

十勝神社/北海道広尾町(Tokachi Jinja,Hiroo Hokkaido Japan)

2015年06月06日 | 神社と狛犬
十勝神社/北海道広尾町(Tokachi Jinja,Hiroo Hokkaido Japan)
2015年5月30日(土)、広尾町茂寄(もより)にある十勝神社(とかちじんじゃ)に参拝。丸山公園に隣接した大きな神社。焦げ茶色の第1鳥居、砂利参道。右に「東蝦新道記・彫字版」の看板、左に定の看板。境界にはオンコ(イチイ)の老木の生垣。鳥居をくぐり右に遊具と土俵あり。その奥に殉公碑あり。境内はエゾマツ、トドマツ、サクラ、モミジなどの巨木の林。参道両脇は桜老木並木。ヒロオツツジ咲く。参道を行くと焦げ茶色の第2鳥居、左奥の方に十勝神社会館、社務所、歌碑が2基、干場定五郎翁の頌徳碑、資材庫あり。鳥居をくぐるとひし形に設置したコンクリート板参道。更に行くと石段が始まる。左に手水舎。石段を登り奥に赤屋根の社殿あり。右に御札授与所、左に神輿庫あり。ウグイス鳴く。75歳のお婆さんが杖を横において石段を往復している。話を聞くと35段の石段を5往復して足を鍛えているという。素晴らしい。
獅子狛犬は2対居た。
1対目は石段の手前にいた。阿吽は正。頭でっかちのガッチリ体型。耳は水平、タテガミは豊かで顔の両側で大きなウズを巻いている、尾は太く短い。奉納年は大正7年7月(1918年)。
2対目は社殿前に1対居た。阿吽は正。くっきりしたスジが流れるように彫りこまれたガッチリ体型。耳は水平、阿像の長い舌が上の歯に着いている、タテガミは豊かでウズを巻いてスジとなり流れ、尾はウズを巻いて5つのフサとなる。奉納年は不明。
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☆所在地
 〒089-2637 広尾郡広尾町茂寄1番地13
☆祭神
・大綿津見神(おおわたつみのかみ)
・保食神(うけもちのかみ)
・塩土老翁神(しおつちのおぢのかみ)
☆由緒
 寛文6年(1666)6月福山藩主武田廣林の十勝国警衛の祈願社として領主蠣崎蔵人が創祀し、当時より刀勝大明神と称えて鎮祭していた。その後シマウス海岸に漂着した流木が龍神の形のようだったところから神体として祀るようになった。爾来漁業が豊かになり地方の崇敬は益々厚くなり、この流木に彫刻を加えて木像とした。その年月日は不詳であるが丈4寸余りの小像で聖徳太子に似ていたと伝えられる。寛政10年(1799)11月には近藤重蔵がエトロフよりの帰路、広尾・様似間の新道開発の記を献額している。明治7年開拓使社寺係取調の際広尾出張所派出14等出仕酒井忠郎が調査上申の末、同8年12月社寺係の通達により仏像及び仏具は悉く退け、同時に祭神を大海津見神と称号することとし、明治9年3月郷社に列せられる。同16年社殿の損壊に伴い改築及び鹽竈神社・稲荷神社の合祀を出願し許可される。同22年6月30日社殿が落成し、大正4年9月神饌幣帛料供進神社に指定される。大正5年5月移転改築が許可され同7年12月現在地に改築竣工し奉遷した。昭和20年県社に列せられ、昭和21年宗教法人となる。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
稲荷神社 保食神 天保6年3月16日創祀 明治21年5月合祀・鹽竈神社 塩土老翁神 安政7年2月創祀 明治21年5月合祀
☆地名の由来
・広尾町:アイヌ語の「ピルイ」が語源といわれ、「ピ」は石が転がる、「ルイ」は砥石(といし)がとれる地という意で、この言葉が変化し、「ピロー」、「ビロウ」などと呼ばれた。
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