
宗谷厳島神社/北海道稚内市(Soya Itsukushima Jinja,Wakkanai,Hokkaido Japan)
2016年7月11日(月)、稚内市宗谷村にある宗谷厳島神社(そうやいつくしまじんじゃ)に参拝。宗谷公園の中にある中くらいの神社。砂利参道、白い第1鳥居。すぐ白い第2鳥居。左に由緒板。参道をゆく。左に手水舎。ウグイス鳴く。奥に赤屋根の社殿。社殿左に、資材庫、四隅に柱のある土俵、綺麗な砂だ。社殿右に、東屋。公園が続く。更に、忠魂碑、中千島方面慰霊碑、津軽藩兵諸合記念碑、会津藩北方警備二百周年記念植樹、会津藩士の墓、史跡宗谷護国寺跡。小さな蓮池あり。
獅子狛犬は第2鳥居前に居た。阿吽像の配置は正常。風化が進み顔の細部は崩れている。縦長のスラリとした体型。タレ耳、タテガミは崩れ、小さな尾は直立。奉納年は大正12年(1923年)。
-------------------ネットによると-----------------------------------------------
☆所在地
〒098-6755 稚内市大字宗谷村字宗谷99番2
☆祭神
・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
☆由緒
創立年代不詳なるも天明2年の奉納物があるところから、これ以前の創建と推察される。天保3年5月宗谷場所受請人柏谷喜兵衛が社殿を修築、明治3年開拓使竹田判官が宗谷に在勤中社殿を修理し木造鳥居1基を奉献した。宗谷は古くは樺太との交通の要衝の地なるを以って、樺太に渡航するものは本社を参拝奉謝し大泊にも本社の分社があって彼我共に崇敬せられ、明治9年村社に列格、明治39年11月神饌幣帛料供進神社に指定される。
☆地名の由来
・稚内市:アイヌ語の「ヤム・ワッカ・ナイ」(冷たい飲み水の沢)から。
・宗谷村:アイヌ語の「ソー・ヤ so-ya」(岩礁の・岸)から。もとは珊内の海中にあったソウヤ岩という大岩から名付けられた。
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2016年7月11日(月)、稚内市宗谷村にある宗谷厳島神社(そうやいつくしまじんじゃ)に参拝。宗谷公園の中にある中くらいの神社。砂利参道、白い第1鳥居。すぐ白い第2鳥居。左に由緒板。参道をゆく。左に手水舎。ウグイス鳴く。奥に赤屋根の社殿。社殿左に、資材庫、四隅に柱のある土俵、綺麗な砂だ。社殿右に、東屋。公園が続く。更に、忠魂碑、中千島方面慰霊碑、津軽藩兵諸合記念碑、会津藩北方警備二百周年記念植樹、会津藩士の墓、史跡宗谷護国寺跡。小さな蓮池あり。
獅子狛犬は第2鳥居前に居た。阿吽像の配置は正常。風化が進み顔の細部は崩れている。縦長のスラリとした体型。タレ耳、タテガミは崩れ、小さな尾は直立。奉納年は大正12年(1923年)。
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☆所在地
〒098-6755 稚内市大字宗谷村字宗谷99番2
☆祭神
・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
☆由緒
創立年代不詳なるも天明2年の奉納物があるところから、これ以前の創建と推察される。天保3年5月宗谷場所受請人柏谷喜兵衛が社殿を修築、明治3年開拓使竹田判官が宗谷に在勤中社殿を修理し木造鳥居1基を奉献した。宗谷は古くは樺太との交通の要衝の地なるを以って、樺太に渡航するものは本社を参拝奉謝し大泊にも本社の分社があって彼我共に崇敬せられ、明治9年村社に列格、明治39年11月神饌幣帛料供進神社に指定される。
☆地名の由来
・稚内市:アイヌ語の「ヤム・ワッカ・ナイ」(冷たい飲み水の沢)から。
・宗谷村:アイヌ語の「ソー・ヤ so-ya」(岩礁の・岸)から。もとは珊内の海中にあったソウヤ岩という大岩から名付けられた。
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