
太田神社/北海道せたな町(Ota Jinja,Setana Hokkaido Japan)
2014年7月15日(火)、せたな町大成区太田にある太田神社拝殿を訪問。本殿は標高485mの太田山頂上の洞窟内にあり、急斜面の石段を登りさらに断崖を鉄鎖でよじ登らないと行けないので止めた。拝殿は、道道740号沿い帆越山トンネル北出口のすぐ海側にあり海岸に突き出たような配置だ。円空作木彫りの仏像や狛犬などが展示してある小屋がある。道路を歩き奥に白い鳥居がある。鳥居の左側には社務所兼資材庫もちろん宮司さんはいない。鳥居をくぐるとすぐ拝殿、狭い境内。歌碑、由緒看板あり。平成14年(2002年)で創紀550年とある。創紀は1452年、室町時代だ。
獅子狛犬は2対居た。
1対目は、展示室に居た。円空上人作木製狛犬(岐阜県洞戸村高賀神社所蔵)のレプリカ。円空上人が作った中で最大の狛犬。阿吽は正常。大胆な彫り、タテガミが逆立ち鋭い眼をしている。阿像は口を開かず牙をむき出している。平成17年2月7日(2005年)洞戸村より寄贈。
2対目は拝殿前に1対居た。岡崎型だ。阿吽は正常。奉納年は平成14年6月23日(2002年)。
-------------------ネットによると-----------------------------------------------
☆所在地
〒043-0501 久遠郡せたな町大成区太田17番地
☆祭神
・猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
☆由緒
嘉吉年間(1441~1443)の創建と伝えられる。享徳3年(1454)若狭国から渡米した武田信廣公が太田に上陸した際に太田権現の尊号を贈る。宝永元年(1704)越前国正光寺の僧空念が太田山に参詣し観音経を奉納、文政元年(1818)洞窟内に小祠が建立され銅製の不動明王ほか2神が奉斎された。更に文政10年にはある僧が太田に来村し大和国吉野蔵王権現の事跡を写して銅製の不動尊像を併せて祀り太田権現として小祠を建立している。天保12年(1841)太田山に大日堂が建立され、嘉永元年(1848)頃には山僧宗倹(定山法印)が別当として居住する慶応3年(1871)太田山麓に拝殿が造営され大日如来が安置される。明治5年に太田権現の仏像仏具を廃し太田神社と改称し猿田彦大神を祀る。明治9年には村社に列せられる。明治27年、拝殿を改築し拝殿前面に社務所を新築する。これまでに崇敬者により写経や仏像などが多数寄進されていたが、大正11年、洞窟内に参籠していた修験者の失火が原因で本殿が焼失、この時貴重な資料や円空仏も灰燼に帰してしまった。翌12年本殿階段を修繕するが、大正14年、大時化《しけ》のため階段が破損流失する。昭和12年本殿の階段の修繕、大鳥居の建替えが行われる。同38年開発道路工事のため拝殿と社務所を新たに造営、50年には女人遙拝堂を、翌年には本殿を改築している。
☆日本有数の危険な参道「太田神社」(おおたじんじゃ)
本殿は、断崖絶壁にそびえる標高485mの太田山頂上の洞窟内にあるため、参拝者は、まず、139段もの急斜面の階段を登り、さらに、ロープを頼りに狭い道幅の参道を進みます。最後は、ほぼ垂直の崖から吊り下がっている鉄の鎖にしがみつき、よじ登ってようやく本殿へ。道南五大霊場に相応しい山岳霊場です。
☆道内最古の灯台「定燈籠」(じょうとうろう)
太田神社拝殿のすぐ横にある灯台は、1857年(安政4年)に建設された道内最古の灯台。昔から「じょうとうの崎」と呼ばれていた地名の由来を調べるため、地元の高校教諭が古文書を調べ、台座や本体の破片を発見しました。台座の岩に刻まれた碑文から、安芸の国の行者、政四良が奉納したと推測できます。夜に淡くともる灯りが幻想的です。
---------------------------------------------------------------------------------


































2014年7月15日(火)、せたな町大成区太田にある太田神社拝殿を訪問。本殿は標高485mの太田山頂上の洞窟内にあり、急斜面の石段を登りさらに断崖を鉄鎖でよじ登らないと行けないので止めた。拝殿は、道道740号沿い帆越山トンネル北出口のすぐ海側にあり海岸に突き出たような配置だ。円空作木彫りの仏像や狛犬などが展示してある小屋がある。道路を歩き奥に白い鳥居がある。鳥居の左側には社務所兼資材庫もちろん宮司さんはいない。鳥居をくぐるとすぐ拝殿、狭い境内。歌碑、由緒看板あり。平成14年(2002年)で創紀550年とある。創紀は1452年、室町時代だ。
獅子狛犬は2対居た。
1対目は、展示室に居た。円空上人作木製狛犬(岐阜県洞戸村高賀神社所蔵)のレプリカ。円空上人が作った中で最大の狛犬。阿吽は正常。大胆な彫り、タテガミが逆立ち鋭い眼をしている。阿像は口を開かず牙をむき出している。平成17年2月7日(2005年)洞戸村より寄贈。
2対目は拝殿前に1対居た。岡崎型だ。阿吽は正常。奉納年は平成14年6月23日(2002年)。
-------------------ネットによると-----------------------------------------------
☆所在地
〒043-0501 久遠郡せたな町大成区太田17番地
☆祭神
・猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
☆由緒
嘉吉年間(1441~1443)の創建と伝えられる。享徳3年(1454)若狭国から渡米した武田信廣公が太田に上陸した際に太田権現の尊号を贈る。宝永元年(1704)越前国正光寺の僧空念が太田山に参詣し観音経を奉納、文政元年(1818)洞窟内に小祠が建立され銅製の不動明王ほか2神が奉斎された。更に文政10年にはある僧が太田に来村し大和国吉野蔵王権現の事跡を写して銅製の不動尊像を併せて祀り太田権現として小祠を建立している。天保12年(1841)太田山に大日堂が建立され、嘉永元年(1848)頃には山僧宗倹(定山法印)が別当として居住する慶応3年(1871)太田山麓に拝殿が造営され大日如来が安置される。明治5年に太田権現の仏像仏具を廃し太田神社と改称し猿田彦大神を祀る。明治9年には村社に列せられる。明治27年、拝殿を改築し拝殿前面に社務所を新築する。これまでに崇敬者により写経や仏像などが多数寄進されていたが、大正11年、洞窟内に参籠していた修験者の失火が原因で本殿が焼失、この時貴重な資料や円空仏も灰燼に帰してしまった。翌12年本殿階段を修繕するが、大正14年、大時化《しけ》のため階段が破損流失する。昭和12年本殿の階段の修繕、大鳥居の建替えが行われる。同38年開発道路工事のため拝殿と社務所を新たに造営、50年には女人遙拝堂を、翌年には本殿を改築している。
☆日本有数の危険な参道「太田神社」(おおたじんじゃ)
本殿は、断崖絶壁にそびえる標高485mの太田山頂上の洞窟内にあるため、参拝者は、まず、139段もの急斜面の階段を登り、さらに、ロープを頼りに狭い道幅の参道を進みます。最後は、ほぼ垂直の崖から吊り下がっている鉄の鎖にしがみつき、よじ登ってようやく本殿へ。道南五大霊場に相応しい山岳霊場です。
☆道内最古の灯台「定燈籠」(じょうとうろう)
太田神社拝殿のすぐ横にある灯台は、1857年(安政4年)に建設された道内最古の灯台。昔から「じょうとうの崎」と呼ばれていた地名の由来を調べるため、地元の高校教諭が古文書を調べ、台座や本体の破片を発見しました。台座の岩に刻まれた碑文から、安芸の国の行者、政四良が奉納したと推測できます。夜に淡くともる灯りが幻想的です。
---------------------------------------------------------------------------------








































