
橘樹神社/千葉県茂原市(Tachibana Jinja,Mobara-shi,Chiba,Japan)
2017年6月14日(水)、茂原市本納にある橘樹神社(たちばなじんじゃ)に参拝。日本武尊(やまとたけるのみこと)の后である弟橘媛(おとたちばなひめ)を祀っている古い神社。市街地にある大きな神社。交差点に白い大きな第1鳥居、砂利参道。続いて白い鳥居が3基。境内はサクラ、イチョウ、マツ、高野マキ、スギなどの巨木の森。参道をゆく。右に芳名碑、左にも芳名碑。小さな橋を渡り、第4鳥居をくぐる。茂原市指定天然記念物「本納橘樹神社社叢」、市指定遺跡「宮ノ下遺跡」、県指定有形文化財の看板あり。右に焦げ茶色屋根の納札所、絵馬掛け。左に青緑屋根の手水舎。参道はやや左に曲がる。右に社務所、左に石碑、騎馬武者の像、御神籤掛け、泥上げ工事中の水がない池、奥に小社、さらに青屋根の小社。参道に戻り、正面に焦げ茶色屋根の素朴な社殿。社殿右に神輿庫、左に古い手水舎、弟橘比売命御陵碑、3社の小社(窟土神社、子安神社、稲荷神社)、ちょっと離れて石碑。ビワが実を付けている。
獅子狛犬は社殿前に3対並んで居た。
1対目は社殿から遠い所に居た。
阿吽像の配置は正常。ゴロンとした丸い体型。タレ耳、薄いタテガミはウズヲ巻き下に流れ、尾の毛は2つに分かれて足元に流れる。奉納年は不明。
2対目は社殿のすぐ前に居た。
阿吽像の配置は正常。ガッシリとした下半身の太い体型。四角い顔、耳は水平、薄いタテガミはさらりと下に流れ、筋のような尾は背中に張り付く。阿像は子獅子が前足にじゃれていて、吽像は玉を前足で守る。奉納年は不明。
3対目は社殿の石段の上に居た。
阿吽像の配置は正常。丸くてドッシリとした体型。薄赤の石で作られている。阿像は頭部が半分壊れ、吽像は頭部に角がある。。タレ耳、タテガミがウズヲ巻き流れ、大きな尾は直立。奉納年は不明。
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------------ネットによると-----------
☆所在地
〒299-4114 千葉県茂原市本納738
terl:0475-34-2400
☆祭神
〇主祭神
・弟橘比売命 (おとたちばなひめのみこと)
〇相殿神
・日本武尊 (やまとたけるのみこと) - 弟橘比売命の夫。
・忍山宿禰 (おしやまのすくね) - 弟橘比売命の父。
☆由緒
当社は延喜式神名帳に上總國五座 長柄郡一座小 橘神社と記され、国幣小社に列し、畏くも景行天皇勅願の官社なり。
人皇第十二代景行天皇四十年冬十月、日本武尊勅を奉じて東夷御征討の際、妃弟橘比賣命海上より夫尊に代わって忠死せるを哀しみ、海辺に漂着したる媛の御遺物たる御櫛を以て御墓を作らせ納め置き、御手づから墓標の代わりに橘の樹二株を植ゑ、祠宇を創立し給ひしが、其の後 天皇東幸の節、日本武尊と忍山宿禰とを相殿神として合祭せしめ給う。
故に当社の御祭神は已に由緒に記載せし如く、皇室の御系に拘らせ給ふを以て、殊に崇祀して尊厳と威徳とを欠かさらむ事を務め、社殿の修繕・境内の風致一つとして注意を怠る如き事なし。然れども維新後時勢の変遷と共に自然古来の典式行はれざる所あり。今縁起其の他の古文書等を按ずるに、往昔大社にして豊禮の盛んなる事明瞭なり。
明治六年五月三十日縣社に列せられ、後に縣令自ら官幣を奉り、祭典を執行せられたりき。後三年を経て、則ち明治九年六月二十八日、弟橘比賣命の御墓は古来の遺蹟に付、煙減せざる様保存すべき事、内務省達の御主意、千葉縣令柴原和より伝達せらる。(頒布のリーフレットより)
☆地名の由来
・茂原市:平安時代に藤原黒麻呂によって拓かれた荘園(藻原荘)に由来しているとされ、字の通り湿地が多く「藻原」が、江戸時代に現在の「茂原」という文字に変わったと言われている。
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2017年6月14日(水)、茂原市本納にある橘樹神社(たちばなじんじゃ)に参拝。日本武尊(やまとたけるのみこと)の后である弟橘媛(おとたちばなひめ)を祀っている古い神社。市街地にある大きな神社。交差点に白い大きな第1鳥居、砂利参道。続いて白い鳥居が3基。境内はサクラ、イチョウ、マツ、高野マキ、スギなどの巨木の森。参道をゆく。右に芳名碑、左にも芳名碑。小さな橋を渡り、第4鳥居をくぐる。茂原市指定天然記念物「本納橘樹神社社叢」、市指定遺跡「宮ノ下遺跡」、県指定有形文化財の看板あり。右に焦げ茶色屋根の納札所、絵馬掛け。左に青緑屋根の手水舎。参道はやや左に曲がる。右に社務所、左に石碑、騎馬武者の像、御神籤掛け、泥上げ工事中の水がない池、奥に小社、さらに青屋根の小社。参道に戻り、正面に焦げ茶色屋根の素朴な社殿。社殿右に神輿庫、左に古い手水舎、弟橘比売命御陵碑、3社の小社(窟土神社、子安神社、稲荷神社)、ちょっと離れて石碑。ビワが実を付けている。
獅子狛犬は社殿前に3対並んで居た。
1対目は社殿から遠い所に居た。
阿吽像の配置は正常。ゴロンとした丸い体型。タレ耳、薄いタテガミはウズヲ巻き下に流れ、尾の毛は2つに分かれて足元に流れる。奉納年は不明。
2対目は社殿のすぐ前に居た。
阿吽像の配置は正常。ガッシリとした下半身の太い体型。四角い顔、耳は水平、薄いタテガミはさらりと下に流れ、筋のような尾は背中に張り付く。阿像は子獅子が前足にじゃれていて、吽像は玉を前足で守る。奉納年は不明。
3対目は社殿の石段の上に居た。
阿吽像の配置は正常。丸くてドッシリとした体型。薄赤の石で作られている。阿像は頭部が半分壊れ、吽像は頭部に角がある。。タレ耳、タテガミがウズヲ巻き流れ、大きな尾は直立。奉納年は不明。
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☆所在地
〒299-4114 千葉県茂原市本納738
terl:0475-34-2400
☆祭神
〇主祭神
・弟橘比売命 (おとたちばなひめのみこと)
〇相殿神
・日本武尊 (やまとたけるのみこと) - 弟橘比売命の夫。
・忍山宿禰 (おしやまのすくね) - 弟橘比売命の父。
☆由緒
当社は延喜式神名帳に上總國五座 長柄郡一座小 橘神社と記され、国幣小社に列し、畏くも景行天皇勅願の官社なり。
人皇第十二代景行天皇四十年冬十月、日本武尊勅を奉じて東夷御征討の際、妃弟橘比賣命海上より夫尊に代わって忠死せるを哀しみ、海辺に漂着したる媛の御遺物たる御櫛を以て御墓を作らせ納め置き、御手づから墓標の代わりに橘の樹二株を植ゑ、祠宇を創立し給ひしが、其の後 天皇東幸の節、日本武尊と忍山宿禰とを相殿神として合祭せしめ給う。
故に当社の御祭神は已に由緒に記載せし如く、皇室の御系に拘らせ給ふを以て、殊に崇祀して尊厳と威徳とを欠かさらむ事を務め、社殿の修繕・境内の風致一つとして注意を怠る如き事なし。然れども維新後時勢の変遷と共に自然古来の典式行はれざる所あり。今縁起其の他の古文書等を按ずるに、往昔大社にして豊禮の盛んなる事明瞭なり。
明治六年五月三十日縣社に列せられ、後に縣令自ら官幣を奉り、祭典を執行せられたりき。後三年を経て、則ち明治九年六月二十八日、弟橘比賣命の御墓は古来の遺蹟に付、煙減せざる様保存すべき事、内務省達の御主意、千葉縣令柴原和より伝達せらる。(頒布のリーフレットより)
☆地名の由来
・茂原市:平安時代に藤原黒麻呂によって拓かれた荘園(藻原荘)に由来しているとされ、字の通り湿地が多く「藻原」が、江戸時代に現在の「茂原」という文字に変わったと言われている。
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