
函館八幡宮/北海道函館市(Hakodate Hachimangu,Hokkaido Japan)
2013年9月13日、函館市谷地頭町にある函館八幡宮を訪問。山の上にある大きくて立派な神社。幅広く長い石段が続く。社殿は横広で優雅な造りだ。社務所も立派だ。参拝客が次々と来ていた。若いカップルの参拝も多く人気のある神社のようだ。
獅子狛犬は、社殿の前に1対居た。大きくて立派な堂々とした護国神社型。阿吽像の配置は正常。吽像の前には、神社の宣伝の立て札がガッチリ縛り付けられていて上半身しか見ることができなかった。残念。奉納年は大正11年8月(1922年)。
-------------------ネットによると-----------------------------------------------
☆所在地
〒040-0046 函館市谷地頭町2番5号 電話 0138-22-3636
☆祭神
・品陀和気命(ほんだわけのみこと)
・住吉大神(すみよしのおおかみ)
・金刀比羅大神(ことひらのおおかみ)
☆由緒
社伝によると後花園天皇文安2年(1445)亀田郡の領守河野加賀守政通が、函館に館を築いた時、その東南の隅に八幡神をお祀りしたと伝えられ、それは現在の元町、公会堂前あたりであったと言われている。永正8年河野一族蝦夷に館を陥され亀田郡赤川村に動座慶安年間巫女伊知女が赤川村より凾館元町に奉遷、寛政11年幕府は東蝦夷を直轄とし、奉行所を置くに至り、本宮はその用地なるを以て文化元年幕府の費用を以て会所町に奉遷、明治13年更に谷地頭に奉遷申し上げ現在に至っている。明治10年5月28日国幣小社に列格し、同29年10月19日国幣中社に昇格した。現在の社殿は大正4年に竣成したもので「大正式八幡造」の代表作と言われ、社殿の形式は聖帝八棟造りで、聖帝造(日吉造とも言い藤原時代の寝殿造の後方の一間を切り取った形)に、八棟造(権現造とも言い本殿と拝殿とを中殿で連結)を併せた実に森厳にして優雅である。
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2013年9月13日、函館市谷地頭町にある函館八幡宮を訪問。山の上にある大きくて立派な神社。幅広く長い石段が続く。社殿は横広で優雅な造りだ。社務所も立派だ。参拝客が次々と来ていた。若いカップルの参拝も多く人気のある神社のようだ。
獅子狛犬は、社殿の前に1対居た。大きくて立派な堂々とした護国神社型。阿吽像の配置は正常。吽像の前には、神社の宣伝の立て札がガッチリ縛り付けられていて上半身しか見ることができなかった。残念。奉納年は大正11年8月(1922年)。
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☆所在地
〒040-0046 函館市谷地頭町2番5号 電話 0138-22-3636
☆祭神
・品陀和気命(ほんだわけのみこと)
・住吉大神(すみよしのおおかみ)
・金刀比羅大神(ことひらのおおかみ)
☆由緒
社伝によると後花園天皇文安2年(1445)亀田郡の領守河野加賀守政通が、函館に館を築いた時、その東南の隅に八幡神をお祀りしたと伝えられ、それは現在の元町、公会堂前あたりであったと言われている。永正8年河野一族蝦夷に館を陥され亀田郡赤川村に動座慶安年間巫女伊知女が赤川村より凾館元町に奉遷、寛政11年幕府は東蝦夷を直轄とし、奉行所を置くに至り、本宮はその用地なるを以て文化元年幕府の費用を以て会所町に奉遷、明治13年更に谷地頭に奉遷申し上げ現在に至っている。明治10年5月28日国幣小社に列格し、同29年10月19日国幣中社に昇格した。現在の社殿は大正4年に竣成したもので「大正式八幡造」の代表作と言われ、社殿の形式は聖帝八棟造りで、聖帝造(日吉造とも言い藤原時代の寝殿造の後方の一間を切り取った形)に、八棟造(権現造とも言い本殿と拝殿とを中殿で連結)を併せた実に森厳にして優雅である。
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