中高年の「元気が出るページ」連載・寝袋の旅ふたたび

以前好評だったバックナンバーから当分の間毎日連載の予定です。著者が50代に行った西アフリカ・ニジェール川の冒険旅行です。

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中高年の「元気が出るページ」http://genkigaderu.net/

2005-02-14 20:22:00 | Weblog
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     連載『寝袋のたびふたたび』 第 3 回

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 ★ホテルのすぐそばに、地面の色と同じ赤茶けた泥のお城が聳えていた。

イスラムの礼拝の場前夜「うっかり踏み込んだら大変ー」と注意を受けたが、なるほどモスクにかわる聖なる場所であったのだ。

 偉容をしめすこの美事な建物は、イスラム教のモスク「フライディ・モスク」だという。まるで、デザインのように、等間隔で壁の外に突き出ている丸太は、椰子材でモスクの骨組みとなり、壁を補強するものであるという。これはまた、壁を塗り足す時の足場となったり、雨期には雨の雫が泥壁を滴り落ちるのを防ぐ役もしている。14世紀のマリ王朝の隆盛期に建てられたこのモスクは、何度も建て替えたり、補修されたりしながら原形を止めているそうである。

フライディ・モスクなんども建てかえられているが、元の姿とほとんど変わっていないという。

 入り口で靴を脱いで、螺旋状の泥の階段を登り屋上に上がった。赤茶色の泥の家の集落が広がる向こうにバニ川が光って見えた。かなり広い屋上には一面、3メートルくらいの間隔ですり鉢状のものが、まるで泥の帽子をかぶせたように並んでいた。その一つを手にとってみると、下は天井の明かり取りの窓になっているのだろうか、穴が開いていて下が覗けるのだった。電気がないモスクで集会がある時は、一斉にこの蓋のようになっているものが取り払われるのだろうか。下に降りてモスクの中に入ってみると、中は薄暗くて高い天井に向かい幾本もの泥の柱が立っているのが見えるだけだった。

 ジェンネの町は11世紀ごろにつくられたという。15世紀後半から16世紀にかけて、マリ王国にかわって覇権を握ったソンガイ王国が、黄金時代を謳歌した頃には、15,000人が住み活気を呈していたが、16世紀末モロッコ軍の侵入によって急速に衰微し、再び立ち上がることができなかった。現在の人口は1,500人くらいだそで、モスクの前の広場はひっそりと静まりかえり、私たちをみかけた子供たちが物珍しそうに寄ってくるだけだった。だが現在でも市場のたつ月曜日はマーケットマミーたちで溢れ、あちこちの部落から集まってくる人々で、広場一杯の賑わいを見せるという。

 モスクのまわりに広がる泥の家並みの間を歩きまわり、いろいろな角度からモスクをカメラにおさめていた森本氏は、このモスクを、
「ニジェール河畔にある泥のモスクの中での最高傑作だ」
 と嘆賞して止まなかった。


 このジェンネに魅せられて住んでいる日本人がいた。さっきから「ジャポン、ツゥ!」としきりに告げていた子供たちが、やがて私たちの前に案内してきたのは2人の日本人だった。すっかり日焼けしたモンペのようなものをはき菅笠をかぶった、ベトナム人そっくりの谷川青年と、その彼女アカネ嬢は、ジェンネの雰囲気が気に入り、もう2ヵ月も滞在しているという。この後フランスへ行く予定だといっていたが、どうしているだろうか。

 バニ川の渡し場に昨日のフェリーは見えず、少年船頭の棹さす木の船で渡ることになった。ガイドたちが川の中に膝まで漬かりながら船を押し出した時「あっ!」森本氏がよろけて川に落ちてしまった。浅瀬のため半身ぬれねずみになったくらいで済んだが、それよりもいつも首から下げているカメラが、水に漬かってしまいがっかりしておられた。

 森本氏の場合カメラバックの中には他にも3、4台のカメラがあるので、以後もそれほど支障はなかったことと思われたが、最後まで悲喜こもごものジェンネ行であった。

(この続きは、また明日)

引き続き、中高年の「元気が出るページ」においで下さい。http://genkigaderu.net/



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