トーマス・クーン解体新書

トーマス・クーン『科学革命の構造』の徹底的批判

アンダーソンのmultiply-connected seamless web(6)

2016年09月18日 | 日記・エッセイ・コラム
 クーンがSSR(初版1962年)の構想執筆に勤しんでいる頃、素粒子と思われる粒子の数がだんだん膨れ上がって「素粒子動物園(Particle Zoo)」という言葉さえ生まれるまでになりましたが、1964年、マレー・ゲルマンがクォークという基素粒子の存在を提唱してからは、素粒子の世界の整理が見通しよく進められ、1980年ごろ迄には、「標準模型(The Standard Model)」と呼ばれる切れ味優れた素粒子理論が作り上げられました。
 原子が原子核と電子から出来ていること、そして、原子核は核子(陽子と中性子)とから出来ていることは、ひと昔前から常識になっていますが、核子は本当の基礎粒子ではなく三つのクォークから出来ていて、核子を壊してクォークという基礎粒子をバラバラに取り出して観察することは出来ないことになっています。(と聞かされると、例のフロギストンを思い出す人がいるかもしれません。)
 アンドリュー・ピカリングは、1985年、『Constructing Quarks』を出版して、クォークの理論も実験も、所詮は、社会的構築物だと主張しました。ハッキングはこの著作の主張を大変重要なものとして受け止め、これをスティッキング・ポイントの#1にしました:
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STICKING POINT #1: CONTINGENCY
The boldest title in the natural science arena is Constructing Quarks. Pickering plainly meant social construction. But according to the Standard Model, quarks are the building blocks of the universe! How then could they be constructed, let alone socially constructed?
「自然科学のアリーナで最も大胆なタイトルは『クォークを構築する』である。ここでピカリングははっきりと社会的構築を意味していた。しかし、標準模型によるとクォークはこの宇宙の構成要素だ!だとすれば、クォークは人間が構築したなどということがありえようか、ましてや、社会的に構築されたなんて滅相も無い?」
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ハッキングは、科学哲学の問題として、ピカリングは何を主張しているかを詳しく説明しています。それは、本質的には、今日まで人類(物理学者たち)が構築してきた「物理学」は、人類が形成してきた社会が生み出してきたもので、今の形が必然的なものではなく、偶然的、偶発的(contingent)なものであるという主張です。今の物理学とは同じでなく違う物理学であったかもしれないということです。ハッキングは“Not logically incompatible with, just different. ((我々の今の物理学と)論理的に矛盾はなく、ただ違うだけ)”と言います。
 さて、直ちに言えることは「そんなこと当たり前だ」ということです。現在の物理学は歴史的に人間社会が生み出してきたものですから、社会の性格次第で物理学の具体的内容が異なり得ることは明白です。人間社会が核爆弾のような武器を開発製造する出費を拒む正常さを持っていたとすれば、核兵器に関する物理学は構成されなかったでしょう。超高エネルギー粒子加速装置とか超高性能望遠鏡の建設に出費を拒めば、その分野の物理学は停止してしまうでしょう。もっとはっきり言えば、現代の物理学のレベルよりはるかに低いレベルの物理学しか持たずに、結構幸福に生活する人間たちの社会があっても全く不思議ではありません。ですから、ピカリングやハッキングが問題としているのは、こうしたCONTINGENCYではないはずです。
 彼らが問題にしている偶然性は、アンダーソンのウェブに投影して考えるとはっきりします。つまり、問題はこうです:
#ゲルマンのクォークという考えに頼らずに、現在の「標準模型」と同等の機能を持った、しかし、それとは異なる素粒子理論が構築できる可能性があるか?
#議論を一般化すれば、古典力学、マクスウェル電磁気学、熱力学などの、現在のアンダーソンのウェブを構成するウェブサイト(結節点)が存在せず、それらに代わる、論理的には矛盾しないが、異なる結節点と連結線からなるウェブが構築できる可能性があるか?
この問いに対する答えは、必然的に、「可能性がないと断言することはできない」となります。しかし、これは虚ろな答えで、実際には、ほとんど意味がありません。「絶対にない」とは人間の論理では断言できません。科学哲学で大量の議論が空回りする理由です。因果律に関する、いわゆる「ヒュームの問題」の議論にもこれが付いて回ります。
 現在のアンダーソンのウェブは、勿論、歴史的産物です。それと同等の実際的機能を持った、しかし、内容的に異なる構造を持ったウェブがあり得るというのが、ハッキングのいうCONTINGENCYの主張です。contingencyの反対語はneccessity(必然性)です。現在のアンダーソンのウェブが偶発的に形成されてきたもので、必然的に結果したものではない、不可避的(inevitably)に現在の形をとったものでないと意識的に考える物理学者はごく僅かでしょう。普通の物理学者の反応は「今の知識体系に代わる代替の展開があり得るというなら、やって見せてくれ。やってみるか、でなけりゃ、お黙り」(Put up or shut up. Show us an alternative development.)だとハッキングは書きます。それを読んだ一般読者は「物理学者は断定的で傲慢だな」と思うでしょう。これはちょっと違います。人間世界の歴史とは違い、自然科学のこれまでの歴史的展開は、人口的に、意識的に、やり直しを試みることが、原則としては、可能です。「クレオパトラの鼻の高さ」は変えられるのです。しかも、現在の電磁気学、現在の力学と論理的には矛盾せず、物理的現象の数値的計算の精度も同程度で、しかも、本質的に同等でないような代替の理論体系を、作れるものならば作りたいと、野心のある物理学者ならば、必ず思うに違いありません。リチャード・ファインマンもその一人だったと言えましょう。なぜそれを強く望むか? 簡単には、それが出来れば、ノーベル賞間違いなし、ですが、それ以上に、将来に向けての新しい物理学理論の進歩の足がかりとしての価値が期待されるからです。
 現在のアンダーソンのウェブが人工的に、意図的に、作り直せそうにない、という物理学者たちの感じ方の背後には、これこそ、多くの科学哲学者が熱を上げる「実在論、反実在論」の問題が控えています。ハッキングのスティッキング・ポイントの#2のNOMINALISMの問題です。人間と独立に、自然法則というものがあり、自然についての真理というものがあると考えると、アンダーソンのmultiply-connected seamless webが、十分長い時間が経過するうちに、局所的に十分の安定性を獲得して収斂した形を示す場合には、そこでは、パース的な意味で、自然についての実在的な真理が得られたと考えて良いのではありますまいか。


藤永茂(2016年9月18日)
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