私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

白人にも黒人にも公平にする?(5)

2007-09-05 10:17:42 | 日記・エッセイ・コラム
 Robert Guest という人の『The Shackled Continent: Power, Corruption, and African Lives』(2004年)という本を買って読もうか読むまいか、迷っているところです。著者は英国の雑誌『The Economist』のアフリカ担当編集者、アフリカの現地での滞在取材経験も豊富で、朝日新聞の松本仁一氏と共通点の多い、ベテランのジャーナリストのようです。こうしたアフリカ通の人々の発言に対する異議申し立てを、アフリカの地を一度も踏んだことのない私のような素人が試みる余地はないと考える向きもあると思いますが、私は必ずしもそうではあるまいと考えます。第一の理由は、前回でナポレオン/ショウ/近衛秀麿が指摘した、「英国精神」あるいは「アングロサクソン心理」の恐るべき自己正当化の伝統です。第二は、アフリカの現地で、その現状のあまりの凄惨さを直接に見聞することが、かえって、冷静、公平な客観的立場をとることを困難にする、つまり、感情的に反応してしまうという傾向がありそうだ、ということです。
 ゲスト氏の本は2004年4月16日の出版ですが、その直前の4月3日にスコットランド最大の新聞THE SCOTSMAN に「Why is Africa the continent that keeps failing?」というタイトルで自著のかなり詳しい紹介をしています。ゲスト氏は3万ボトルのギネス・ビールを積んだトラックに便乗して、カメルーンの西海岸の港町から熱帯雨林の中にある町に向かいます。「カメルーンの人々が、ひどい道路事情とひどいたかりをやる警官たちを如何にしてしのいでいるかを見る」のがその目的。600キロほどの行程を走るのに4日もかかってしまったのは、雨が降ると泥沼のようになる道路のせいもありますが、途中47カ所もある検問所でストップを命じられて、警官があらゆる言いがかりを付けて賄賂を要求したのが、遅延の最大の理由でした。成る程これは頭に来る経験だったでしょう。ゲスト氏はここに「ガンを持っている」官僚たちとその頭目の政治家たちの腐敗のシンボル的な具体例を捉え、アフリカ大陸にいくら援助の金を注ぎ込んでも,腐敗しきった官僚や政治家がそれを懐にしてシャンペン酒や豪華車に化けてしまうと言います。
There is a theory, which is still popular, that most of Africa’s problems are the fault of western colonialism. I would be the first to agree that the colonists did many bad things. But my impression, after six years of reporting from sub-Saharan Africa for the Economist, is that the theory is wildly out of date.
また、こうも書いています:
Many economists used to believe that the only thing holding Africa back was a lack of cash. Foreign aid was supposed to solve this by giving Africans the means to invest in their industrial revolution. Development aid equivalent to six Marshal Plans has been poured into Africa in the last half-century, but it has not made Africans any less poor.
マーシャル・プランとは、第2次世界大戦後の荒廃した西ヨーロッパの復興を一挙に軌道に乗せ、推進したアメリカの援助のことです。過去50年間、その6倍の額の援助資金をアフリカに注ぎ込んでみたが、アフリカは底に穴の開いたバケツのようなもので、全体的に見て、アフリカ人たちは50年前よりも貧しく悲惨な状態に落ち入ってしまった。その理由は「ヨーロッパ人は貰った資本金(capital)をどのように投資(invest) すればよいかを知っていたが、アフリカ人はそれを全く知らなかった」からだとゲスト氏は言います。そして、上の原文引用の第一節にあるように「今のアフリカの悲惨の責任はアフリカ人自身にある。過去のヨーロッパの植民地政策の罪ではない」というのが彼のはっきりした立場です。これがゲスト氏の考える「白人にも黒人にも公平な」立場です。
 ここに表明されている見解に対して、私は、きっぱりと異議を申し立てます。異議の項目は多岐にわたりますが、今はその中のほんの一部に止めます。まず、アフリカ人が資金投資の適切な方法に無知であったという点を考えましょう。これは多分に教育水準の問題です。我国の維新当時、坂本龍馬を始めとする進取的な明敏な人材が輩出した最大の理由は江戸時代に存在した良好な教育環境にあったと思われます。しかし、いわゆるスクランブル・フォー・アフリカの幕開けの前後から、英国は意識的にアフリカの“坂本龍馬”を圧殺する方向に植民地政策の舵を取り始めます。この歴史的事実についてはブログ「英国植民地シエラレオネの歴史(4)」(2007年6月6日)を是非読み返して下さい。ベルギー植民地コンゴの黒人教育方針も“no elites, no problems”であったことは拙著『「闇の奥」の奥』(p215)に書きました。次は、マーシャル欧州復興援助資金の6倍の額にのぼるアフリカ援助資金の最終的な落ち着き先、結局、どれだけのお金が誰の懐に収まったか、という問題です。マーシャル・プランの場合には、戦乱で打ちひしがれた欧州各国がアメリカから金を借りてアメリカから食糧や復興資材を買うという形でしたから、援助資金の結局の落ち着き先はアメリカの会社の懐でした。アフリカの援助に注ぎ込んだマーシャル欧州復興援助資金の6倍の額が全くのフイ(不意)になったというゲスト氏の嘆息に合流する前に、我々には、まず、マーシャル・プランとは何であったかという基礎勉強から始める必要があります。その後で、その巨額な援助資金が、アフリカの貧しさを少なくすることには全く何の役にも立たないままに、最終的に何処に納まったかを、詳しく調べ、しっかりと考えてみる必要があります。見返りや紐なしの現金として、アフリカの権力保持者たちの懐に転がり込んでしまった筈はありません。私のような門外漢には、全体のアカウンタビリティを追跡する作業は決して容易に行えるものではなく、出来るだけの努力はしていますが、専門の方々の出馬を是非お願いしたいものです。西ヨーロッパとアフリカの相違点として、素人にも直ぐに気が付くのは、「持ち出せる地下資源が西ヨーロッパには乏しいがアフリカには豊富にある」ことです。拙著『「闇の奥」の奥』(pp235-236)に次のように書きました:
■ 世界の報道機関は、コンゴ、あるいは、アフリカの全体が、先進諸国からの巨額の好意的援助資金を際限なく吸い込みながら、しかも、その荒廃の度をますます深めて行く、底なしのブラックホールででもあるかのような印象を我々に与え続けている。現在のアフリカこそがキプリングの言う「白人の重荷」の具現であるように思われる。G8の一員として日本もその重荷を背負う「白人」クラブに属する。
 しかし、これは見せかけの張り子の重荷、全くの虚偽の重荷である。「白人」がソロバンの合わない重荷を背負ったためしは古今東西ただの一度もない。アフリカ「援助」は、残酷なまでにタンマリと、採算がとれているのである。アフリカに何が、どれだけ、どのようにして送り込まれたか。その見返りに、アフリカから何が、どれだけ、どのようにして持ち出されているか。-このバランス・シートの真正詳細な内容が、第二のモレル、第二のロドニーによって、白日の下に曝される日を私は待ち望んでいる。■
これを書いた後も私は勉強を続けていますが、ゲスト氏のような人々が描くあまりにも明快なアフリカの地獄絵とあまりにも明快な済度の方途(経済自由化)に、ますます強い異議を唱えたい気持になっています。アフリカでは「地下資源の豊かな国ほど、國が乱れて悲惨の度が大きい」とよく言われます。観測的事実です。ゲスト氏の言葉では「Countries that are blessed by nature tend to suffer the most.」となります。つまり、「地下資源の豊かな国ほど、黒人の権力者たちの間の骨肉相食む争いが激しくなり、國が乱れて悲惨の度が大きくなる」ということです。ゲスト氏の語り口に従えば、それがアフリカ黒人の救い難い本性だということになりそうですが、これほど馬鹿げた説明があるでしょうか。アフリカには地下資源に工業的に価値を付加する設備もノウハウもほぼ皆無に近く、アフリカの地下資源は諸外国によって殆どすべて持ち出されています。この状況にこそ上記の観察事実の説明が求められなければならない事は、素人の目にも明白です。ゲスト氏が典型例として挙げているナイジェリアとコンゴの過去40年の黒人権力者たちの腐敗の歴史はあまりにも凄まじく、目を覆いたくなるほどですが、ここにこそ非白人世界の経済学者、政治学者、ジャーナリストが決定的に重要な業績をあげる舞台があります。私個人として特に取り上げて頂きたいのは、コンゴとハイチです。アメリカ合衆国を含めた“ヨーロッパ”の外部干渉が、現在ただいまに到る綿々たる歴史的プロセスとして、どのようなものであり続けているかを、詳細に明白に、示して頂ければ、世界中の人間が、これまで背負ってきた「黒人の重荷」の理不尽な大きさを認識する筈です。
 最後に、これは蛇足ですが、ゲスト氏の足を少し引っ張る意地悪をしてみます。ゲスト氏は3万ボトルのギネス・ビールを積んだトラックに便乗して、カメルーンの西海岸から熱帯雨林の中にある町に向かったわけですが、これは、意地悪く言えば、一種の「おとり」ジャーナリズムです。言いたい事の裏を取るための、ダメオシ取材行です。それに、3万ボトルのギネス・ビールというのも引っかかります。瓶あたり500グラムとしても、15トンの積み荷、かなりの大型トラックで、これだけの量の世界一流の銘柄ビールがカメルーンの熱帯雨林の中の町に運ばれるのは何のためでしょうか?ギネスとはあのギネス・ブックのギネスです。ウィキペディアには「ナイジェリアで生産されているギネスはアフリカの気候下で流通・保存されるためにアルコール分が8%と非常に高くなっている。このギネスは最近になってアフリカへの旅行者を中心に有名になり「アフリカのギネス」という触れ込みで本国アイルランドなどに逆輸入・販売されている。」とあります。いま私が準拠しているゲスト氏の自著紹介には、熱帯雨林の中の町で、誰がこの大量のギネス・ビールを消費するのか、アフリカに生産と販売を拡大するギネス・ビール会社の企業活動、現地労働賃金のレベル、その全体的収支はどうなっているのかについては何も書いてありませんが、私としては、大いに気になるところです。

藤永 茂 (2007年9月5日)



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3 コメント

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「白人にも黒人にも公平にする?(5)」興味深く... (川崎恭治)
2007-09-05 15:20:14
「白人にも黒人にも公平にする?(5)」興味深くよみました。昨日長いコメントをかいたので今日は少し書くだけにします。
先生がいわれるように日本とアフリカの大きな違いは日本には江戸時代を通じて高い水準の庶民の教育があったことは間違いありません。白人のアフリカ収奪の際、黒人の教育もつぶしてしまったとの事で事態は深刻です。彼らの教育を援助する計画はどの程度おこなわれているのでしょう?たしかに教育への投資は短期的なpay backは期待できないでしょうが長期的には、といっても前のコメントで書いたように50年単位でえかんがえないといけませんが、確実に元がとれる投資でしょう。
前のコメントで言い足りなかったことを追加します... (川崎恭治)
2007-09-05 15:49:35
前のコメントで言い足りなかったことを追加します。9月4日のコメントで在米中の体験から黒人に自分を向上させる意欲が欠けてるのでいないかと言う意味のことをかきました。教育の一つの大きな目的はこの様な意欲を育てることにある筈です。これができなければ救いようがない。これはどの人種について当てはまることで、ある意味で自己責任でもあります。すべて外部援助に頼る精神だけでは未来はどの人種にもありません。私が「白人にも黒人にも公平にする」といったときこの様はニュアンスもありました。
川崎恭治さんから、7月18日にsubstantial なコ... (藤永 茂)
2007-09-05 22:38:05
川崎恭治さんから、7月18日にsubstantial なコメントを頂いてから、ブログ記事の形でお答えする作業を始めましたが、その後、8月9日、15日、9月4日、5日とコメントをお受け取りし、私の側からの返答があまりにのんびりと構えた形になって申し訳なく思っています。川崎さんのご提言には
重大な事項が多数含まれていて、今後は具体的に各項目について私の賛成あるいは反対の意見を申し述べさせて頂きたいと考えています。川崎さんと私のexchanges を読んで下さっている方々から忌憚のないご意見を頂けることを切望します。                     藤永  茂

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