私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

1ドルで人を殺せる世界がやってくる

2018-01-14 23:00:17 | 日記・エッセイ・コラム
 2018年1月10日の日本経済新聞(電子版)によれば、2017年11月、人工知能(AI)が判断して動かす兵器に関する初の国連公式専門家会議がスイスで開かれて、そこで「「殺人ロボット」を防げるか」という問題が議論され、「野放図なAIの開発競争は1ドルで人を殺せる世界をもたらす」ことに危惧が表明されたそうです。
 「1ドルで人を殺せる世界」とは妙な表現です。「お手軽に人を殺せる世界」ということでしょうか? そうではありますまい。一人当たりの費用が大変安上がりな殺人手段を実行するのに人工知能(AI)の力を借りる必要は全くありません。現在、すでに可能であり、実行されています。気に入らない外国に対して米国が率先して実行する経済制裁、貿易封鎖はそのもっとも身近な手段の良い例です。米国の国連大使、続いて、国務長官を務めたマデレーン・オルブライトがイラクに対する経済制裁という手段で50万人のイラクの子供達を殺したのはよく知られた事実で、これについては以前にこのブログにも書きましたが、以下にはウィキペディアの記事の一部を転載させて貰います:
“1996年、CBSテレビ『60 Minutes』に出演して、レスリー・ストールから対イラク経済制裁について“これまでに50万人の子どもが死んだと聞いている、ヒロシマより多いと言われる。犠牲を払う価値がある行為なのか?”と問われた際「大変難しい選択だと私は思いますが、でも、その代償、思うに、それだけの値打ちはあるのです」(“I think that is a very hard choice, but the price, we think, the price is worth it.”)と答えた。なお、オルブライトのこの発言を腹に据えかねた国連の経済制裁担当要員3名(デニス・ハリデイ、ハンス・フォン・スポネック、ジュッタ・バーガート)が辞任。このうちハリデイは「私はこれまで(対イラク経済制裁について)“ジェノサイド”という言葉を使ってきた。何故なら、これはイラクの人々を殺戮することを意識的に目指した政策だからだ。私にはこれ以外の見方が出来ないのだ」とコメントを残している。”
オルブライトは国連内での外交的根回しにいくばくの事務的費用を費やしたかもしれませんが、50万ドルはかからなかったでしょう。1人当たり1ドル以下の殺人です。核弾頭についても、この安値レベルはとっくの昔に到達済みです。
 兵器の開発製造に関与している専門家が心配しているのは、人工知能(AI)を使用した安価で高性能な暗殺用ロボット(キラーロボット)の出現でしょう。しかし、公式には、この問題は表面化されていません。例えば、次の記事をみてください:

https://thebulletin.org/don’t-fear-robopocalypse-autonomous-weapons-expert-paul-scharre11423

この中で、兵器の持つ抑止力(deterrence)についての議論が行われていて、「When you think about deterrence, I think of the general concept of, "I'm stronger, more powerful," and that may deter you.」といったことが述べられていますが、北朝鮮の核兵器保有の問題だけを考えても、これは無内容の擬似的常識論に過ぎません。
 現在、世界的に見て、「殺す側」と「殺される側」との間には、相手を暗殺することの難易に絶大な隔たりがあります。現在、支配権力側は、その意向に反抗する人物を抹殺する充分の手段と実行力を持っていますが、被支配者側にはそれが殆んど全く欠如しているのが実状です。しかし、人工知能(AI)技術を応用して、遠隔操作あるいは自己判断で正確敏捷に行動する高知能の超小型ロボットが比較的安価に出来るようになれば、暗殺の実行は「殺される側」にとって大幅に容易さを増します。つまり、「殺す側」の個人が「殺される側」によって暗殺される可能性が大幅に増大するということになります。この形で、弱者は強者の恣意な殺人行為に対する貴重な抑止力(deterrence)を入手することになります。
 2016年3月3日、ホンジュラスの先住民環境保護運動家ベルタ・カセレス(Berta Cáceres)さんが生地ラ・エスペランサの自宅で暗殺されました。殺し屋は早朝に乱入してベルタ・カセレスさん(43歳)を銃殺しました。彼女は環境保護運動家として既によく知られた存在でしたが、殺された直接の理由は有力な電力会社の水力発電ダムの建設への熾烈な反対運動の先頭に立っていたことにあると考えられます。彼女は殺害される1週間前、彼女の属するレンカ族先住民共同体の指導者4人が殺害されたことに対する告発を行い、また、彼女自身もやがて暗殺される予感を語っていました。
 2016年5月8日、ホンジュラス裁判所はベルタ・カセレスさん殺害の実行犯容疑者の名前を発表しました。この事件についてはDEMOCRACYNOWのサイトその他に多数の資料があります。下の記事は

https://www.democracynow.org/2017/11/1/shocking_new_investigation_links_berta_caceress

ダムの建設を進めている電力会社の最高幹部が暗殺の指令を出したことを示唆しています。次の二つの記事も参照してください:

https://www.democracynow.org/2016/3/4/remembering_berta_caceres_assassinated_honduras_indigenous

https://www.pambazuka.org/land-environment/¡berta-lives-life-and-legacy-berta-cáceres

ホンジュラスに限らず、南米の先住民の居住地域は米國を主とする国際資本による強引な資源開発が行われ、それに抵抗する先住民の反対運動の指導者たちが、これまで総計すると数百人のオーダーで暗殺されているようです。
 ここで「殺される側」である先住民たちの環境破壊反対運動組織が、「殺す側」の目ぼしい連中を確実に暗殺できるキラーロボットを安価に入手し、安価に使用できる状態がAIテクノロジーの飛躍的発達のお蔭で実現したらどうなるか、想像して見ましょう。ベルタ・カセレスさんに率いられて無法なダム建設に反対の運動をしている先住民レンカ族の中に気性の激しい人工知能オタクの若者がいて、ベルタ・カセレスさんの暗殺の命令をしたと推定される電力会社の幹部をAIキラーロボットで殺します。あるいは、若者は現在のホンジュラスの諸悪の元凶、責任者として、2009年のクーデターを率いたロメオ・バスケス将軍を暗殺することを実行するかもしれません。今まで、自分の方は全く危険にさらされることなく、邪魔者を消すことが出来た「殺す側」の有力者たちは、“これはまずいことになった。こちらも簡単に殺されるかも”と思って怯えるに違いありません。つまり、「殺される側」は強力な「抑止力」を持つことになります。これはまさに“貧者の原爆”と呼んでよいでしょう。
 このように使用される高性能のAIキラーロボットは、「殺される側」に襲いかかる理不尽な暴力に対する抑止力として、極めて有効に働くと思われます。それに比べて、核兵器の持つ「抑止力」は全く役に立っていません。核兵器の「抑止力」は第二次世界大戦後、“戦争”の勃発を抑止してきたという戯言を口にする人もいますが、それは全くの嘘言です。第二次世界大戦の後、戦争は間断なく行われていて、世界で数百万の無辜の生命が失われてきました。いや、それでは余りにもの過小評価というもの、コンゴだけでも、死者は六、七百万人に上り、殺戮は今も進行中です。殺され続けているコンゴの一般民衆側が、このような暗殺手段を入手して、コンゴ大統領カビラ、ルワンダ大統領カガメ、ウガンダ大統領ムセベニの三人の同時暗殺に成功すれば、その衝撃で、コンゴ・ジェノサイドは終りを迎えるでしょう。
 しかし、説明するまでもありませんが、そのような超小型ロボットの研究開発を大々的に進める傾向は世界の兵器産業界では全く見られません。秘密裡に開発していることもない筈です。むしろ、その開発を制御扼殺したいのが本音でしょう。世界中のSHITHOLE COUNTRIESの貧者たちが“貧者の原爆”を持つことになったら大変ですから。

藤永茂(2018年1月14日)

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1 コメント

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虐げられた者への共感が復讐への同調に向かうべきでは無い、と思うけど (海坊主)
2018-01-15 00:56:48
今回の記事や『プロジェクトおかめ』の一連の記事に藤永先生の強い憤りとやるせなさを強く感じるのは私だけでないと思います。仲間を、家族を、恋人を奪われた被害者遺族にとって、加害者に復讐を果たすことが被害者本人の願いだと断言出来るのなら、それはある程度致し方ないという意見も否定しません。人類が誕生してから直面してきた大きな課題の一つであり、その解題は未だに提示されていないと私は思います。

被害者本人の気持ちと残された被害者遺族の気持ちは本当に同じなのでしょうか。
命を落とした被害者は夢と希望が指し示す未来を奪われて、とてつもない無念を感じたのだろうと私は思います。でも、その痛みはいつしか薄らいでゆくものです。被害者本人の気持ちは、むしろ残された遺族に向けられるだろうと私は思います。この忌まわしい悲劇から立ち直って新たな未来を築いて欲しいと願うのではないか、と。
かろうじて一命をとりとめた被害者には不具にされた無念が全身を覆い尽くしていることでしょう。その彼に安らぎが訪れるのは並大抵のことではありません。もしかしたら被害者本人の手で復讐を果たすまでその苦しみは続いていくのかも知れません。

確かに「殺す側」と「殺される側」の間にとてつもなく大きな壁があって、その壁をいとも簡単に乗り越えてくる「殺す側」に激しい怒りと憤りを感じるのは私も同じです。おそらく、このブログをご覧になっている読者の方々もそう感じているでしょう。でも、藤永先生の仰る『貧者の原爆』に託すような気持ちには、私はなれません。

私たちは曲がりなりにも法の秩序に守られた安全で便利な社会で生活しています。むき出しの暴力が襲いかかる東南アジア、中東、東欧、アフリカ、中南米などで起き続けている悲劇を目で見て肌で感じ声を聞いている訳ではありません。私たちは傍観者であり、観察者であり、信頼し得る情報源からの報道に接して心を痛めている者たちです。

その私たちが被害者の置かれた立場に共感し、何を成せるかと自らを問うのであれば、それは復讐への同調ではないと私は思います。その悲劇を生み出す本質に対して怒りを持ち、その是正に向かうべきだと思います。不公正、不正に対して常に声を上げ続けるべきと思います。何故なら、この社会構造が、国際秩序が、資源を巡る争奪が、人間達を代理人に仕立ててその悲劇を生み出していると思うからで、悪と目される権力者本人を排除してもこの共通の構図の中に人間が留まり続ける限り、役者を代え繰り返される、と確信しているからです。

でも、この構図の是正が最も困難でかつ最も大きな事業であって、簡単に成し得ることではありません。(自己の成功にのみ執着する利己主義者の)アイヒマンや(くすぶっていて機会があればそのアイヒマンに変態する)サナギマンが蔓延るこの世界で、他者への共感を持つという善の特性を広めていくには何世紀掛かるか分かりません。手っ取り早くやろうとすれば暴力的となり、かつ何処ぞの援助に頼らざるを得ません。その援助元はこの社会構造を固定化する「殺す側」の勢力の中にあるのですから、おそらく簡単に乗っ取られて失敗してしまうでしょう。

ここまで話を広げておいて大した事を伝えられない私の力不足を痛感しています。今も悲劇に遭っている人々が居て、その彼らに手を差し伸べられない不甲斐なさも感じています。

本当に、最も良い解決策とはなんなのでしょうか。私たちが常に考え続けていかなければならない事だと思います。

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