私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

オジャラン(5)

2015-09-16 21:49:57 | 日記・エッセイ・コラム
 離島の監獄独房に幽閉されているオジャランを指導者と仰ぐクルド人をめぐる情勢がいよいよ風雲急を告げています。オジャラン文献の翻訳の掲載を中断して近況を報告します。
 まず復習と予備的解説から。このブログの2015年8月5日の記事『クルド人を生贄にするな』で、
# このコバニと国境を挟んだトルコ側の町スルチの文化センターの庭で、7月20日、爆発があり、32人が死亡、103人が負傷しました。この文化センターの施設には、戦火でひどく破壊されたコバニの町の復興支援プログラムに参加する300人以上の青少年が滞在していました。ロジャバ革命に夢を託す、主にクルド人の若者たちが犠牲になったのです。
 トルコのダウトオール首相によれば、イスラム国の自爆テロだということで、トルコ国内でイスラム国がテロ行為に及んだので、それまでアメリカ主導の対イスラム国打倒の作戦への参加に不熱心だったトルコも、とうとう重い腰を上げてアメリカとの同調に踏み切った、というふうに伝えられることがありますが、これは、とんでもない誤報です。いや、誤報ではなく、為にする真っ赤な嘘です。#
と書きました。スルチでのISによる自爆テロで殺傷されたのは、オジャランの思想を信奉するクルド人の若者達ですし、このテロ行為を、トルコ政府による、いわゆる偽旗作戦(false flag operation)だったとする見方に、私は傾いています。
 同じブログ記事を私は次のように結びました。:
#一方、IS叩きの戦列に参加したはずのトルコは、ISに対する空爆はほんの言い訳程度で茶を濁し、クルド人に対してはイラクやシリア内の拠点に対する激しい空爆を実施し、トルコ国内では、危険分子と見做されるクルド人の大量逮捕投獄に踏み切りました。「ロジャバ革命」の全面的危機の到来です。#
 トルコは東南部国境でイラン、イラク、シリアに接しています。このトルコ東南部から南に向けてシリア北東部、イラク北部、イラン北西部にまたがる広大な(面積は日本全土とほぼ同じ)地域が、クルディスタンと一般に呼ばれるクルド人の“母国”で、その半分以上が山岳地帯です。トルコ部分を北クルディスタン、イラク部分を南クルディスタンと呼ぶこともあります。民族としての総人口は約3000万、トルコには約1000万、イラクには約500万、北クルディスタンの一部としてのシリア東北部には約100万のクルド人が住んでいます。例の小都市コバネを含むトルコ/シリア国境のシリア側地帯ではロジャバ革命が進行中です。
 北クルディスタンと南クルディスタンは、政治的にはっきりと区別して考えなければなりません。第一次世界大戦後、クルド人の独立国「クルディスタン」が出来かけたのですが、トルコの強い反対で夢と消えました。ブッシュのイラク戦争では、南クルディスタンは米国の厚い庇護を受けることになり、「クルド自治政府」が2006年に正式に発足しました。米欧がイラク国内で別格の自治権を行使するこの自治区政府に肩入れをするのは、南クルディスタン、つまりイラク北部のクルド人居住地帯が石油の産地であるからです。クルド人の自由と独立を思想的に支持するからでは全くありません。自治政府トップの議長マスード・バルザニはクルド民主党(KDP)の党首でもありますが、バルザニ氏は米国ともトルコとも密接良好な関係にあります。つまり、北部イラク(南クルディスタン)のクルド人全体の民意はともかくとして、自治政府自体は親米親トルコだということで、これは、クルド人問題を考える場合に重要なポイントです。
 上にも報じたように、米国主導の対IS戦闘に参加したかに見せかけて、トルコのエルドアン大統領は猛然とPKKに代表されるクルド人勢力に襲いかかりました。もともとのPKKの拠点は北クルディスタン(トルコ東南部)ですが、それと地続きのイラク北部の山岳地帯にも拠点があり、トルコ空軍がまず爆撃したのは、いわば、イラクのクルド自治政府の勢力圏内の山岳地帯のPKKでした。
 クルド自治政府は直ちにPKKの北部イラクから北クルディスタンへの転出を求めました。エルドアンのトルコ政府(警察、軍隊)は国内東南部(北クルディスタン)で、PKK所属のテロリスト撲滅の口実のもとに、戒厳令の乱発などを行って一般のクルド人の生活環境を悪化させています。トルコ国内では、内戦勃発の可能性が真剣に論じられ始めました。クルド人問題をめぐって、中東の風雲はまさに急を告げています。復習の一部として、ブクチンとPKKについて、2015年8月19日付の記事『オジャラン(1)』の中核部を再録します。
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クルド人抵抗運動

1970年代後期、米国でブクチンがソーシャル・エコロジーという彼の理論の価値と重要性を認めてもらうように苦闘を続けていた頃、それとは全く別の闘争が地球の反対側で頭をもたげつつあった。トルコの南東部の、クルド人が圧倒的に多い山岳地域で、一つの組織体が創設されたが、それが、やがては、ブクチンのソーシャル・エコロジーの考えを受け入れ、それに適応するようになったのだ。

その組織体はクルド人労働者党、あるいは、クルド語での頭文字をとって、PKK と自称することになった。そして、1984年に、トルコ国家に対して最初の攻撃を仕掛けたのだ。この最初の軍事作戦に続いて他の作戦も展開され、結局、30年間に及ぶ武力闘争に発展し、未だに解消されていない。

PKKはマルクス・レーニン思想に鼓舞され、社会主義諸原理に基づいた独立のクルド人国家建設のために闘った。伝統的なクルド人母国は現在のトルコ、イラン、イラク、シリアに跨るのだが、20世紀始めにフランスと英国の間で、中東の以前のオットマン-トルコの領土の分割に関する取引が成された際に切り分けられた。トルコ、シリア、イラクの国境は1916年の悪名高いサイクス-ピコ協定によって決定された。

いつの日か別々のクルド人居住地域の一体化に立ち会うというユートピア的希求にも関わらず、PKKの闘争は、もっぱら、トルコ国によって占領されている北部クルディスタン――またはバクール――の解放に焦点を絞っていた。しかしながら、1990年代に、PKKはゆるやかに一個の独立したクルド人國を建国する希求から離れ始め、それ以外の可能性を探り始めた。

1999年、PKKの創始者で指導者のアブドゥッラー・オジャランは、トルコとシリアの間の外交的大揉めごとに巻き込まれた。20年ほど前、彼がトルコから追い出されてから後は、彼はシリアからPKKの作戦を指揮していたのだが、もうシリアは反乱指導者を受け入れて保護することを拒否したため、オジャランは別の避難場所を求めてシリアを去る以外に選択の余地がほとんど無くなった。それから暫くして、彼はケニヤで捕らえられ、トルコに連れ帰られて、死刑の宣告を受けた――その刑罰は後ほど無期懲役に変更された。

オジャランの逮捕はPKKの独立闘争にとっての限界点であった。その直ぐ後、PKKは独立国の要求を取り下げて、地方レベルでの自治の増進を要求するようになった。監獄内で、オジャランはブクチンの著作に親しみ始め、社会の変換に関するブクチンの論考がオジャランに影響を与えて、独立国家の理想を断念し、むしろ、オジャランが‘民主的連邦主義(Democratic Confederalism )と名付けた別の道筋を追求することになったのだ。
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藤永 茂 (2015年9月16日)
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1 コメント

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クルド人抵抗闘争と独立国家建設への熱い希求のはざまで― (sugiyama hideko)
2015-09-20 13:12:12
クルド人抵抗闘争と独立国家建設への熱い希求のはざまで― 

(藤永さん、おさらいどうもありがとうございます。日頃超多忙な自分にとってはおさらいはとてもありがたいです。)
  
コバニと国境を挟んだトルコ側の町スルチの文化センターの庭で、7月20日、爆発があり、32人が死亡、103人が負傷。その施設には、戦火でひどく破壊されたコバニの町の復興支援プログラムに参加する300人以上の青少年が滞在していた

スルチでのISによる自爆テロで殺傷されたのは、オジャランの思想を信奉するクルド人の若者達だが、このテロ行為を、トルコ政府による、いわゆる偽旗作戦(false flag operation)(慎重な藤永さんは―らしいという表現をおとりのようです。)に利用されたようだ。

トルコはその地政学的に置かれた立ち位置から見てもどうも微妙な政治的立場を選んでいるようだ。
最近トルコがアメリカや西側諸国とのIS作戦に加わりはじめたのも、背後にトルコの様々な計算があるようだ。
トルコのダウトオール首相によれば、イスラム国の自爆テロだということで、トルコ国内でイスラム国がテロ行為に及んだので、それまでアメリカ主導の対イスラム国打倒の作戦への参加に不熱心だったトルコも、とうとう重い腰を上げてアメリカとの同調に踏み切った、というふうに伝えられる、その実際の標的になったのはISではなくてどうもクルド人対策の一環として戦闘行為に加わるようになったようだ。この詳細な事情はクルド人やクルグスタンの成り立ちを知らないと理解が不能な面もある。

上記の事情から実際に死傷者を出したのはクルド人の青年たちなのにその咎をトルコ政府はどうも承知の上でIS
取り締まりの口実にして西側とIS撲殺のために名をあげているようだ。もともとトルコはNATO参加国であるがゆえに、参加依頼を受ければ受けて立つ理由もあったようだ。こうしてみると、常に少数の弱いものが、時々の政治のいいかもになり犠牲に供されることは歴史を見れば明らかだ。トルコばかりを責めても致し方ない。
この手法は古くから、力あるものがやる手法だ。だからこそオジャランはその思想の中核に弱きものを踏み台にした政治、社会の在り方に反旗を翻し、クルド人独立のために独自の思想を編み出したのである。この経緯を見ると、現在展開されているアメリカ、ヨーロッパの難民対策の薄っぺらさが手にとるようにわかる。とりわけ難民を生み出している大元であるアメリカが新たな画策に動いていることだ。オバマの最近の声明では難民を十数万引き受けてもいいということだ。ここにきて何の為?キリスト教的人道主義によるため?とんでもない、テロリストを泳がせてまた爆弾騒ぎを起こさせて偽旗作戦を大々的に繰り広げ、異論保持者の掃討作戦にでもでるつもりであろう。ヨーロッパもアメリカも大きなジレンマに立ち至っている。地球は彼らの貪欲さと愚昧さのゆえに地球はほろびるか或は原発事故の繰り返しで滅びるか、どちらが早いか時間の問題だ。

*このコメントは3日前に送信しましたが、なしのつぶてのようでした。何か気に障る点がありましたら没でかまいません。



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