私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

頂いた幾つかのコメントへのお答え

2016-03-29 16:11:55 | 日記・エッセイ・コラム
 近頃、私のブログ記事に対して頂いた幾つかのコメントに私なりにお答えしようと思います。
 まず、このブログは、日本として重要な問題が多数あるのに、それらを殆ど取り上げず、主に海外の、それも、やや周辺的にも見える問題を主に取り上げている理由を申し上げます。憲法の問題、福島原発に連なる問題、TPPの問題、などについては、私の身辺にも、70代の年齢にもかかわらず、諸種の講演会や抗議集会に出席し、あるいは、街頭に立って呼びかけを実行している人たちが居ます。老老介護的な生活状況にあることを理由に、私は、そうしたことから全く身を引いてしまっていますが、内心いささか忸怩たるものがあります。大昔、私は教職員組合の一員として、プラカードを持って市内電車に乗り、デモ集会に参加したことがありました。その時に感じた一種の気恥ずかしさを、それがどこから来たものか、未だに、内的にきっぱりと処理できずにいます。今も、行動現場に身を挺していない私は、国内的に重要な問題についての現実的知識と感覚に欠けるところがあると思わざるをえません。では、私に出来ることは何か。ブログという形で何を発言すれば役に立つのか。自分の存在価値を見出すことが出来るのか。
 終戦後のボイス・オブ・アメリカの放送に始まり、アメリカ、イギリス、カナダのラジオ、テレビ放送、新聞、週刊誌、月刊誌などとの70年に近い長い付き合いの経験とその記憶、これがほぼ唯一の私の取り柄です。長生きをしたというだけのことですが、その間に随分と大きな変遷がありました。簡単に言えば、親米から反米への変遷です。一例を挙げれば、New York Times、これについては、以前に、懐旧の念を持って書いたことがあります。ワシントン・ポストと共に、ニューヨーク・タイムズとの、一読者としての、私の関係は、一種のラブ・アフェアとやがて訪れた苦い幻滅の長い弧を描くものでした。その幻滅は、大げさに言えば、米国そのものについての決定的な幻滅です。幻と悟った者はその正体を見据えたい気持ちに襲われて、懸命に目を凝らします。過去十数年間の経験から、目を凝らして見るに効果的な場所は、中心的な事件の舞台よりも、周辺的な場所であることを私は学びました。例えば、ヒラリー・クリントンという女性の真の姿が裸のままで露出しているのを見るには、米国本土ではなく、リビア、ハイチ、ホンデュラスなどが格好の場所です。
 報道内容の有用さと信憑性に関して、例えば、ニューヨーク・タイムズとロシア・トゥデイを比較検討する作業は、我々各個人でやれます。時間が必要なだけです。ある場合には5、6年あるいはそれ以上の時間が必要かもしれませんが、普通はそんなにかかりません。私のこのところの経験から、一般論として、NYTよりもRTの方が、現時点では格段に有用で、信憑性も高いと判断しています。自分の意見を正当化する方の報道あるいは論説を選ぶほど耄碌はしていないつもりです。例えば、私の個人的感覚だけを頼れば、アラブの春以来、シリアの現大統領アサド氏はシリア国民に対する意図的な弾圧殺戮行為を犯してはいないと信じたいのですが、私が信頼を置くジャーナリストのロバート・フィスクさんの語り口等から察するに、私の推測的判断は甘すぎると考えざるをえません。
 前にもこのブログで書きましたが、私のブログを覗いてくださる方々ならば、必ずしばしば訪れているに違いない『マスコミに載らない海外記事』というサイトがあります。私は著者に満腔の敬意を表します。これだけの量の海外記事の翻訳をすることが、どんなに大変なことか、私には痛いほど分かります。私の敬意は、また、このサイトにアップされる多数の記事の著者であるPaul Craig Roberts にも向けられます。

藤永茂 (2016年3月29日)
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8 コメント

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感謝いたします (田中英一)
2016-03-29 20:10:58
数ヶ月前だったか、何かのおりにこのブログにたどり着きました。最初書かれている方はジャーナリストかなと文面から思っておりましたら、藤永茂氏という化学物理学者、しかも御年90歳になられる先生だと知りました。

日本における米軍基地や原発など様々な問題は、到底日本だけを見ていては解決できない問題です。ネット上には玉石混淆の情報が飛び交っています。それでは何が玉で何が石なのか、識別する目が必要ですが、全てを追っかける時間も能力もないものにとって、藤永先生の書かれるブログはひとつの指標となると思います。

わが日本では憲法9条を葬り去る安保法が施行され、世界各地ではイスラムをかたる"テロ"が起こり、中国経済はこの先の展望が描けず、アメリカ大統領選はトランプ氏とバーニー氏の両極端の候補が争っています。

大きな歴史のまさに転換期に生きているボクたちにとって本ブログが、先が見えない暗闇のなかの小さくても確かな灯りになることを願っております。

藤永先生、くれぐれもご自愛されまして、末長くご無理なさらぬ程度に本ブログを継続されてくださいませ。初めてのコメント、長々と失礼いたしました。
藤永さん (ノラや)
2016-03-30 00:10:25
先般、ちょっと波風を立ててしまったノラやです。
1970年生まれの僕は最初から、今で言う嫌米でした。高校を出て夜遊びをはじめるとそこここでアメリカから来てた、当時はほんとにいっぱいいた若い英会話の教師連とかち合いました。中学で習ったとおりにWould you ....?と会話すると「お前はどこのプリンスだ?」とからかわれたまではいいとしても、「お前は英語がしゃべれて良いパースンだ」と言われてときに、英会話能力と人格にどういう関係があるんだと憤った(そして反論するに十分な会話能力がなかった)のがひとつの原体験のようです。23か24歳の頃に「日本国にはあと10年頑張ってもらいたい。その間に僕は地力をつけてここを出て行く」と放言し、今は色々の果てにオーストラリアの田舎町に落ち着いて、もう10年。今では随分と角が取れたとは思っているのですが、職場ではフリー・ラディカルと呼ばれています。今年になって初めての子供が生まれたのですが、嫁様が「この子は父親に似て背が高くなるわ」というと、大方の人(白人)は驚いて僕の方を振り向いて値踏みします。ハーフ/ハーフの子が日本人から西洋的な評価軸の身体的美質を受け継ぐなんて考えてもみなかったのでしょうね。あと、藤永さんもどこかで指摘されてましたが、一部の人の責任を感じない能力。やった事を忘れ切る能力には本当に驚きます。若い頃は米人を理詰めで追い込もうとしては土壇場の跳躍?についていけずに、こいつらって論理的だって学校では言ってたぞ?と不思議に思うことしばしばでしたが、ここへ来てわかってきました。トップが自戒、自省の念なんか持ってたらやってらんないようなことを繰り返してきましたからね。思考にシャットダウン機構が備わってるようです。街に流れてくるお金の大元はシェブロンを筆頭に、アパッチ、アイバンホー、bhp、リオと悪役のショウウィンドウ(帝石も少し)。住んでる地域には南ア、イギリス人も多くて勉強?する事はいっぱいあります。
長々と書き散らしてしまいました。では、また。
憲法9条は核兵器を容認? (桜井元)
2016-04-02 00:19:12
安倍政権は4月1日の閣議で「核兵器の保有や使用は、憲法上禁じられていない」という答弁書(鈴木貴子衆院議員の質問主意書に対する)を決定しました。そこには「純法理的な問題として、憲法9条は一切の核兵器の保有や使用をおよそ禁止しているわけではないと解される…」とあるそうです。

ヒロシマ・ナガサキの惨禍を踏まえ成り立つ日本国憲法の前文と9条のどこをどう読めば「核兵器の保有や使用は許容される」と解釈できるのでしょう。安倍総理はことあるごとに「自由、民主主義、人権、法の支配といった基本的価値を共有する国々と手を携えて…」などと言いますが、こんな解釈を「純法理」など呼んで国民を愚弄する安倍総理に「法の支配」を語る資格はありません。

NHKの夜7時のニュースでは、この重大なニュースを、錦織圭のテニスの結果やお天気情報の手前、30分の放送枠も残りわずかという所にちょこっと差し挟んでいました。この日のニュースで大きく報じた「核セキュリティ・サミット」(対北朝鮮の日米韓首脳会談)と並べて報じ、日本政府の「反核」の姿勢の欺瞞をしっかりと伝えるべきでした。夜9時のニュースでは、なんと一切伝えていませんでした。新入社員の入社式の模様を長々と伝える一方で、なぜこのニュースをカットしたのでしょう。今夜のニュースを見るだけでも、日本の報道機関に意図的・自覚的な偏向があることがわかります。

一人ひとりの記者の伝え方を見てみても、明らかな偏向を感じられます。政権寄りで有名な岩田明子記者(政治部)ですが、この人は今晩も「安倍総理は…していく考えです」「安倍総理は…する方針です」などと、安倍総理の見方・意図を伝えるだけで、記者の視点というものがまったく無くなってしまっています。原聖樹記者(政治部)も同様でした。スタジオの河野キャスターが「同行した原さんはどう見ましたか?」と投げかけたのに対して、結局、安倍総理や日本政府の方針を伝えるだけに終わり、そこには記者の視点や分析は微塵もありませんでした。

国民の受信料で成り立つNHKは本来、「独立」(どんな問題でもどっちつかずの「中立」という意味ではない)のジャーナリズム精神を実行し、「国民の、国民による、国民のためのジャーナリズム」を実行すべき機関ですが、現実には「政府広報」と堕しています。

ノーム・チョムスキーのインタビュー記事に以下のようなものがありました。
報道の信憑性、メディアの可能性と限界について考えるのに良い記事です。

ttp://www.alternet.org/media/noam-chomsky-why-internet-hasnt-freed-our-minds-propaganda-continues-dominate
G7外相の広島訪問 (桜井元)
2016-04-12 00:33:45
G7外相らの広島訪問と共同宣言の内容を日本のマスコミは手放しで肯定しました。独立不羈の知性とジャーナリズムの立場から、広島・長崎の被爆の意味に向き合い、戦後70年において原爆投下の罪業に倫理的・法的観点から挑む報道があるかと思いきや、ケリー国務長官らのとった行動に対する歓迎と礼賛のシャワーでした。

朝鮮半島の非核化はもちろん望むべきことですが、そのためには北朝鮮と米国(米国本土から北朝鮮への直接射程だけでなく、韓国・日本を覆う「核の傘」も含めて)の双方の核廃棄が求められるものです。かつての朝鮮戦争では米軍による原爆使用のオプションまで持ち上がり、そして今や「イラク」「リビア」「シリア」と米国が敵視する国家(政権)に対する武力攻撃が続くなかで身構える北朝鮮との間においては、非難や制裁や軍事演習による脅しではなく、徹底した対話と緊張緩和、何より米国による武力不行使の保証が不可欠です。日本の場合は特に、過去の植民地支配や戦争責任に対する真摯な謝罪と補償も必要となります。拉致問題の解決はそのうえで、国交が正常化してから、真摯に交渉をとおして解決を図るのが現実的な道でしょう。私は、浅井基文先生のブログからも多くを学ばせて頂いておりますが、このプロセスは、10年近く前から浅井先生が強く訴えていらっしゃるものです。

今回のニュースをロシアのRTはどう報じたかといいますと、「原爆投下の謝罪なし」ということを重視したものでした。多様なメディアに接することはやはり必要です。

ttps://www.rt.com/news/339149-kerry-hiroshima-memorial-apologies/

原爆投下は倫理的にも、また国際法的にも(無差別性や不必要な苦痛などから)明らかに罪業である以上、罪への向き合いと謝罪、そのうえでの真摯な取り組み(核廃絶への努力)が筋道であり、投下国からの「謝罪」がないということは有ってはならないことなのです。日本のニュース報道が、米国寄りのバイアスによって政治的プロパガンダとなってしまっている様が、今回の報道ぶりにも表れていると思います。
チョムスキーのインタビュー等 (桜井元)
2016-04-12 23:45:33
「情報の信憑性」をめぐって読者数人からいくつかのコメントがあり、それらに対して藤永先生がご回答に当たる記事をアップしてくださって以来、自分なりにあらためてこのテーマについて考えたいと思っておりましたが、チョムスキーの最近のインタビュー記事に以下のようなものがあり、たいへん示唆を受けました。

ttp://www.counterpunch.org/2016/04/01/indicting-the-system-with-noam-chomsky/

基本的にはメディア(というよりもメディアを含めた知識人全般)の有り方についてのインタビュー記事なのですが、挙げられる具体的事例が説得的でした。藤永先生がかつてブログで書かれた中南米の民主的政権に対する米国による残酷な干渉の歴史、近年のホンジュラスのクーデターのことなどにも触れられており、また、難民問題についての箇所では、シリア難民をめぐる欧米の態度や、米国大統領選のトランプ候補の暴言などを射程に、チョムスキーらしい良心と明敏さが光るインタビュー記事でした。

チョムスキーはメディアのプロフェッショナリズムを一定程度認めつつも、メディアが書ける枠、はみ出せない枠というものがあるのだと指摘していました。例えば、日本でいえばこの枠の範囲であれば朝日から産経までの幅が出ることが可能ですが、その外側にはみ出ることは許されず、もしはみ出せば少数異端の言論として扱われてしまうという趣旨のことを述べていました。

ところで、チョムスキーには以下のような書籍があるのですね。
不勉強を晒すようでお恥ずかしいのですが、時間を見て読んでみたいと思います。
①はかなり大部の本ですが、②は手頃な頁数の本です。
ブログ読者の皆様にもご参考になれば幸いです。

①Manufacturing Consent: The Political Economy of the Mass Media

②Media Control: The Spectacular Achievements of Propaganda
Unknown (桜井元)
2016-05-21 01:15:43
沖縄でまたも米軍関係者による犯罪によって、かけがえのない命が奪われました。テレビニュースがとらえた沖縄県民の表情・涙・言葉には強く迫るものがありました。

藤永先生は「過去十数年間の経験から、目を凝らして見るに効果的な場所は、中心的な事件の舞台よりも、周辺的な場所であることを私は学びました。例えば、ヒラリー・クリントンという女性の真の姿が裸のままで露出しているのを見るには、米国本土ではなく、リビア、ハイチ、ホンデュラスなどが格好の場所です。」とお書きになりましたが、米軍という存在をどうとらえるかにおいても、先生のおっしゃるこの「視点」が重要になるのでしょう。中心(本土)ではなく周辺(沖縄)においてこそ、真の姿が見えてくるということなのでしょう。

オバマが、任期最後のレジェンドづくりと、米国の安全保障=軍事政策「核なき世界」(「核廃絶」思想でなく「核抑止と核不拡散」思想に立脚)の宣伝材料として利用するため広島を訪問しますが、そのオバマがブッシュに代わって就任した当初(2009年)の政策アジェンダの「DEFENSE(国防)」の項目の中に以下の文章がありました。

The Obama-Biden administration will expand humanitarian activities that build friendships and attract allies at the regional and local level (such as during the response to the tsunami in South and Southeast Asia), and win hearts and minds in the process.
(オバマ大統領-バイデン副大統領の政権は、世界の地域・局所レベルで友好関係を築き同盟国を惹き付けるような人道活動を広げ〔南アジア、東南アジアでの津波被害への対処のように〕、それを通して人心を掌握していく。)

ttp://change.gov/agenda/defense_agenda/

これが、その後の2011年に起きた東日本大震災において適用されたのが「トモダチ作戦」でした。参加した米兵の個々の良心はここでは問いませんが、システムとしての米軍という存在はそうしたものであり、あくまで「DEFENSE(国防)」のための戦略的な活動という位置づけだったわけです。

小泉元首相が、トモダチ作戦で被爆し健康被害を受けたという米兵たちのために涙したというニュースが最近伝えられましたが、小泉氏は、広島・長崎の被爆者や福島の被爆者のために一度でも泣いたことがあるのでしょうか。非常に政治的な欺瞞を感じます。また、小泉氏は米国のイラク攻撃を支持しましたが、これによってどれだけ多くの犠牲者が生まれたことでしょう。小泉氏は今も、イラク攻撃を支持したことは正しかったと言い続けています。

5月20日の新聞報道で、イラク戦争を検証する国際法学者の動きが報じられました。「開戦そのものの違法性」と「戦争のさなかに起きた数々の戦争犯罪」とを、「殺される側」の視点に立って検証していってほしいものです。米軍による捕虜虐待・拷問の象徴的存在「アブグレイブ刑務所」についての文章や画像をあらためて目にしますと、本当に吐き気を催してきます。

ttp://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2016052002000138.html

ttps://en.wikipedia.org/wiki/Abu_Ghraib_torture_and_prisoner_abuse

米軍の真の姿をとらえるには、「中心」の視線ではなく、またマニピュレーション(トモダチ作戦など)によってナイーブに動かされるのでもなく、あくまで「周辺」の視線(蹂躙される沖縄の視線、攻撃されるイラクの視線)こそが必要です。

Unknown (桜井元)
2016-05-21 01:31:46
イラク戦争検証の会は、国会議員や市民団体、ジャーナリストなどが中心のようです。多くの国際法学者の先生方にも側面支援していただければ心強いですね。

Unknown (桜井元)
2016-05-21 10:53:16
イラク戦争検証の会の専門家メンバーには、自衛隊イラク派遣違憲訴訟の原告弁護団事務局長を務められた川口創(はじめ)弁護士も参加されているようです。

舛添都知事の政治資金疑惑をめぐっては、舛添氏は当初、「ルールにのっとっているが誤解を招いた」と釈明していました。つまり「合法ではあるが不適切だった」という論理で、なんとか反省を示して切り抜けようとしました。しかし、ここにきて「合法ではなく、そもそも違法なのでは」という疑惑が濃厚になっています。

舛添氏を例として挙げるのはどうかとも思いましたが、物事には「適切・不適切」という尺度と「合法・違法」という尺度があります。イラク戦争の検証ではとりわけ後者がまず問題とされねばなりません。そのため法律専門家諸氏の力添えが必要不可欠となるでしょう。

記事には「現在25人の検証委員」とありましたが、ネット上この団体らしきサイトには具体的な検証委員の氏名が出ておらず、第一回検証公聴会が今月31日に開かれるというのに、その情報がわかりやすく大きく掲載されていませんでした。ちょっと残念でした。

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