聖書から人生を考えよう

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★人生の七転び八起き

2005-07-27 | 「人生の試練と逆境」
          

  人生には、いろいろなつまずきや挫折があります。受験の失敗、失業、倒産、離婚、病気の苦しみ人間関係のつまずきなどです。そして、多くの人が決定的な打撃を受けて立ち上がれなくなるのを見ることが多々あります。私たちの周囲にそのような人はたくさんいるのではないでしょうか。昔から日本にある諺に「七転び八起き」というのがあります。これは、人間の頑張りに訴えて、奮起を促しているという面があります。「七回転んでも、頑張ってもう一回起きるんだよ!」ということを言っているわけです。人生の試練に直面しても、挫けないで頑張りなさいということを教えているのだと思います。

●「正しい者は七たび倒れても、また起き上がるからだ。悪者はつまずいて滅びる。」(箴言24:16)。

 しかし、この箴言のみことばの「七たび」というのは、「七」という回数を言うのではなく、ヘブル語の「七」は完全数を意味しますから、「七たび倒れる」といのは、完全な「ノックダウン(knockdown)」の状態であります。完全に打ちのめされても、どんなに頑張っても、奮起しようとしても、もう二度と起き上がれない状態を意味しているのであります。それにも拘わらず、聖書は「また起き上がる」と言っていますが、これは、どのような意味なのでしょうか。この「正しい者が起き上がる。」というのは、日本の格言とは根本的に違うものなのです。

 つまり、ここでいう「正しい者」というのは、正しい神を認め、信仰に生きる人のことであり、新約時代に当てはめれば、キリストの十字架の贖いの恵みによって、罪赦され、義(正しい)と認められた人のことです。このように神に正しい者と認められた人は、神に全幅の信頼ををもってより頼む人のことであります。キリストの中に罪の赦しを見出す人は、罪に汚れた過去から立ち直ることができます。また、キリストの中に完全な愛を見出す人は、千万人の敵の中でも、立ち上がることのできる人なのです。

 日本の格言七の「七転び八起き」は、人間の頑張りと努力に訴えて奮起させようとするものですが、しかし、人間のがんばりには、限界があります。人間は、誰でも色々な苦しみや悲しみに押し潰されそうになり、立ち上がれない状態になることがあります。人間には、非常に強い面もありますが、どんなに努力しても辛抱しても、そこには自ずから限界というものがあります。しかし、神を信じより頼む人は、エネルギー(Energie)の根源が自分の頑張りや忍耐力にあるのではなく、無限の力を持つ全能の神につながっている人です。

 そのような人は、人間の努力やガンバリでは二度と立ち上がれないほど、完全に打ちのめされても、神の力によってまた立ち上がることができるのです。全能者である神に、どこまでも信頼する人は幸いな人であり、もう立ち上がれないという状況になることはないのであります。新約時代にの、有名な使徒パウロの生涯において、その実例を見ることができます。パウロの信仰生涯においては、何度も、何度も、四方八方から苦しめられることがありましたが、窮することはありませんでした。途方に暮れてしまうような試練がありましたが、しかし、行き詰ることはなかったのです。

●「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。 」(コリント人への第二の手紙4:8,9)。

●「‥‥私は慰めに満たされ、どんな苦しみの中にあっても喜びに満ちあふれています。 マケドニヤに着いたとき、私たちの身には少しの安らぎもなく、さまざまの苦しみに会って、外には戦い、うちには恐れがありました。 しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、‥‥私たちを慰めてくださいました。」(コリント人への第二の手紙4~6)。


 パウロは、このみことばにもありますように、精神的にも何度も何度も打ちのめされそうになったことがありましたが、神が彼を慰め、立たしめ、奮起させてくださったのであります。パウロは、倒されるようなことがあっても、滅びることはありませんでした。また、彼の宣ベ伝えているキリストの福音も滅びることがありませんでした。

●「私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。 ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、 むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。 幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、 労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。 」(コリント人への第二の手紙11:23~27)。

 パウロのこのような告白を読みますと、迫害や飢えやその他数々の試練に遭い、パウロがいかにひどい苦難と過酷な逆境を経験したかを知ることができます。まさに、それは壮絶なクリスチャンの生涯でありました。しかし、そのような状況にあっても、パウロは絶望することなく、主は、そこから彼を救い出し、再起させてくださったのです。その生涯の間、パウロを支えてくださったのは真実なる神なのです。

●「わたし(キリスト)は彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。 わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。 」(ヨハネの福音書10:28,29)。

 このようにパウロを強くしたのは、神を信じる信仰のみであります。確かに「倒されても決して滅びることがない」人生であったのであります。キリスト信者が倒されても倒されても、また、起き上がることができるのは、キリストを信じて永遠のいのちを受け、死んでも復活するという永遠の希望を持っているからであります。このような「決して滅びることがない」という約束は、キリストを信じる者に強い確信を与えるのです。彼は、信仰によってこの世の単なる幸福やご利益を求めていたのではなく、真の確信と永遠につながる希望があったのです。

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