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なぜか北朝鮮に核廃絶を呼びかけない日本の反核運動

2017年08月19日 | 政治社会問題
長崎市長も9条信仰者も同じです=思考停止。

祝詞のように毎回同じことを言うだけで具体的な防衛政策の提言や核なき後の世界情勢<<核がないなら通常兵器で戦争が氾濫する=核抑止がなくなるので>>などと言うことが分析できない。

情緒反応、、、骨髄反応なのです。




なぜか北朝鮮に核廃絶を呼びかけない日本の反核運動
8/16(水) 6:15配信 JBpress
なぜか北朝鮮に核廃絶を呼びかけない日本の反核運動
長崎の平和公園(資料写真)
 8月9日の長崎「原爆の日」、朝日新聞に掲載された田上富久・長崎市長の「平和宣言」を米国の首都ワシントンでじっくりと読んだ。内容は核兵器廃絶への訴えである。

 ワシントンでは今、北朝鮮の核兵器にどう対応するかが必死で論じられている。超大国の米国にとっても、北朝鮮の核は「明白な危機」とされる。まして日本にとって、北朝鮮の核武装はまさに目の前に迫った脅威だろう。核兵器の廃絶を訴えるならば、北朝鮮の核兵器廃絶を最優先で求めるべきである。

 ところが長崎市長の宣言に北朝鮮の核兵器への言及はなかった。世界にとって最も切迫した問題である北朝鮮の核の危機には一言も触れていない。代わりに強調されていたのは、日本国政府への非難だった。

 違和感を禁じえなかった。日本にとって目の前の脅威である無法国家の核武装をなぜ非難しないのだろう。

■ 核廃絶に向けた具体的な政策は? 

 私は被爆者やその家族の方々の苦しみを人一倍理解し、同情を寄せているつもりだ。

 1994年に私は米国のCNNテレビの討論番組に出演し、「長崎への米軍の原爆投下は、きわめて非人道的な戦争犯罪だ」と主張したことがある。CNNの「クロスファイアー」という人気討論番組だった。番組には広島、長崎両方の原爆投下ミッションに参加したチャールズ・スウィーニー退役将軍が登場した。司会は元大統領首席補佐官のジョン・スヌヌ氏だった。

 米国側の参加者たちは、「徹底抗戦する日本に対して本土上陸作戦での大被害をなくすために、原爆投下で降伏を早めることが必要だった」という意見を述べた。私はそれに対して核兵器の非人道性を強調しながら、以下の趣旨を述べた。スピーディーなやり取りの討論番組なので、一段と熱を込めて話したことを覚えている。

 「原爆投下の時点では、アメリカ側はもう日本の降伏を確実だとみていた。ソ連の参戦もあり、特に2発目の長崎への投下は、戦争の早期終結が目的ならば不必要だった。もし日本側に原爆の威力を示すことが目的ならば、無人島や過疎地に投下すれば十分だったはずだ。合計20万以上の民間人の犠牲は、戦争継続の場合の戦死者の予測数では正当化できない」

 米国の原爆投下に対する私の基本的な考え方は今も変わらない。

 その点を強調したうえで、日本側の「平和宣言」や「反核宣言」への違和感を説明したい。

 長崎市長の今回の「平和宣言」は、日本の核抑止政策や世界の安全保障政策を非難している。それならば、核廃絶に向けた政策を語るのが自然だろう。ところがその政策論がない。

 長崎市長は、「核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々」に「核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください」と述べる。また、日本政府に対しては「核の傘に依存する政策の見直しを進めてください」と述べていた。だが、これらの記述はいずれも政策論ではない。ただ「してください」と訴えるだけで、安全保障政策を変えるプロセスも代替政策もまったく示していないからだ。

 一方、ワシントンではトランプ政権を中心に、北朝鮮の核の脅威をどう抑え、どう取り除くかについての政策論が、経済制裁から軍事攻撃まで具体的に展開されている。戦争の危険までを冒して北朝鮮の核兵器開発を阻もうというのだ。他方、長崎市長は単に現実の政策を「見直してください」と訴えるだけである。


■ 核廃絶につながらない「核兵器禁止条約」

 そこでは当然、2つの疑問が浮かんでくる。

 (1)日本の被爆者の訴えを、どのように北朝鮮や中国の核兵器廃絶へ結びつけるのか。

 (2)日本の安全保障から米国の核抑止の保護を排した場合、北朝鮮や中国の核兵器の脅威からどのように日本を防衛するのか。

 まず(1)についてだが、長崎市長は、「被爆者が長年積み重ねてきた努力」によって「核兵器禁止条約」が採択されたという。核兵器禁止条約は今年7月、国連全加盟国の6割に相当する122カ国の賛成で採択された。

 この条約はその名のとおり核兵器の保有も実験も導入もすべて禁止している。だが、強制的な力はない。

 核保有国はどの国も、自国や同盟国の防衛のために核兵器を保有しているのであり放棄や破棄は絶対にできない、という立場を明らかにしている。そのうえで核保有国は今回の条約に対して次のような声明を出した。

 「この条約は国際的な安全保障環境の現実を無視しており、1つの核兵器の削減にもつながらない」(米国)

 「わが国の安全保障政策は核抑止に基づいている。核の放棄は弱さを認めることであり、この条約には署名も批准もすることはできない」(フランス)

 「この条約ができても、わが国が核兵器について負う法的な義務にはなんの変化も起きない。いまの国際情勢下でこの条約は認められない」(イギリス)

 長崎市長は日本政府に対して「核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません」と非難している。だが以上のとおり、核兵器禁止条約は核廃絶という目標からすればまったく無力であるというのが現実なのだ。

 (2)について述べるならば、長崎市長の宣言が指摘する「核の傘」とは、米国による日本への拡大核抑止のことである。もし日本が北朝鮮から核攻撃をかけるぞと脅された場合、米国が核戦力で北朝鮮に報復する、あるいは報復するぞと構えて、抑えつける。そんなメカニズムが「核の傘」として日本の安全保障を支えている。

 だが、長崎市長の主張するように日本が米国の「核の傘」を排すれば、北朝鮮、さらには中国のような核保有国の核の威嚇に対してなんの対応や防御の手段もなくなってしまう。それで国家の独立や自主性が保たれるのだろうか。

■ 世界の現実から目をそらしてはいけない

 過去70年、広島や長崎で核兵器の廃絶をどれだけ叫んでも、現実の核兵器の削減や廃絶につながることはなかった。反核運動は、その現実から目をそらさず、もっと論理的、合理的に進める必要がある。

 もし、日本が真剣に核兵器の削減や不拡散を求めるならば、まず何よりも北朝鮮の核武装を最重点の抗議対象とすべきだろう。同時に、核戦力の強化を進める中国にも強く反対すべきである。だが、日本の反核運動はそんな動きはみせていない。北朝鮮や中国を非難する声はなぜか聞こえてこない。

 国連の核兵器禁止条約に対して日本政府は明確に反対を表明した。岸田文雄前外相や別所浩郎国連大使ら政府当局者たちは「米国の核の傘に依存する日本が核兵器全面否定のこの条約には賛成できない」「北朝鮮がこんな状況なのに、核保有国の存在を認めない条約には絶対に反対だ」と語っていた。

 この種の発言は、国内の反核勢力から、核兵器自体の容認や核戦略への同調、さらには被爆者たちへの冒涜だとして曲解されることが多い。実際に朝日新聞(8月10日付)は安倍首相が核兵器禁止条約に賛成しないことを非難して、「長崎の被爆者、首相に『どこの国の総理か』」という大見出しの記事を載せていた。だが、日本の安全保障における「核の傘」の効用を無視して、その無条件の放棄を訴えるスタンスこそ「どこの国の新聞か」と反論されても不思議はないだろう。

古森 義久
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