大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です。多くのジャンルをさすらいます。

『七人の侍』のコーラス

2017年07月01日 | 映画

先日の高校のクラス会では、映画についての話もあった。

それは旧姓橋本さんと言う方からで、『七人の侍』の時、学校に黒澤明が来て、選ばれて撮影所に行ったというのだ。

ただ、出演ではなく、コーラスだったというのだ。

                           

黒澤監督は、「昔の日本人的な少女がほしい」とのことで、彼女は色白面長なの日本的な顔だったので、世田谷の学校から選ばれたのだそうだ。

ただ、『七人の侍』に少女たちのコーラスがあったどうか、私には記憶にないのだが。

彼女は、コーラスをやったと言っているので、録音したのは間違いないと思う。

当時はよくあることだったが、撮影や録音しても、編集段階でカットしたのはいくらでもあったので、カットされてしまったのだろうか。

 

 

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9 コメント

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Unknown (隆)
2017-07-04 19:36:42
これは、管理人さんは戦前の事だと書かれていますが、勘兵衛の女房役の七郎次の態度といい、戦国時代の末期の話で、彼ら侍たちに軍事文化があっても不思議ではないとの評論もありますね。

侍達が自身の腕っぷしで成り上がるより、下剋上が否定されているところは、戦国らしからぬもので、戦前とのご意見も最もだと思います。勘兵衛らは勝つには勝ったが、失ったものが大きかった。侍の歌のボーカル曲で、「哀れは誰独り変わりなく」という楽曲の事がどうか分かり兼ねますが、サラリーマンの侍、江戸時代に入る時代の勝ち組と、浪人達西軍の負け組との間には、大きな差があったのでしょう。ですが、戦国の風雲物語ではなく、江戸時代の平和な時代にこそ、こういった美談は評価されると思います。戦国の他者への思いやりと美談への評価のない、猛々しい気風がまだまだ抜けない時期に勘兵衛達の活躍があった事は、運が無かったのでしょう。
戦前ではありません (さすらい日乗)
2017-07-05 09:33:51
あれは太平洋戦争のことです。

実際に百姓の一人として出た加藤茂雄さんは、「黒澤のような指揮者がいたら、戦争全体には勝てなくても一矢は報えたのではないか」と言い合って皆撮影に参加していたそうです。
この頃までの黒澤には、太平洋戦争に従軍しなかった贖罪意識があったのです。

詳細は、拙著『黒澤明の十字架』(現代企画室)をお読みいただければ幸いです。
削除します (さすらい日乗)
2017-07-05 20:24:03
意味不明なコメントなので、削除します。
もっとお勉強してください。
どうぞよろしく。
Unknown (隆)
2017-07-06 15:03:46
「七人の侍」が、戦前なのか戦国なのかをめぐっては、貴方とは対立しているようですね。

僕は戦国だと思いたいのですが、あれは映画評論家の町山智浩によれば、関ヶ原が起きた時代に近いという事ですが、僕は、戦国初期だと思います。理由は前文で挙げたように、乱世こそが、美談を評価しないという事です。それから、統一によって戦争が無くなった時代にしては、農民が大名を頼る行為が観られない事で、江戸時代になっても農民は一揆を起こすなどして、決して平穏な暮らし、治世によって税の負担が大きく減った、という事がないという事でしょう。

戦国は、侍達が野心のままに、戦争を起こした時代で、農民たちが、その地方を治めているはずの大名を頼らない事は、権力を警戒しているというようにも観えるわけです。だから、関ヶ原の大勢が決した時代にしては、無秩序で自由過ぎるのではないか、という事です。街を散策する侍達の風景からは、戦国の気風が観られると思います。

戦前ならば、農民たちが自発的に侍を雇った、つまり、戦争を望んだのは、自衛目的とはいえ、農民たちの側だった、という事はどう説明するのでしょうか。
戦前ではなく戦中です (さすらい日乗)
2017-07-07 08:46:28
戦前ではなく、戦時中のことだと思います。

町山さんがどう言っているか知りませんが、映画で描かれた世界と作者が言いたかったことは、必ずしも一致するものではありません。
だから、戦国の初期だっとか、後期だとかはまったくどうでもよいことです。単に世界を借りただけだと思います。人形浄瑠璃で言えば、『仮名手本忠臣蔵』は、赤穂事件を足利時代のことにして描いています。その意味で言えば、この映画の世界を時代考証しても意味はありません。

私が言いたいのは、本当に黒澤明が何を描きたかったかなのです。
Unknown (隆)
2017-07-07 18:23:35
戦争である事は間違いないでしょう。それが、戦争の勝利によって締めくくられた戦国こそが戦争を描くのに適していたとは思います。敗戦を経過した戦前は暗いです。

野武士は、およそ人間として描かれず、平和の敵のようですが、野武士の視点を描かない事は、黒澤映画の純粋な正義に関する思想が観える処だと思います。一度、戦争をすれば、殺戮し尽すまで、戦争は止まない。余りにリアリズムに徹したがゆえに、いくらでも深読みが出来る、だから、メッセージはあって、受け手次第だと思います。
歴史をきちんと勉強してください (さすらい日乗)
2017-07-07 20:50:19
「敗戦を経過した戦前は暗い」というのは、結果論に過ぎません。
戦前には、トーキー映画、ミュージカル芝居、プロ野球、娯楽小説、セックス産業、ラジオと、今ある大衆文化は全部あり、なかったのはテレビとネットくらいです。

基本的人権や言論の自由がなく、天皇制下の監視国家だったのでが、それなりに明るい時代だったのを破壊したのが太平洋戦争なのです。
エノケンやロッパの映画、音楽を見ればよくわかるでしょう。
そのようですが (隆)
2017-07-08 10:27:02
戦前は戦争を起こしてからは明るいとは言えないでしょう。世界恐慌は、国民にも大変な出来事だったと思います。戦争を起こしてからの事を言っていますし、「七人の侍」はそういう状況でしょう。

僕は、この作品は脚本段階での構想は時代劇だったと思うのですが、余りに大作であったために、現場の熱狂が高まり、その「明るさ」という中で、黒澤が戦前を思い起こしたのではないかと思っています。
長くなったので (さすらい日乗)
2017-07-08 20:59:58
別に書きましたのでよろしく。

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