指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

都知事選挙で一つだけ良かったことは・・・

2016年08月08日 | 東京

今回の東京都知事選挙で良かったことが一つだけある。

元知事の石原慎太郎が、「厚化粧の大年増」発言に見られるように、完全に現在の時代とかけ離れたセンスの人間であることが暴露されたことである。

戦後の日本の文化を良くも悪くも「リードしてきた」この男が、実は非常に古臭いセンスと思想の男であり、もう用済みの、時代とは無縁の人間であることが証明されたことである。

                                                          

 

その原因は、彼の父親が「土方相手に怒鳴っている親分」、『蟹工船』のような材木船の船長だったことに由来しているはずだ。

石原慎太郎の都知事としての実績など、ジーゼル車規制と羽田空港の国際化くらいしかない。

新銀行の破たん、尖閣諸島の国有化のやらなくてもいいことを起こしてわざと日中関係を悪化させたこと、銀行税の裁判での敗北など、失敗は数多い。

さらに東京五輪の無理やりの誘致とその運動の際の、子供の使用など、東京五輪問題のほとんどすべては、最初の慎太郎の誘致が、3期目に出るときに目玉事業がなかったことから無理に掲げたことが間違いの元なのである。

2020年の五輪で何を世界に言うかを考えたとき、リオ五輪の環境問題へのメッセージに比べて今の日本に何があるかと思うと、非常に心細くなってくる。

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『剣・縄張(しま)』 加藤泰

2016年08月08日 | 映画

青柳信郎のテレビ映画会社のC.A.Lの製作で、読売テレビで放映されたもので、東映京都で撮影されたようだ。

               

 

江戸で、女の魚屋・河村有紀が一人で暮らしている。

周囲からは、1年前に行方知れずになってしまった風来坊亭主の緒形拳のことなど、もう諦めろと言われるが、河村は緒形は必ず自分のところに戻ってくると信じている。

だが、緒形は江戸にもどってきていたのだが、矢場女の沢淑子のところにいるのだ。

店の女宮本信子が教えてくれて、河村は沢と対決するが、緒形は「このすごい剣を手に入れたので、絶対に勝って親分になってやる!」という。

河村は、15両の金を貯めていて、これで大阪に行って暮らそうと言い、一度は緒形も同意する。

だが、緒形を親分の敵と狙う小林昭仁や土方弘らが追いかけてくる。

緒形は、この剣で勝つと戦うが、ポキッと折れてしまう。河村が、剣を傷つけていたのである。

惨殺された緒形の死体を抱き、河村は言う、

「これであんたは、私のものだ!」

ドラマ性が少々過剰だったが結構面白いドラマだった。

 

だが、この沢淑子が、このころからずっと加藤泰の愛人だったのだから、事は複雑に見える。

これは、加藤泰の本妻(森栄)に対する、沢淑子と同棲していることの、言い訳ではないかと思えたからだ。

この前に上映された、満映で加藤が最初に監督した『虱は怖い』 は、アニメーションも使っている記録映画で、後年の加藤の過剰なドラマ性が少ない作品だったが、気が付くと寝ていた。

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鶴田浩二は、高田浩吉の真似だった

2016年08月08日 | 映画

土曜日は、大岡地区センターで「魅惑の国・ブラジルの音楽」をやったが、松竹の『七変化狸御殿』のレビュー・シーンも上映し、高田浩吉が『伊豆の佐太郎』を歌った。

日曜日は、のんびりとフィルムセンターで、久しぶりの加藤泰監督の『明治侠客伝・三代目襲名』を見た。

後の、『緋牡丹博徒』シリーズのような様式性は少なく、かなりリアルな映像の展開だった。

主役は言うまでもなく鶴田浩二だが、彼の仕種、表情、演技の決まり方などは、高田浩吉に非常によく似ていることにあらためて気づいた。

それは当然なのだ。

鶴田浩二は、もともとは高田浩吉劇団にいて、芸名も高田浩吉にちなんだものなのだからだ。

                    

芸事は、俗に真似から始まると言われており、学ぶは真似ぶことだとも言われる。

鶴田浩二が高田浩吉をまねているように、勝新太郎はもともとは長谷川一夫の真似だったのである。

歌舞伎の世界では、襲名と型の継承が行われているが、これも言うまでもなく真似ることの継承である。

二人とも大変な二枚目であり、歌う映画スターであることも共通している。

ただ、違うのは、高田浩吉は品行方正だったのに対し、鶴田浩二は、数多くの女性と浮名を流したことで、ここは大いに違うところだった。

 

 

 

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伝統芸能と現在形のドラマの差

2016年08月08日 | ブラジル

昨日の午前中は、リオ・オリンピックの開会式を見るが、さすがにブラジルだけあり、全編に音楽が散りばめられていた。

ゼゼ・セッチ・カマルーゴ&ルシアーノも出ていたが、NHKのアナウンサーは触れず。ブラジルと言えば、ボサノーヴァとくるが、本当はブラジルで一番人気なのは、セルタネージャという地方的な音楽なのである。

カエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジルなども出てきて、最後のピアノはトム・ジョビンの孫だった。トム・ジョビンは、非常に尊敬されていて、リオにはトム・ジョビン空港もあるくらいだ。

かなり長いイベントだったが、生物の誕生から人類とブラジルの歴史を豊かな色彩で描いたのはすごかったと思う。

                           

                 

これに対して4年後の東京五輪では、誰が演出して何をアピールするのだろうか、今の日本に世界に言うべきメッセージってあるの?

午後は、弘明寺の大岡地区センターで、「魅惑の国ブラジルの音楽」

我々が初めてブラジルに触れた『黒いオルフェ』の映像から、ルイス・ボンファ、ボサノ―ヴァ第一号のジョアン・ジルベルトの『デサフィナード』、さらに少し戻ってディック・ファーニーの『死ぬほどサウダージ』

これらはボサ・ノーヴァの序章のようなもので、実はブラジル発で世界中でヒットしたバイヨンが出てくる『カンガセイロ』 これは昔、ポルトガル語を習っている時に、高木考先生にもらったビデオ。

日本では江利チエミがバイヨンを歌っているのだが、映画『七変化狸御殿』で、美空ひばりが歌っているのには、堺駿二の踊りの上手さと共にみな驚嘆。

セルタネージャの映画『フランシスコの二人の息子』を部分上映し、こういう「演歌的」な音楽が実はブラジルのメインストリームであることも紹介する。

最後は、MPBで、ガル・コスタとトム・ジョビンのそれぞれのライブ映像。

この講座のテーマは、ブラジルの多様性だが、音楽でも同様であることは、お分かりできたと思う。

 

そして、今朝は甲子園の高校野球の開会式を見るが、これは日本の「伝統芸能」である。

                          

 

ナチス式敬礼がないのが良いが、何十年も変わらぬ儀式であり、日本人はこういう儀式性が大好きなのである。

つまり、ブラジルの現在形の音楽とドラマと日本の伝統芸能の差異だった。

 

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