狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

臍の日の粗餐

2009-06-30 21:42:26 | 日録
         

「今日は臍の日よ」と妻が作ってくれた拙宅の粗餐である。
「?」ボクはこの詞を知らなかった。
今朝の朝日新聞の「天声人語」を彼女は真っ先に読んだのである。

「六月三十日(みそか)は年の臍(へそ)」と言う。一年もちょうど半ばの今日を、体の真ん中にあるヘソにたとえた。人の世が雨に煙る季節に、「人間」を語って重い今月の言葉から▼沖縄は23日に「慰霊の日」を迎えた。浦添市のトーマ・ヒロコさん(26)は、この日をめぐる沖縄と本土の意識の差を詩にした。その一節に〈祖母が生き延びてくれたからこそ/自分がいるということ/噛(か)みしめながら顔を洗う〉。島では4人に1人が戦火に消えた▼元イスラエル将校のノアム・ハユットさん(30)が大阪で講演した。パレスチナ人を「荷物」と隠語で呼んでいたという。「人間としての感覚がマヒし、殺人機械になっていた」。祖国から「裏切り者」という批判も受けながらの良心の発露である

因みに「広辞苑」にこの語彙はなかった。
なるほどなと納得し、妻が作ってくれた午餐を黙々食べたのであった。了。

六月十日

2009-06-10 20:36:00 | 反戦基地
            

1945年6月10日。この日が日曜日であることは今でも忘れられない。
そして、その日の朝は、2009年の今日と同じような曇天であった。添付写真は畏友Y氏の著書から借用した。空襲で炎上するその日のT航空隊の貴重な写真である。
加納誠氏提供とあるが、ネット検索では特定出来る氏の項目はなかった。
当時の状況のすべての再現は、少年だった私には到底出来得る事ではないが、直面した爆撃の後の惨状の部分部分は言語に絶する。不幸中の幸いは日曜日の朝で、学童も教師も校舎内には一人もいなかった。学童は400人ぐらいいた筈。もしもという仮定を想像すれば大惨状になったに相違ない。今でも夢に見ることがある。
町史によると、(戦後の合併で町になった)合併前の我が村の死者23名。負傷者25名、家屋全壊24棟、半壊60棟以上。爆弾投下穴跡156以上とある。
 爆撃は、町史などの記載は、爆撃現場近くにいた方の思い出話で、正確を欠いている部分も少なくはない。
 この数字は民間側だけの数字で、航空隊では281名の少年航空兵の命を失い、負傷者115名(病院収容後26名死亡)という数字からも当日の惨状は想像出来よう。

五月の新聞切り抜きファイルから

2009-06-02 18:09:48 | 日録
安易な投稿になるが、5月の新聞切り抜き帳から、3つの北朝鮮関連の朝日新聞記事をコピー引用した。

①『田原氏・テレ朝 
家族会に謝罪ー拉致被害者めぐる発言』

 ジャーナリストの田原総一朗氏がテレビ朝日の番組でした発言を巡り、拉致被害者の家族連絡会が「被害者の死亡を既成事実のように発言した」として田原氏と同社に抗議した問題で、同社は家族会に「不快の念を抱かせ 誠に申し訳ない」などとするプロデューサー名の文書を送った。

 田原氏は4月末の「朝まで生テレビ」で、横田めぐみさんら2人について 「外務省も生きていないことは分かっている」などと発言した。田原氏は 「人の生死に関する問題を、具体的な情報源を示すことなく発言したことは 深く反省している。横田さんたちが生きていることを心から望んでいる。
言葉が足りず、大変申し訳ない」と話している。(5月19日付朝日新聞社会面より)

②『蓮池徹さん、制裁路線から転換
対北朝鮮「圧力だけでは解決ない」 拉致問題で新著』

 北朝鮮に拉致され、02年に帰国した蓮池薫さん(51)=写真、関口聡撮影=が、「北朝鮮への制裁路線の見直しを」と訴える著書「拉致 左右の垣根を越えた闘へ」(かもがわ出版)を出版した。以前の強硬姿勢からの大きな変化で、波紋が広がりそうだ。
透るさんは97年の発足時から拉致被害者家族会の事務局長を務めた。救出運動の先頭にたち、「対話より経済制裁を」と訴え続けた。
転機の一つは04年5月の小泉元首相の再訪朝。家族会の他のメンバーは「幕引きに使われる」と反対したが、透さんは「現状打破には訪朝も必要」と考えた。薫さんの子ども2人はこのとき帰国した。
更に大きかったのは薫さんとの対話だ。日朝両国を知る薫さんの分析にふれ、論議の中で「北朝鮮は一筋縄ではいかない国。単純に圧力だけでは被害者は帰ってこない」と考えるようになった。強硬姿勢だった時期について、「時間をとって冷静に考える余がなかった」と言う。
出版に至った理由は、拉致問題が未解決のため、依然としてどこか不自由な生活を送っているように見える薫さん一家の存在という。「家族が帰ってきたお前は黙っていろ、という声も耳に入るが、蓮池家にとっても問題は全く終わっていない。閉塞状態を打破する議論のたたき台にしてほしい」と話す。
透さんは05年には事務局長を辞め、現在は家族会と行動を共にしていない。(大谷聡)
○「圧力が一番の道」
家族会の増元事務局長増元事務局長
現在の家族会事務局長の増元照明さん(53)[北朝鮮への厳しい対応、北朝鮮への一番の道という考えに変化はない」と話す。78年に24歳で拉致された姉のるみ子さんについて、北朝鮮は「死亡した」と伝えてきた。
家族を取り戻すために運動してきて学んだ信念として、「制裁で厳しい姿勢を示し、すべての拉致被害者を返さざるを得ない状況を作る以外にない」と考える。
蓮池さんの意見については、「彼は自分の家族が皆帰ってきたころからから変わった。かつて一緒に活動していた彼が、我々家族会の方に意見を言うのではなく、いきなり世の中に意見を出すことは寂しい」と話している。(5月24日付朝日新聞)
  
③『既に核持つ国をまず心配せよ
       留学生 李柄官(東京都板橋区33)』

 私は韓国の留学生で、北朝鮮の核実験はもちろん、それに対する日本の反応についても心配なことがある。国連安保理の決議に違反し、周辺国に脅威を与える北朝鮮は非難されて当然だ。しかし、なぜ核をめぐる日本の非難が北朝鮮にだけ集中するのか、これが不思議でならない。
日本はいま現に存在する核兵器より、実験の段階の核兵器を心配しているように見える。日本の近くには、現実に核兵器を持っている国々があるが、日本が非難する対象はまず北朝鮮で、ほかの核保有国は信じられるとでも思っているのだろうか。
世界で核兵器を受けた唯一の国である日本が敏感に反応することは理解できる。が、北朝鮮が話題になると、必ず大騒ぎになるのはちょっと問題だと思う。今回の核実験の後、「絶対に許せない」という声が上がっているいるが、まだ実際に使える核兵器を持っていない北朝鮮だけを絶対許せないというのは、どこか変だ。
本気で核のない平和な世界を求めるのなら、最大の核保有国である米国などに対し、きちんと主張し、いまある核を無くす努力から、しっかりやっていくべきだ。(5月30日付朝日新聞声欄より)