狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

秋田にて

2008-09-17 20:13:16 | 日録
1昨年近隣にお住まいのT兄から、曼珠沙華の球根を沢山頂いた。それを屋敷の塀沿えの空き地に植え、去年は見事な花を咲かせたのを、稲刈りが始まったので急に思い出した。
この花は、毎年稲刈りの時節になると、ある日突然芽をニューッと出してくる。
見に行ったら、少し先にある他人の屋敷の土手沿えに赤い色が見えた。
「やっぱり…」数日前は全く気がつかなかったのに。
しかし、ウチのやつはさっぱりその気配がない。
じーっとよく捜したら、5センチほどの芽が1本だけ顔を出していた。
付近を捜すと、小さな芽が、方々に出かかっている。たぶんこれがあと数日で赤いエキゾチックな華をつけることになるであろう。
              
田の畦や、寺や墓地などに自生するので、屋敷に植えるのを嫌う向きもある。まして有毒植物とも言われているので、なおさら嫌われているのではあるまいか。
秋の季語である。角川俳句歳時記に次のように記されている。
曼珠沙華(彼岸花)
彼岸花科の多年生草本。有毒植物の一で、山麓・堤塘・路傍・墓地などに生える。地下の鱗茎から30センチぐらいの花茎をのばし、赤色の焔のような花をいくつも輪状に開く。花後、新緑色の細長い葉が出て、翌年3月に枯れる。多く墓地などに、葉がないのに艶容な花を開くので、死人花・幽霊花・捨子花などという不吉な名があるが、決して不快な花ではない。曼珠沙華は、赤色を表す梵語だという。

              








顕彰碑

2008-09-09 22:06:45 | 日録
               
この顕彰碑は、昔この村の村長だったY氏の表徳碑である。
碑文はカメラからでは読み取れないので、町で発行した明治100年記念誌「わが町の生い立ち」(昭和43年11月発行)に載っている「人物」から引用してみる。

 
Y氏は安政3年(1858)1月28日、この村の旧家に生まれ、若くして村の公職についている。即ち28歳の時、S聯合村戸長となり、明治22年(1889)6月には、38歳にして初代の当F村長に就任した。以来再任され続けて大正6年(1917)7月まで、実に29年間、村の基礎づくりに挺身したのであった。
 この間、教育、衛生、土木勤業、納税、観倹貯蓄の奨励、学校基本財産の増殖、風紀の改善等、あらゆる施設に功績をあげ、村の基盤を確立したのである。
 この地方自治に対する永年の功績により、大正4年(1915)10月31日、藍綬褒章が授与されたのであった。
 Y氏は資性温厚、事に処して公平、そして瓢逸なところもあったから村民に親しまれて、永くその村政に当たる事が出来たのであろう。
 ある夜、家宅に盗賊が押入った時には、これに餅を馳走して放免した話や、K海軍航空隊を視察に台臨された皇族に謁見した時、左手を挙げ、挙手の礼をして叱られた(実は右手は中風気味で挙がらなかったのだが)話など、幾多のエピソードが家族や村民の間に語り継がれている。
 Y氏は、村長を辞任してからも悠々自適して昭和13年(1938)2月15日没するまで83歳の長寿を保ったのである。大正7年(1918)には、その功績を顕彰するため、村の有志によって表徳碑が茨城県知事力石雄一郎篆額、宮寺美成の撰文によって建立されたのであった。

数日前(9.5)村を散策して携帯電話のデジカメで撮った。この日まで気がつかなかった事だが、碑の左上部に接着剤で補修の跡がある。
この碑の後方は村の小学校であった。
昭和20年6月10日、米空軍B29の爆撃で、校舎は直撃、至近爆弾で壊滅した。この日は日曜日だったので、児童は登校しておらず、大惨事は免れたが、付近住宅には火災も起き、多数の死者を出した。
この碑の欠けた部分は、その日の爆撃によるものである。
まだ接合してひと月と経っていないだろう。欠けた部分が何処に保存してあったのか、その話は今迄聞いたこともなかった。

遂にやったか

2008-09-02 07:27:15 | 日録
         
テレビを殆ど(全くと言っても差し支えないほど)見ない小生は、福田首相辞任のニュースは、今朝の新聞記事で初めて知った。
最大の中抜き活字が並ぶ。
  福田首相辞任
   『国会運営手詰まり
     2代連続政権放棄』という副題見出しが続く。
 何故かボクには安倍首相辞任の時のような怒りも、感激も湧かなかった。むしろ同情した。
日中関係や、インド洋でに給油活動に思いを馳せた。オレですら国の行方を考えていることを確認できた。

 ボクはブログばかりでなく、日記を書いているので、久しぶりに去年一年前の8月、9月に再開した。乱れに乱れた阿倍内閣だった。
2007年9月3日には、次のような「コピペ」がある。

[朝日新聞社説]
農水相辞任―これが自民党の出直しか
出直しをかけた内閣改造から1週間しかたたないのに、またも閣僚が不祥事で辞任することになった。
 遠藤武彦農水相が組合長を務める農業共済組合が、国から補助金を不正に受け取っていた。その責任をとってのことである。安倍内閣の閣僚交代は、改造前から通算してじつに5人目になる。
 農水相だけではない。岩城光英官房副長官、坂本由紀子外務政務官らについて、政治資金収支報告書の虚偽記載の疑いが相次いで発覚している。坂本氏も政務官を辞任する。
 しょっぱなからつまずいた政権を立て直すのは容易ではあるまい。
 遠藤氏の組合は、99年産ブドウの被害を補償する農業共済の加入者を水増しして申請した。掛け金は加入者の農家と国が折半することになっており、この水増しで組合は国の負担分115万円の補助金を不正に受給した。
 国を相手に、税金をだまし取る詐欺行為――。そう言われても仕方がない。
 巨額の光熱水費などを追及された松岡元農水相は自殺し、後任の赤城元農水相も事務所経費の疑惑で更迭された。安倍内閣の農水相は、これで3代続けて疑惑や不祥事にまみれたことになる。
 とくに今回の問題は、いっそう深刻だと言わねばならない。農政そのものにかかわる不正だからだ。
 悪質なのは、この不正は3年前に会計検査院に指摘され、ことし5月にも改めて未処理を指摘されていたのに、いまだに補助金を返還していないことだ。
 遠藤氏自身、3年前に報告を受けていたのに手を打たなかった。「実務にはタッチしていない」と釈明しているが、25年ものあいだ組合長を務めてきて、その言い逃れはないだろう。
 日本は農業保護が足かせになって、貿易自由化の交渉を進められないでいる。農業を鍛え直すことは地域経済にとっても欠かせない。途上国が発展して食料の国際価格が上昇基調にあるいまはそのチャンスだ。それなのに農政の不在が続くとは、なんということか。
 安倍首相は、補助金の不正受給をした組合のトップを、補助金を出す監督官庁のトップに座らせてしまった。とんでもない話である。
 こんどの内閣改造の最大のねらいは、首相自身がいうように「政治への国民の信頼の回復」だった。だからこそ、参院選後に1カ月もの時間をかけて、入閣候補が不祥事を抱えていないか入念にチェックを重ねていたのではないのか。
 首相やそのスタッフは、いったい何に目を光らせていたのか。政府の機関である会計検査院も知っていた不正を、なぜ把握できなかったのか。
 調査能力以上に深刻なのは、どんなに気をつけたつもりで選んでも、結局は疑惑や不祥事から逃れられない、ということかもしれない。自民党はそういう政党なのだろう。

更に日記を読む。
《9月12日(水)Z寺副住K師の、文芸誌(小生編集同好会機関誌)に載った「ニューヨーク別院本堂 落慶1周年記念法用意参加して」の記事を読んだ。これまで一度も読んでいなかったのである。
 この記事の終わりのほうに、K師らのガイドをしてくれたというセドナの南フラッグスタッフという所に住む70歳前後の平和主義で元教師だったという老夫婦の言葉がある。
 「アメリカ人の全部が、ブッシュ大統領と同じ考えだと思わないで欲しい。戦争は憎しみを増すだけ、許すことの大切さが大事」というさわりだ。

 オレは、いまインド洋上での海上自衛隊の給油活動の審議の中で、更に安倍首相の「職を賭す」発言が交錯していた。
 その発言について、ネットでしらべようと、アサヒコムを開いて、安倍首相辞任のニュースを知る。全くの偶然であった。》
 
安倍首相は12日、麻生太郎幹事長ら複数の自民党幹部に対し、退陣する意向を伝えた。12日は午後1時から衆院本会議で代表質問が予定されていたが、「私は辞任するので、代表質問に答えるわけにはいかない」などと伝えた。臨時国会の実質的な論戦が始まる前に、辞任するべきだと判断したと見られる。午後2時から記者会見し、正式に表明する。


 夕方、今日もショッピングセンターさ行く。
 饂飩一箱          880円
 食塩            398円
 ダース(チョコレートなり) 156円
 秋刀魚3×60         180円
 大根            138円
 林檎            256円

去年の今頃、妻もパソコンも、塩梅が悪かった事を日記は教えてくれた。妻にメモして貰って買い物をした記録がある。また5月に買え代えた「Vista 」の調子が悪く、NECコンタクトセンターに修理に出した頃だった。日記が中断されていなかったのは幸いである。