狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

追懐 そば屋だった図書館長

2006-10-04 18:54:17 | 怒ブログ
『自分の家から歩いて20分以内のところにおいしいそば屋がある……最近、これが私の居を構えるに当っての理想になってきた。かつては、たばこ屋・酒屋・銭湯・それに駅に近いというのが下宿やアパートを探す目安だったが、ここまでくるとそばだなという気分が、近ごろとみに強まってきたのだ。これはおそらく、年齢をかさねるにしたがって、私の中の日本人的生理が頭をもたげてきたということだろうと思っている。そばの味は、たしかに日本人の躯の中に埋め込まれているもののひとつにちがえない。……』

これは、或る雑誌《特集 そば読本》の巻頭の松村友視の「夢見蕎麦」と題したエッセーの書き出し部分である。

当然この特集の意図するところには、特定の実在するそば屋の紹介文・写真等が載せることなのであって、筆者は自らを、『旨いそばを食べさせてくれる店が歩いて20分ぐらいのところにあればいいなと思っているというレベルのそば好き』と言いつつ、『たまにはそばの食い手のプロたちの言の葉にのぼる店に行ってみたい気持ちは湧くのであり…』と文は会津若松の「桐屋」にと導くのである。

僕のそば好きは、友人などを外食に誘ったり、あるいは誘われたりした際に、何一つ躊躇うことなく「もりそば!」と注文する程度のレベルである。とはいえ、その後のページに続く「日本のそば打ち15傑」というA4版いっぱいに撮ってある「せいろそば」の実物を見るようなそばの光沢や、器への盛り付け、また職人気質の筋金入りともいえるそば打ち風景、古風な趣のある店構えなどの写真に眼を凝らすと、僕の内の世界では新たな想像が頭をもたげてくるのであった。

もし、この《そば読本》の筆者や記者たちが、わが町のTさんが創められたそば処「そば処K」の店を訪ねたら、どういうような記事を書くことになるだろうかと、ふと思ったのである。

その店は、まことに辺鄙な住宅団地の中にポツンと建っていた。細い横道になる入り口の処に、『手打ちうどん そば』と書いた幟らしきものが2棹はためいているが、こんなところに、そば屋が存在すること自体が不思議であった。はじめてここを訪れたとき、この目印を見落としてしまい、果てしない迷路にのめり込んでしまった経験が僕にはあった。
店の前の狭い駐車場に立つと、宅地化される以前、この辺りは山林であったと思われる自然の樹木が、1叢をなしているのが目にとまる。それを巧みに生かしたたずまいは、見るからに「素朴さ」にこだわり続けたような風情である。店内に足を踏み入れると、その奥にはこじんまりとしたギャラリーが設けられていて、丸太のまま木肌を生かした数々の調度品や、煤けた天井の梁材が、ある種の気品を漂わせている。

この1室から、中国はじめ内外の新進画家や、郷土の有能な美術工芸作家たちが輩出しているのだという。

町の図書館長であった故T氏(この場合「さん」でなく、「氏」とした)は、この「そば処K」のオーナーであり、そば打ち職人であった。しかも図書館長がそば屋を創めたのではなく、はじめにそば屋ありきで、後でそのそば屋の店主が、図書館長に抜擢されたのである。

最近やたら見かけるギャラリーを兼ねた喫茶店などが、結構流行るような時代であるから、僕はT氏の道楽が、このそば処を構える理由のひとつであると思ったことがあった。
しかしそうではなかった。日曜日はいうまでもなく、図書館を退けてから氏の作務衣を着た職人姿に、図書館での「町出身作家に関る文学コーナー」「郷土文学研究会」「文化遺産研究会」へと発展させた氏の功績の原点があるなと思ったのである。

おおよその市町村の教育に関る役職や、図書館・公民館等の長の人事は、元学校長といった肩書きのある先生方の、格好の天下り先であり、まず要領のいい世渡り上手な者達で占められている現実の中にあって、Tさんの図書館長起用はまことにユニークな結果を生んだ。
それは『そば屋の主』という職業上の問題ばかりでなく、ほんの一例を挙げれば、熱烈な住井すゑの後援者であったことでも裏打ちできることではあるまいか。お隣のT市や、わが町のように、極めて保守的な風土には『橋のない川』は適していない。

かつてT市中央公民館で催された住井すゑ講演会《九十一歳の人間宣言》の時、僕も妻や友人と一緒に聴衆の中に加わったものだが、Tさんや、I隣村長たちがいち早く実行委員に伍して活躍なされたのに対し、当日この講演会の真っ先の後援者である、T市教育委員会のお偉方は、一人としてその顔を見せなかったのを、今もなほ僕ははっきりと覚えている……。

T図書館長起用の経緯について僕は詳らかではない。しかしこれは今は故人となってしまった、元町長M氏の宏量によるところ大なりと確信している。

Tさん不慮の事故に遭って亡くなられたことは、町の大きな財産を失ってしまったことを意味すると思う。あまりにも惜しい哀しい出来ごとであった。

 Tさんが亡くなられ、更に時が流れ、僕は久方ぶりの「そば処K」との再会を果した。いうまでもなく、T未亡人へ弔意をあらわすことと、その後の、ここの「もりそば」を確める意味の訪問である。
店内の隅の額縁に収められて掲げてある一枚の原稿用紙……、開店のとき住井すゑが寄せた祝辞であろう。そこにはこう書かれている。

     
ふるさとそばどころ
              住井すゑ
ふるさとへの道は暖かく、夏は涼しい……と申します。
皆さまも、お心あたりが、おありではないでしょうか。
ふるさとは、嘘をつきません。
ふるさとは、ありのままの姿と心で、人を迎えてくれます。だからこそ、ふるさとへの道は、冬は いよいよ暖かく、夏はいよいよ涼しいのです。
ここ、〝そば処K〟の主は、そんなふるさとを志して小さな店にしました。
気がねなく、いこえる空間。
お世辞はありません。嘘はなおさらのこと。
どうぞ、お心やすく、〝そば処K〟に足を運んで下さい。