コタローの奮戦日記~脊髄小脳変性症克服に向けて~

脊髄小脳変性症と診断されて10年が経ち発症して人生観が変わりました。そんな僕の過去・現在・未来について語っています

明日の通院に備えて・・・

2009年04月30日 14時49分04秒 | Weblog
明日は、午後一で月に一度の検診日である。

特別、大きな転倒をしたとか・食欲が無い・眠れない・排泄障害・等
の問題は全くなく、自律神経系は今のところ全く問題がない。
ソファーに座ってTVや読書をしていると、本当に病気なのだろうか?
と、思う事がたまにあるほど、その場で立ってみると、上手く立てない。

それで、自覚するほど、痛みや、内臓系は問題がない。

前回の診察時には、いつもの様な、書面を渡す事なく、おなじみの

『どうですか、体調は?』と聞かれ、『転ばない様に、注意をしながらの生活なので何をするにも時間がかかるけど、それ以外は問題ないです』
と答え、数種類の薬を処方してもらい、診察が終った。
久しぶりに、短時間で、病院を出る事が出来た。

ただ、明日の診察時には、聞く事・聞かなければいけない事が多いため
今、書面にまとめている。

そのレポートは明日以降に・・・

リハビリ その16

2009年04月27日 19時04分53秒 | Weblog
僕は、以前の主治医に『リハビリはどうすれば効果が良いのですか?』
と、今から6~7年前に質問をした事がある。
その当時は、SCA3の脊髄小脳変性症と診断はついていたが
障害者手帳の交付もうけておらず、健常者とほぼ同じ身体の状態で
スキップがぎこちいない位だった。
その時に、その主治医は『普通に出来る事をして下さい、それがリハビリになりますから・・・』
と、言われた事を今でも覚えている。
その当時は、病院に行って、問診を受けても、『何か身体で変わった事がありますか?』
『特別ありません』その繰り返しの会話が1年以上も続いた。

しかし、病気は小脳・脳幹の間でゆっくりと確実に進行していた。

診断から、8年経った今、有効な治療を受けない為
屋内では、手すりを使用しての伝い歩き、屋外では
車イスの生活をおくっている。

この8年を振り返ると、1年目~3年目は、疲れやすかったけど
ほぼ正常に歩けていた。4年目~6年目は歩けていたけれど
歩きそのものがしんどくなってきた。
それから杖を使用しての歩行になり、昨年の7月には
車イスを準備した。

その頃から、本格的に、リハビリ運動をした記憶がある。

脳梗塞で身体が麻痺を起こした訳でもないし、ALSという病気の様に
全身の筋力が衰えていく訳でもない。

要は、現状維持をどれだけもたせるかという、リハビリである。

運動をしなければ、そのまま、身体は衰えていく。
健常者も同じだ。
ただ、マニュアルの様なものがなく、リハビリといっても、その運動方法や回数は
個人・個人全く違う。今の僕にはどの様なリハビリが効果的なんだろう
と考えていた時、偶然にも、ストレッチの参考書の様な本を手に入れた。
題名は『ストレッチ・メソッド』という本である。

内容の7割は座ったり、寝て行なえる正しいストレッチの事が部位毎に
書かれているので、TVを観ながら、正しいストレッチ運動が出来る。
手すりにつかまりながら、体幹運動も出来る。

野球選手のイチローが3000本以上もヒットが打てるのは、
怪我をしないで試合に出続けられるからだ。
怪我をしない身体作りの基本は柔軟な身体をもっているかだ。

スチレッチは家でも出来るし、せっかく良い本に巡りあったのだから
無理しない程度に、リハビリに取り入れていきたい…。

再生医療・・・その1

2009年04月24日 17時50分29秒 | Weblog
今日の読売新聞にアメリカのスクリプス研究所で
新型万能細胞(iPS細胞)を、もとの細胞に遺伝子を入れない方法で、世界初のマウス実験に成功
をした、という記事が載っていた。
従来の遺伝子を入れた方法は、細胞の染色体を傷つけ、ガン化が起こりやすかった。

アメリカチームのやり方は、より安全性が高い、新しい方法で、再生医療に期待が高い。


少し前になるが、4/19(日)の読売新聞の3面に大きく、iPS細胞の現状が掲載されていた。

知っている方は、ご存知の山中京都大学教授が世界に先駆けて作った新型万能細胞(iPS細胞)
は、現在治療法がない病気に対する、再生医療につながるとして、世界中で研究競争が激化している
という。だが研究・開発した日本よりアメリカの方がその治療法が盛り上がりをみせており、再生医療に
力をいれている、オバマ政権のもと、日本発のiPS細胞技術も、その果実は、今や、アメリカにさらわれつつ
あるというのである。
『オバマ大統領は生命科学に理解が深く、これで再生医療が前進すると医学会は沸き立っている』
そうなのである。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)という、全身の筋力が失われていく難病・・・
今年の夏には、世界初の再生医療の患者に対して臨床試験が行われるという。
と、同時期の今年の夏にも、脊髄損傷患者8~10人を治療する世界初の臨床試験を
スタートさせる予定だそうだ。

1年前に、主治医にこのiPS細胞技術の事を質問した時には、心筋や肝臓などの臓器には適用
されると思うが、神経系には、この技術はむかないという事であったが、
上記の様に、神経難病の中でも、難解なALSや、パーキンソン病、無理だと思われていた脊損にも
この技術が適用される。

ブッシュ前大統領は、生命倫理の観点からこの件に消極的だったが、オバマ大統領になった途端に
解禁するなど、やはり、政治家の目指す観点が、これほどまでに
アメリカ大統領の権力には凄さを感じる。

何故、日本が開発した技術なのに、アメリカでこんなに早いスピードで、注目され
臨床実験が進むと言えば、ES細胞などの研究者数が、アメリカでは1000人以上、日本には100人以上と
10倍の開きがあり、研究予算もアメリカは国立衛生研究所だけでも、940億・・・
オバマ大統領は予算の上積みを決めており、研究費はさらに増えるというのである。

日本政府も将来の産業の柱として位置づけ、今年度55億の研究費を支出するが
内閣府では,『日米の研究費には10倍以上の差がある』と公式に認めている。

医師達も、ボランテイアで、仕事をしている訳ではないので、研究費が高い
仕事をやるのは、当然だし、研究数が増えれば、新しい発見や今迄、治らないと
されてきた、病気が、治る確率も格段にあがってくる。

ある国などは、マウスで実験が成功すれば、即、人間の臨床試験を
行なう国もある。ただし、当然リスクもあるが、何も治療しなければ、余命数年だと
言われれば、治る可能性があるなら、それに、賭けたいという患者の気持は痛い程理解出来る。


日本には、厚生労働省という薬事法を扱う、TOPの役所があって
新薬を開発しても、認可がおりて、患者に投与されるまで
平均8年以上かかり、安全性、安全性と言い続ける、国民性もある。

いつかは、確実に人間には死が訪れる。

例えば、この薬で、自分の脚で立って歩け、障害なく普通に会話が出来、SCDの症状は
半年で回復するけど、10年後には、がんになる可能性があります。
と言われても、いまの僕なら、躊躇なく、その薬を投薬してもらい、余命10年は
毎日・毎日、無駄のない生き方をする事を考えるだろう…。
余命と言っても、ベッドの中や病院通いの余命ではなく、普通に
生活が出来る生き方とでは、雲泥の差がある…と思うからである。

母親の命日。

2009年04月19日 13時15分42秒 | Weblog
今日は、母親の命日だった。

今から、5年前に自宅で亡くなった。

死因は、心不全・・・SCDを宣告されて、15年後に亡くなった。
死の直前、丁度1週間前に、病院から退院出来て、
当時、僕は、都内で暮らしていた為に、亡くなる3日前に
電話で『もうすぐ、GWになるから、その時になったら、実家に帰るから・・・』
その会話が母親にかけた、最後の言葉であった。

最期は、寝たきりの状態で、食べ物が飲み込めない為に
胃ろうと言って、胃に穴を開けて、チューブで栄養を胃に直接送りこみ
言葉も出ない、完全介護状態での、死であった。

先日、映画『おくり人』が話題になったが、映画でモックンが演じていた
様な、ショサは記憶にないが、その日の午後には、湯かんで
お風呂に入れられ、死に化粧を施された、母親の顔が未だ、
眼をつぶると、浮かんでくる。

今日の午前中、
6回忌の為、法事は特別に行なわずに、近くの親戚数人と
家族で、車で30分程の所にある、墓に行って、手を合わせた。
初夏を思わせる陽気で、草花が咲き始め、新しい、生命の息吹を感じた。

どんなに、高名な占い師でも、自分の寿命は分らないという。
と、同時に、我々もあと何年・何十年生きられるか分らない。
20代の時や、元気に仕事に励んでいた頃は、自分の死のこと
なんか、考えられなかったし、死と自分の距離が、一番遠い場所に
あったのだから・・・
でも、どんなに、元気な人でも、必ず、老いて死は訪れる。
明日、事故で亡くなる可能性だって、あるのである。

ガンや白血病と違って、発症したから、即、死に直結する病気でもないし
原因不明’と言われていたSCDの数ある病態の中でも
原因がはっきりと分って、治療可能’で今は様々な安全検査を
行っている、タイプのSCDも事実ある。

母親を苦しめ続けた、SCD・・・
だけど、根治が出来ると信じて、日々のリハビリや考え方等、治った後の
第二の人生設計プランなど今の自分に課せられた人生の課題である。

久しぶりの動物園

2009年04月17日 18時30分32秒 | Weblog
木曜日、超久しぶりに、多摩動物園に行って来た。
これは、今、僕が、通所で通っている、障害者センターの
戸外訓練の一環で、4月は3箇所の
中から、選んで希望者が参加する一環として・・・
多摩動物園・高尾山・美術館の中から選択が出来て
小学生の頃、今から30数年前に、遠足で行った薄い記憶を
たどり、第一希望にしていた。

多摩丘陵に作られた、動物園であるため、昇り・下りのアップダウンが厳しい
ので、参加者はほとんど、病気や怪我で何らかの障害を持っている人達の
集団の為、車イスで一人に一人介助者がついて
回った。大半は、夫が介助者となっていたが、中には、ボランテイアで参加を
してくださっていた方や、僕の場合は友人Fが、時間調整のきく仕事の日という事もあり我が家のスタートから、終了まで世話になった。
学生時代の友人で、僕が元気な頃も知っているし、病気で不自由になって
いる今も知っているが、面倒臭そうな顔1つしないし嫌な顔1つ見せない
気持の優しい、ナイスガイだ。

AM9:30に集合して、血圧を測り、車イスでも乗り込み可能なバスで、約40分
かけて、多摩動物園に着いた。

参加者はそれぞれ、センターの人を中心に3~4名で一班を組んで、集合時間の14:50迄
それぞれ、班毎に、行動した。

まず僕らの班は、この動物園の代名詞でもある、コアラ館から見て回ったが、
20時間も一日のうちで寝ているコアラは・・・

その後からは、カンガルーを見たり、猛禽類である鷲や鷹を見たり、しながら
サルやライオンや象を観たりして過ごした。
それぞれ、天気も良かったせいか、久しぶりに観た、動物達に、
一喜一憂をして、過ごした。

あっという間に時間が流れ、集合時間に・・・
帰りは、皆で、電車で帰り、センターの最寄の駅で参加者さん達とは解散になった。

僕らは、センター迄行って、そこでセンターの人達とは解散になった。
帰り道、ファミレスに寄って、お茶をして、我が家迄、その友人に送ってもらった。
とても、有意義で楽しい一日だった。

久ぶりに遊んだ。

2009年04月10日 18時28分03秒 | Weblog
昨日~高校時代の友人Fが、遊びに来ていた。
元々、今週は、昨年の秋に、修善寺に泊まりで遊びに行った
友人2人と計3人で、那須・塩原の温泉に泊まりで、遊びに
行く予定だったのだが、社長をやっている、友人Mが
急遽、金沢に出張に行かなくてはならずに、行く予定だった
那須・塩原はキャンセルして、暇な2人?で遊ぼうかという事になった。

昨日の昼過ぎに、車で、僕を迎えに来てくれて、
昼飯を食べに行った。
オニオングラタンスープ’が食べたくて、車で15分程行った
デニーズで昼飯を食べる事に・・・
ファミレスだが、車イスでも、自由に、出入りが出来るし
味は、ファミレスなので、格段に美味いという訳ではないが
セットメニューが豊富にあり、リーズナブルな値段で
食べられる、僕の好きなオニオングラタンスープがメニューにあるので
最近、お気にいりで、行っている。

ファミレスで食事をした後で、眼鏡屋に付き合ってもらって
フレームのゆがみを直してもらった。

その後に、パチンコ屋に、行った。
車イスの為、めったに、最近は行かない為
こういう機会でもなければ、遊びに行けない場所の
1つである。TVのCMでやっていた’宇宙戦艦ヤマト2’を
どうしてもやりたかったからである。
友人が、店員に話してくれて、備え付けの椅子を
外してもらって、車イスのまま、台が打てた。
結果は約2時間半も遊んで、『もうやらない・・・』
でも充分に堪能した。

19:00を回っていたので、夕飯を食べに行った。
焼肉が食べたくて、何軒か、回って、結局、
パチンコ屋で負けた事もあり、牛角の'90分食べ放題’と
いうコースで、久しぶりに、焼肉をお腹一杯食べた。

帰り道、コンビニで酒を買って、我が家でTVを観ながら
呑んだ。

今朝は10:00迄、寝ていて、起きて、コーヒーを飲んで
近所の蕎麦屋で、ブランチとなって、
友人は’軽く仕事をしてくるわ’と言い残して
我が家を後にした。

以前、上司に言われた言葉

2009年04月01日 18時44分10秒 | Weblog
以前仕事をしていた民間のアパレル(服製造業)で、上司によく言われた事を、ふと、思い出した。

アパレルの世界は、産業界の中では、
発注やその他の事では結構いい加減な世界である。

ひどい担当者は、電話1本で、反物を計100反単位で発注して、契約書などはその反物が納品された
後に、形だけの発注書類は送られてくるのだが、電話をした時には、もうスタートしている。
担当者同士の人の信頼関係で動く、世界である。

サンプルが着丈56cで発注したものが、量産品では、59cに上がってしまったり、54cで上がってしまったり、濃赤で発注したものが、量産で上がってきた時は、薄赤になっていたり、量産品の受注を受ける工場は
あきらかに、他の商品と納期がかぶり、納期遅れをおこす恐れがあっても、仕事が欲しいから受注は受ける。大概は2週間とか3週間納期が遅れるなんて事はざらにあった。

中国を中心に、契約書を交わしてスタートする、海外貿易の場合も、以前は、品質は悪かったが
納期という契約には厳しかったが、最近は品質も格段に良くなっていて、
その代わりに、納期の厳守が徹底されにくく、なっている。

ざっと、ふれたが、国内・海外問わず、発注する側が完璧な仕事をしても、予想もしない台風で、船や飛行機が飛ばない為に納期が遅れるなどの、どこにも責任がとりようもない自然災害もあったりした。

前置を長くなったが、スムーズに仕事が流れている時より、製品を作る上で、トラブルが発生してその対応策をあれや、これや考えて・実践した時の方が、’仕事を覚えるという’という言葉をふと思い出したのだ。

会社や商品的には、トラブルが少ないほうが、良いに決まっているが、
個人的に仕事を覚えるという面では、トラブルが多い方が色々なケースがあるし、良い事なんだと・・・。

僕は、今は、病気の影響で、勤めに出らねない。
本当なら40代前半で、バリバリの働きざかりのだが、今の、身体の状態では、勤めるのは、難しい。
そりゃ~、健康で仕事が出来ている事が一番だけど、僕の現実はそうではない。
大トラブルの真っ只中である。
だけど、悩み事を抱えないで生きている人なんか、ほんの一握りである事も又事実である。
周囲の人に感謝して、泣き言はこのブログにだけ書いて、精一杯、今を頑張りたい・・・。