くりまんじゅうの日記

世間より少し いやだいぶん遅れている
老シーラカンスです。

母の手術。

2017-07-08 00:00:10 | 日記

いきなりお便の話で恐縮ですが 母の施設の職員より 便の色から ひょっと
下血しているのでは?と言われ 検査すると便潜血陽性の診断で 精密検査を
受けるようにと 先方の医師に持って行く 封書の手紙を預かっておりました。

母はここ1年の間 体重が5-6㌔減少しましたが 顔色も良く食欲もありますので
90歳が近づくと 見かけも枯れるねと判断し そう気にせずにおりました。

下血がもし大腸ガンであっても 先月90になった母に 手術は到底無理と考え
痛みを取る処置をしてもらいつつ 寿命を待とうと 妹と方向を決めました。

大腸検査は大量の水を飲み 部分麻酔した後 肛門からカメラを入れるやり方で
この検査にも 90歳の体は耐えられない という判断もありました。

もしガンであれば最期は緩和病棟かもしれず 個人で いきなり頼んでも入院は
出来ずに どこかの病院経由で入院になると知り それと預かった封書の手紙を
そのままにも出来ず 総合病院の消化器内科へ 母を連れて行きました。

散々待ち お昼前にレントゲンを撮ってもらい お昼を食べてからまた来ますと
言うと 昼食は待ってくださいと先生に止められ 大腸にかなり大きいしこりが
見えるため 造影剤を入れてさらに詳しく撮ります とのことです。

その結果 小腸にこぶし大の固まりがあり それが大腸の中に食い込んだ状態で
幼児と年寄に多い 腸重積(ちょうじゅうせき)という病名を知りました。

このままで置くと食べ物を戻すようになり 次に激しい痛みを伴う腸閉塞に進み
そうなってから救急車で運ばれる老人は 助からない確率が高い 助かる方法は
手術でしこりを取り除くしかない との説明です。

朝食後 今日は何も食べてないようですので 今夜 一晩点滴をして明日手術を
しましょう 食事をするとまた腸が空になるまで 待たねばなりませんので

と先生の説明に一人では不安で 夫と妹を呼び もう一度先生の説明を受けました。

私たちの一番の心配事である 90歳の母が手術に耐えられるのか 全身麻酔した後
認知が増々ひどくならないのか 術後何日もベッドにいると もう歩けなくなるの
ではないか などのリスクを考えると 果てしなく心配事が出てきます。

長寿になり 老人施設入所の人の手術が増え 100歳近い人も手術するようになった
リスクはあるがこのまま放っておくより 助かる道は何倍にも開ける 手術中に死亡
する場合もあるし 術後亡くなる場合もある それでも   何もしないよりずっといい

と執刀医の説明に手術することにし 今夜一晩点滴を休みなくするので 娘さんが
付いてください 管を抜いたりしないよう見守ってくださいとのことで 私が付き
母のベット横で一晩過ごしました。

  

その夜 環境が違う中で母の頭はパニックになり 何度説明しても点滴の管を引っ張り
宙に幻影が見えるのかしきりと   ご飯を炊いてお膳の用意をせにゃならんと言い   どうも
50年近く前になる 母が40代の頃の農繁期の情景が 浮かんで見えているようです。

その時代の農村はまだ機械化が進んでおらず ほんんどを人力でやっており 田植えや
稲刈りの農繁期は 親戚に手伝ってもらい 次に親戚の家に手伝いに行く 結(ゆい)の
制度がありました。

朝早く起きご飯を炊き 昼食のおかずを作り田んぼへ出て働き お昼は皆帰ってきて
一斉に食べ また野良へ出るという 当時の農民は今思うと 命を削り米を作りました。

母は手伝い人に出す昼食を作っている最中で 聞くとメニューは くまびき(シイラ)入り
のきゅうり揉み タケノコの炊いたもの 煮魚とのこと 母ちゃん手伝うよと合わせると
ありがとう さあ出来た これでお昼を食べてもらえる とにっこりの母です。

結局この夜 母も娘も 一睡もせず夜が明け 手術日の7/6になりました。

  

夫と   勤めを休んだ妹が合流し   麻酔科の先生からも説明を受けて   数枚の同意書に判を
押した後 手術が始まりました。

最初の説明通り3時間半で手術は終わり その後執刀医から 切り取った臓器を見ながら
説明を受けました。

病理検査に回し まだ結果が出てないですが 今までの自分の経験からでは まず腫瘍と
思われ この部分ですと メスで切って見せてくれました。

この大きさなら 他へも転移があると思いますが 今回の腫瘍も多分 6-7年前から出来て
いたと思います   歳からいうと転移があっても   進行は遅いと思います   との説明でした。

  

翌朝7/7   行くと経過がいいので一般病棟に移りますと言われ ICUからナース
ステーション前の 個室へ移動となりました。

あちこちに管を繋いであり それを引き抜いたり 傷口に手を持って行く恐れもあって
手にはミトンをはめられ それでも話もちゃんと出来て 痛くもないと母は言います。

朝から晩まで付いており 夕方帰ってきましたが 何度説明しても その都度ちゃんと
理解していても すぐに手のミトンを外しにかかり   3度外して   その都度看護師さんを
呼びに走る私です。

前日の手術から まだ24時間経ってないのに 管をどっさり繋いだままで ベッドへ
座らせ 1日にまだ250㏄しか採れませんが お茶も飲ませます。

術後4日目から 看護師が付き歩行訓練もあるようで このまま寝たきりになるのでは
との懸念は払拭されました。

順調にいって2週間の入院と聞きましたが あくまでも普通の人を対象にした場合であり
90歳の母には   当てはまらないとは思いますが   遅ればせでも   どうぞ順調に回復してと
そればかりを願っております。

全身麻酔での手術 環境の違う場所での毎日 それらを思うと 今 自分に出来ることは
毎日付いて話しかけ認知が進まないようにと 私に出来る唯一の治療だと思っております。

執刀医の先生が言うには    施設でいち早く下血が見つかり    早く処置出来たことが何より
幸いでした とのことで 母の施設には 深く感謝しております。

 

 

 

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28 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (keba)
2017-07-08 00:34:07
くりまんじゅうさま、お母様は本当に幸せな方ですね。
下血を早い段階で見つけてくれる施設の方がいて
病院で寝ずの看病をしてくれる娘がいて。
そしてもうベッドに座って排尿できる。

父が数年前に腸閉塞で入院した時は、
今でも認知症ではない父が、一時的に認知症のようになりました。
夜中に輸液の管を抜いてしまい、付き添いが必要、で
当時認知症を疑っていた母が当然のように泊まり込んだのですが
夜になると病室で一緒になって管を抜く(苦笑)
あたしが飛んで行って病室に泊まり込みました。
両親共認知症かと、寝られなかったのを思い出します。

でも、今も父はいわゆる認知症ではないので
本当にあの時は一時的に混乱していたのだなぁと思います。
ですから、くりまんじゅうさまが毎日病室にいらっしゃれば
退院なさる頃には大丈夫、入院前のお母様に戻られますよ。

母は認知症になった後骨折しました。
彼女のリハビリ・歩行訓練は大変で、結局諦めました。
そもそもなぜ入院しているのか、なぜ歩けないのか忘れているのですから
歩行訓練のような「屈辱的」なことは受け入れられない母でした。
お母様はくりまんじゅうさんがいらっしゃるので大丈夫でしょうけど、
両親の入院経験自慢がしたくて(苦笑)コメントしました。

お天気も雨だったり高温だったりあまり良くない時期ですから、
空調の効いた快適な環境の病室でお母様とおしゃべりして過ごしてくださいませ。
くりさんへ (アンポンタン☆)
2017-07-08 00:55:42
お疲れ様でした。 大変な2日間過ごしたのにblogあげてくれて
くりさんに何かあったのではと心配していましたから安心しました。

今日はゆっくリ休んでください。しばらくバタバタしそうですね。
くりさんが倒れると大変ですから病気御本人様もお辛いですがお世話する方も大事ですからね〜。
お母様早い回復お祈りしています。
おはようございます (コスモス)
2017-07-08 06:02:48
お母様 手術頑張られましたね
娘に ずっと付き添ってもらえて
お母様 幸せです

くりまんじゅうさんは 大変でしょうけど
そばにいてくれるのは お母様には 
心強いでしょうね

疲れがでませんように
Unknown (guuchan)
2017-07-08 08:58:55
自分の事と照らし合わせながら読ませていただきました。
 何より 早期発見がよかったですね。
世間では、施設の事を悪くいう傾向にあるようですが、私どもも家で看ていたのでは、これだけ手厚くしてやれないと思うことがしばしばあります。

 母も卵巣がんの疑いがあり、手術のお話も聞きましたが、
何分高齢で認知症なので・・・
と検査も手術はしないことに。20.


年齢的に進行もほとんどなく~

 今は行って、眠ってる母を起こしても、
ほんの数秒間目を覚ますだけで眠りに入ってしまいます。

 どうか、お疲れが出ませんように!
暑い時ですので、くれぐれもご自愛くださいね
お疲れ様です。 (TANAKA)
2017-07-08 09:05:27
大変な2日間でしたね。お疲れ様です。
くりまんじゅうさんのご心配やお母様への愛情が身にしみます。
そして自分の将来の事も頭をよぎります。
息子しかいない私はお嫁さんに面倒をかけないよう、
できる限り気をつけなければ・・

 くりまんじゅうさんもお疲れでしょう。
暫くはまだ大変な日々かと思います。
どうぞお身体には、お母様のためにも、
くれぐれもお気を付け下さいね。

おはようございます(^^)/ (hiroko)
2017-07-08 10:22:59
大変なことでしたね、
高齢になってからの手術はは本人にとっても
大事でした、でも原因が分からないまま苦しむより
検査を受け悪者を追い払えただけでも一安心ですね、

母親と言うものは、何時までも身近にいてほしいものです、亡くなってから初めてそんなことに気づいた親不孝者がこの私です(;^ω^)

大きな手術を受けて大変なこととの戦いの
お母様のOP後の抜糸が早くできます様に、
どうかお大事にして下さい。
Unknown (杏子)
2017-07-08 10:25:49
ご心配なことが起こってしまいましたね。

高齢であることが一番のネックになり、いくら医学の発展現代でも、簡単には対処が困難となることもあるのですね。

 私事ですが、実母が91歳の時、施設で車椅子から落ちて大腿骨骨折、即入院手術にも耐えてくれました。

一時は長期入院中に妄想から、変な言葉を発して
認知症へと進行かと心配しましたが、
持前の気丈夫さで見事に乗り切りました。

それから6年後に亡くなりましたが、それまで気もしっかりしていました。

長期入院はだれでも一時的にはおかしくなっても不思議なことではないと思います。
 わたしも 11ヶ月間の長期入院、病気苦からうつ状態になり、悲観して自ら死を選択しかかったこともありました。.

時期がくれば、心の状態は安定されるかもと信じています。
ご家族さまにお疲れがでませんように、
どうぞおだいじになさいませ。
むかし話 (maria)
2017-07-08 10:41:22
くりまんじゆうさん、お母様の突然の手術で大変ご心配だったでしょうね・・・
でも無事に終わって良かったです。
お母様には娘さんが付いていて下さるのが何よりの治療になる事と思いますよ。
そんな時は昔話をお聞きになるのが一番良いですね。
私もたくさん母とおしゃべりした方ですが、もっともっと母と話しを聞いておけば良かったと思います。
くりまんじゆうさん、無理をせず看病も交代してお休みも大事だと思いますよ。
どうぞおだいじに💕
くりまんじゅうさんへ (まりも)
2017-07-08 10:55:11
お母様 無事手術が終わり良かったですね
ゆっくりでも 回復し また美味しく食事が出来るようになってもらいたいですね
くりこさんの心配は かなりのものだつたとお察しします
毎日 病院通いも大変でしょうが
暑い夏 食べて体力を温存し乗り切って下さいね
昔 農作業で身体を鍛えているお母様
その力で 病気に勝てますよ!!
お大事にして下さいね
 
くりまんじゅうさん (ぐり)
2017-07-08 13:12:50
大変でしたね
お見舞い申し上げます
でも下血が見つかり手術で切るとることができれよかったですね
義妹のお姑さんも90歳近く腫瘍が見つかり手術はしないと家族は考えておりましたけど先生の勧めで手術に踏み切り今は元気にしております今は高齢でも手術をしますね
其れで元気になれればありがたい話ですよね
お母様も今まで通りになられると思います
くりまんじゅうさんもお疲れさまでした

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