れいな日記《Reina- diary》

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同窓会での会話

2005-06-03 | 爺の想い
昨年5月に爺の中学校同窓会がありました。
当時、約200人(1クラス50人×4組)の卒業生のあった中、約50人の同窓生が出席し、思い出話に花を咲かせていました。。当時の生活状況は、戦後10年経過かどうかの時期(昭和29~31年)なので、まだまだ苦しい家庭生活が殆んどでした。生活が苦しいので炭鉱で一発儲けようとしたが、その後の就職先の炭鉱でも改善されない「どん底の生活」を続けた家庭も少なくなかったとも聞いています。その中の同級生の一人がが爺の席に来て話しかけてきました。(彼とは、小学校が異なり、中学校でも同クラスになったことはなく、勿論、会話する機会もありませんでした。)
彼曰く「R(爺)さんには、一生忘れないものがあり、時々思い出す」と話を切り出してきました。
話は続き「当時、私の父は小さな炭鉱で働いていました。家族は、両親と兄弟3人、五人世帯で日頃、生活が苦しく食事は、朝・夕方の2回だけが殆んどであり、学校へ昼食時の弁当を持っていったことはありませんでした。
そんな、状況の中で、中学校の遠足があり、食事時の野原で、Rさんから「おにぎり」をいただきました。その「おにぎり」は、白米の大きな五目御飯で更に海苔が巻いてありました。“銀シャリの大きな五目御飯”は、私として何よりも尊くダイヤモンド以上の存在でした。
「おにぎり」は、大変美味しく、自分独りで食べてしまいましたが、家に帰ってから、兄弟にやらなかったことの「後ろめたさ」を今でもはっきり覚えています。」と話してくれました。
当時の爺宅では、特に裕福な家庭でもなく、同じように貧乏家庭でしたが、「商い」をしていたので、多少の日銭があり、この分ちょっとだけ、余裕があったと思われますが、この事を聞いて、一瞬にして思い出したのが、爺の亡き母が朝早起きして、五目御飯を作って呉れて「“遇息の遠足”の心配りがあったのだ」と“母への感謝の気持ち”を改めて熱く感じました。


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1 コメント

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食料難思い出しました (楽しかったね)
2005-08-01 14:04:03
私のブログにコメントいただきありがとう



私もほぼ同世代です よく似た体験をしました



飽食の時代にはなじめません よくあるサービス



で食べ放題・飲み放題には 抵抗しています



おかげでビヤガーデンに行けなくなりました
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