ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

『聴く』と『うけたもう』と。

2017-07-13 06:11:14 | 日記
訪問させて頂いているブロガーさんが、『うけたもう』という記事をアップなされていました。
羽黒修験にある言葉で、
《どんな時にも、何を言われても、まず「うけたもう」と、受け入れること》
とのことです。
含蓄に富む素晴らしい言葉だと思いました。

まずは、「受け入れる」という自分の内側からの応えが、肝要なのでしょう。
「受ける」ことをないがしろにしますと、不毛な攻撃性ばかり増殖し、その「攻撃性」が、
自らをも傷つけてしまう事は、日常的にもよく経験することです。

なかなか、実行は困難ですが、まずは、現実を・状況を・そして喜怒哀楽さえも、
「受ける」ことによって、しっかり見つめる事ともなり、おのずから「道」も見えてくるのかも
しれません。
いい言葉を教えて頂きました。

6年4か月前、あの大地震と津波、そして原発事故の時を思い出しました。
幸い、家屋の損傷は軽微でしたが、愛用し大切にしていた陶磁器類のうち、ケースに収めて
置いたもの以外は、殆ど壊れてしまいました。
それよりも何よりも、避難区域ではありませんでしたが、ラジオ・テレビで流される放射線に
関する情報に、パニックとまでは行きませんでしたが、不安に苛まれる日々を過ごして
いたのでした。

様々な公式情報以外のものも、耳に入ってきますが、何が正しいのかの、判断すら
下せない状態だったのです。
放射線は目にも見えず、色や形もなく、言葉の意味すらよく理解できませんでした。
不要な外出は避ける様に、マスク着用、換気扇を回すな、さまざまな制約の中で、
この地に残っていていいものなのか、自主避難すべきなのか、と迷う日々が続いて
いたのです。

そんな折、
[アシュラム]2011・3月第509号を通して、
『わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、
わたしは希望をおいている。』
という、旧約聖書詩編62章6節をとおして私はなぐさめられたのでした。
その頃書き綴った日記の一部です。

『-------主は、静かにささやくように語りかけてくださるのだ。
原発事故のニュースに一喜一憂などしないでいよう。
先の事など判りはしないのだ。
まず、耳を澄まし、ささやいてくれる神様からのメッセージを聴きとろう。
私自身が鎮まって御言葉に耳を傾けよう。
この世の知識に聴こうとするな。
『何よりもまず、神の国と神の義を求める』とは、まず耳を澄まし、
心を空しくして神さまのささやきを聴くこと。
ただひたすらに、聴く。聴く。聴く。(2011.3.30)

『聴く』ということと、『うけたもう』ということとは、私の浅薄な解釈に過ぎないかも
しれませんが、水脈が同じ様に思われるのです。
自身が「鎮まらなければ」、『聴く』ことも『うけたもう』こともできません。
まずは、「受け止める」、しっかり受け止めてから、考え、行動することが肝要かと。

『うけたもう』
いい言葉を教えて頂きました。
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ありがとうございます。 (雀(から) )
2017-07-13 11:30:27
また一つ 良い言葉を 教えていただきました
感謝です🙏
こんにちは。 (ゴマメのばーば)
2017-07-13 15:30:47
買い物に出ましたら、土砂降りに遭いました。
でも、しばらく郡山駅構内の店をブラブラして戻ってきました。
コメントありがとうございました。

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