ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

「慰霊の日」と、おしゃべり と、反省と。

2017-06-24 06:22:45 | 日記
昨日は、沖縄の「慰霊の日」でした。
と、記し始めて気がついたのです。
私の中には、少なからず《沖縄の慰霊の日》という意識が潜んでいることに。
《沖縄という地域が 太平洋戦争末期に大いなる戦争の災禍に遭遇した》
のではありません。
日本国の沖縄が被った災禍だったのです。

私たちは、
《日本軍が本土防衛の時間稼ぎのために沖縄での戦いをし、日米軍人と民間人の、
およそ20万人が犠牲となった》
ということを、肝に銘じなければいけないのです。
沖縄の米軍基地に関する反対運動も、この視点を忘れてはいけないはず。
自身にも深く反省いたします。

お惣菜を買いにスーパーへ行きましたら、若いお母さんが三人、出口近くで おしゃべりを
していました。
買い物へ来て、バッタリ会ったという様子です。
割と声高な話し声が私の耳にも入ってきました。
どうやら、藤井総太少年が育まれた家庭の教育環境に関する内容。
  「あのさぁ、あの子の母親は、小さい時から夢中になってしている時は止めさせたりは
   しなかったそうよ。やっぱり好きなことを伸ばさせるべきなのよね」
と、一人のお母さんが。
  「ダメ ダメ ダメよ。うちの子に好きなことをやらせたりしたら、ゲームオンリーよ」
  「うちの子なんか、スナック菓子バリバリ食って、肥満児になるわね。父親似だから」
  「そうよねぇ、誰でもっていうわけではないわね」
  「やっぱり 才能、その子の持って生まれた才能よ」
  「でもさぁ」
ハナシはまだまだ続きそうです。
あの三人、あの分では、きっと近くにあるドドールへ行きそうな雰囲気でした。

耳に挟んだからといって深刻な話題でもありません。
まあまあ市井の母親たちの平和な おしゃべりの姿なのでしょう。
なんだか 微笑ましくなったのです。

私が子育てをしていた頃、長男はピーマンが大嫌いで、給食に出たものをカバンに
隠して持ち帰り、家で出すこともままならず、カバンの中で腐っていたことなどが何回も
ありました。
小学低学年だった長男の言によれば、
「嫌いなものを無理やり食べれば ゲロってしまう。体が嫌がるモノは栄養にならない」
という理屈でした。
その長男も、この6月18日で、54歳。
ピーマンは、今でも食べないし、食べようともしない、と長男の妻が言ってました。

好きなコトに集中させたからといって、誰もが名人になるわけでありません。
好きなものばかり食べたから、といって全てが栄養になるわけでは もちろん無し。
いつの時代でも、お母さんは 戸惑うのです。
そのころ書いた拙い詩です。

    『声援』
      あなたは
      いつも給食を残してくる
      チリ紙に包まれた野菜が
      幾日も教科書と雑居している

      幼い反体制者のあなたは
      ナン語しか語れない舌で
      色まですりおろした人参を
      味蕾の網目を くぐり抜けるほどのピーマンを
      鋭敏な捜査官のように選別した

      今 カバンの野菜を捨てる
      臭気といっしょに捨てる
      したたかな抵抗者へ
      母親の半分が怒り
      残りの半分が 声援を送っている

戦火の中にないからこそ、子どもへの教育のことなどが話し合えるのです。
日本国憲法9条を守って行きたいと強く願っています。
  『…………国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
      国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。』
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8 コメント

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おはようございます (kao)
2017-06-24 07:05:33
なんと楽しい親子の愛情の
詩でしょう。わかきころのごまめさまが
怒りながらも反体制に応援をしてピーマンを
捨てるシーンはとてもあたたかーいい気持ちに
なりました。そうなんですよね、親と子って
こうしたほのぼののコミカルな面もある
絆がいいですね。
でも沖縄の方の犠牲が本土への時間つぶしだったt
とははらわたがにえっくりかえりそうです。
しかし私の何代かまえの先祖はそれをしたのでしょうjね。
子孫の私は沖縄の方に深く深く頭をたれるしか
ありません・・。おしえて
いただいてありがとうございました。
沖縄 (晴耕雨読なくらし)
2017-06-24 11:50:24
沖縄の声を瀬長さん、太田さん、翁長さんと、
叫び続けているのに現実は少しも進んでいません。

若い人には観光の島としか映らないかもしれないけど、
基地の島であることを忘れてならないです。
若き日に歌った沖縄を返せは、
今も本質的に何も変わっていません。
現実を見聞きするたびに胸が痛みます。
申し訳ない思い。 (ゴマメのばーば)
2017-06-24 14:25:32
 (kao)さま
ふるさとが戦場となり、多くの犠牲を払わされた沖縄に、70%を超える米軍基地を押し付けていることへ、申し訳ない思いでいっぱいです。
コメントありがとうございました。
ありがとうございます。 (ゴマメのばーば)
2017-06-24 14:36:54
(晴耕雨読なくらし)さま。
毎年のことながら、「慰霊の日」には申し訳ない思いに駆られます。
何もできない自分ではありますが、せめて沖縄の背負わされ、背負わされ続けている現実を忘れずに注視したいと思っています。
(串カツ おいしそうでした。デザートは あんみつ でしょうか。暮らしの中での小さな幸せ感を、いつも あなた様のブログから頂いております。)
いろいろ・・・ (chidori)
2017-06-25 10:52:15
沖縄戦…私の原点は沖縄返還運動にある気がします。

うたごえで沖縄返還の平和大行進に参加して、「戦争はも

う嫌だ・戦争はもう嫌だ」 暑い夏の日に、沖縄からのリ

レー機を先頭に18歳の私は、真っ黒になって歌いました。

21歳で鹿児島に来て・・・夫と共に

鹿児島の沖縄大使館?みたいに沖縄へ支援に出かけ

る仲間 沖縄から本土へ来る仲間の(その頃は飛行機

など高くて乗れない人ばかり 1泊する人もありました。

駅で出迎え港へ送る・・港で出迎え駅に送る

その中に瀬長亀次郎さんの娘さん千尋さん(今は内

村)もいました。短期間秋田のわらび座に研修に行か

れた時でした。(晴耕雨読さんの中に出ている瀬長さん)

私が1歳半の娘を置いて沖縄に1ケ月半うたごえのオ

ルグに滞在した時。亀次郎さん宅にお邪魔して メー

デ―事件で警官に殺された高橋正夫さんを歌った「正

夫星よ」を歌ったこと57年前ですが覚えています。

今なお、沖縄が57年前と変わらないアメリカ軍にい

いなり、それよりひどい状態にあること…心だけ寄せても

具体的に何をしているの・と問われるとはずかしい。

ブログで勇気をもってメッセージを送り続けている人に

共感の拍手を送ることぐらいはしたい。と思います。

 
 次女は福島に住んでいました。私も2ケ月・・手伝いに行きました。

 勝手にご縁を感じて長居をしてしまいました。
こんにちは。 (ゴマメのばーば)
2017-06-25 16:45:34
 (chidori)さま。
たくさんの ご経歴をお持ちでいらっしゃるんですね。
「うたごえ」、私も、下手くそなアコーデオンを弾いて、職場での昼休みに歌っていました。
「沖縄を返せ」と、歌ったりもしていました。
無力な〈ばーば〉にすぎませんが、言える時には、言い続けたいと。
コメントありがとうございました。

えっアコーデオン弾かれた? (chidori)
2017-06-25 18:52:57
福島の合唱団・・娘のところに滞在中ちょうどコンサートが開かれて聴きに行きました。
弁護士会などと一緒の事務所も訪問。娘のことでお世話になりました。
同じ時代をどこかで同じ目的のために頑張っていた仲間ですね。
お恥ずかしい限りです。 (ゴマメのばーば)
2017-06-25 21:25:46
 (chidori)さま。
独学で、見よう見まねで弾くというより何とか音を出した、そんな程度です。
お恥ずかしい限りです。

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