ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

《今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。》

2017-05-22 06:03:18 | 日記
昨日は日曜日でしたので、教会へ。
「永眠者記念礼拝」の日でした。
永眠なされた方々を覚えて、ご遺族に当たられる方々と共に、一年に一度礼拝がもたれ、
その後、愛餐会となります。

受付当番の日でしたので、少し早めに行って受付をしました。
少し早く逝き過ぎたかな、と残念に思っていた友人・知人の子どもさんたちが、
年齢的にも それぞれ働き盛りと称される社会人となっていて、
「しばらくでございます」
「お世話になっています」
と、ご挨拶をして下さる姿を目にしますと何とも嬉しい限りで、ついつい、
「○○ちゃん、立派になったね」
などと言ってしまうのです。
そして、心の中で、友人・知人に呼びかけるのです。
〈息子さん、立派に なられましたね、もう安心ですね〉
などと。

教会を、後にしましたら町は真夏の日差しでした。
いつものティルームでアイスコーヒーを 頂いて、
いつもの様に、あれこれと、取り留めのないことを思って、暫くの時を過ごしたのです。
想いを、ゆったりと 撹拌する…………。
私の好きな ひと時です。

お世話になったK先生は召されてから、もうすぐ2年になるはずです。
でも、とても身近に感じられるのです。
奥さまも、元気になさっていらっしゃるようですし。

Mさんは息子さんを亡くして、15年近くにもなるでしょうか。
悲しみが消えていないことを しばしば感じさせられます。
「いのち」は神さまから預かっているものです。
悲しみも、嘆きも、呟きも、諦めも、いつか、
〈あぁ、そうでしたか〉
と、わかる時が来るのでしょう。

   《わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。
    だがそのときには、顔と顔を合わせて見ることになる。
    わたしは、今は一部しか知らなくとも、
    そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる》
               (新約聖書コリント信徒への手紙 13章12節)

私が「知っている」と、思っていることなどは、ほんの わずかです。
でも、いつか、
「あぁ、そうだったんですね」
と、喜びと共に「知る」日がやって来るのでしょう。


  
              讃美歌320番です YouTubeから お借りしました。
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