極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

エネルギーフリー事業始動

2017年11月17日 | 環境工学システム論

       

                          

             公孫丑(こうそんちゆう)篇 「浩然の気」とは   /   孟子  

 

                                          

      ※ 職務と職責:孟子が蚳鼃(ちあ:蚳斉の大臣)に言った。「霊丘の長官を
       やめて、司法長官になったとは、みあげたことです。司法長官ともなれば
       王を諫めるのにうってつけですからね。で、就任して伺カ月にもなります
       が、まだ諫める機会はないのですか」。蚳鼃はさっそく王を諌めたが、聞
       き入れられなかった。かれは国を去った。そこで斉の人々は、「蚳鼃に忠
       告したのはよいが、孟子自身はどうなのか」と非難した。公都子(孟子の
       弟子)がこの話を伝えると、孟子は言った。「職務のある者は、職務を果
       たせなければ、国を去るべきだ。諌言の責任のある者は諌言して聞き入れ
       られなければ、国を去るべきだ。わたしには、職務がない。諌言の責任も
       ない。のんびりしたものだよ」 

 

ISBN Print: 978-92-64-28205-6 / PDF: 978-92-64-28230-8

    No.98

 【太陽光発電40年までに最安値のエネルギーに】

 

11月14日 国際エネルギー機関(IEA)は、太陽光発電が2040年までに多くの国や地域で最
も低コストのエネルギー源となり、低炭素型電源の設備容量として最大になるとの見通しを発表(
World Energy Outlook: WEO 2017」。によるもの現在のエネルギー政策、および「パリ協定」以降
に発表された政策を前提とした「新政策シナリオ」において、全世界のエネルギー需要は以前よりも
緩やかに増加するものの、2040年までに現在の全世界の需要に中国とインドの需要を加えた量の
30%まで拡大する。年平均成長率3.4%のグローバル経済――現在の74億人から40年に90
億人以上へ増加するとの見通しに試算されている。現在、
エネルギー需要の伸び率が最も大きいのイ
ンドが約30%――全世界のエネルギー消費にインドが占める割合は、40年までに11%上昇する。
インドに次ぐのが東南アジアで、中国の2倍のペースで需要拡大。
再エネ全体は、全発電容量の40
%――中でも中国とインドが加速導入――と拡大、再エネの中で最大の電源になる(下図)、一方、
欧州では30年代初頭に風力が最大のエネルギー源の主要技術になり、40年までの関連電源向け投
資の3分の2を占めると予測。

また、省エネルギーのさらなる向上が、エネルギー供給側の負担軽減に大きな役割を果たす。省エネ
で改善がなければ、最終需要家のエネルギー消費は2倍以上になり、再エネ電源がエネルギーの一次
需要の増加分の40%を満たし、電力分野で急成長により大規模な二酸化炭素回収利用・貯留(CCUS
が活用されない限り石炭が盛況だった時代が終わる。今後25年間、世界のエネルギー需要の成長は、
第一に再エネ、次に天然ガスによって賄われ、急速下落するコストにより、太陽光が最も安い電源と
なる。これらのトレンドシフトと同時に、エネルギーの生産者と消費者を隔てていた従来の区分が次
第にボーダーレスト化し、主要新興国がエネルギー分野の中心に移動することなども指摘している。

● 
安い太陽光発電が2040年までに世界の石炭産業を駆逐 

  Dec. 26, 2017

6月17日、米国雑誌フォーチュン社は、ブルームバーグ・ニュー・エナジー・ファイナンスの調査
によると、米国における総石炭発電量は2040年に半減すると予測、欧州の予測される低下は87
%、ドイツとブラジルの電力生産量全体石炭発電プロジェクトがキャンセルされると予測、太陽エネ
ルギーが2021年までに世界のほとんどの地域で石炭よりも電気を発電する安価な方法であると結
論づけている。その交差点は、以前よりも早く到着すると予測され、大規模な市場シフトを引き起こ
す。太陽光発電コスト低下は、20年までに66%減少し石炭火力を下回る、また、風力発電のコス
トは、海上風力発電が47%減少する間に71%下落する(上/下グラフクリック参照)。

 Jun. 15, 2017

Aug 15, 2016 

 



【蓄電池篇:フィスカ社の電気自動車用エネルギー高密度固体蓄電池】

11月13日、フィスカ(Fisker)社の研究グループは、全固体型蓄電池――Sakti3(以前のダイソ
ン社買収)を含め、高密度エネルギーの全固体型蓄電池の特許――電気自動車の普及に必要とされる
要求されるエネルギー密度、電力およびコスト目標達成に重要な新規材料および製造プロセスに関す
る請求を含む――を非公開(?)で提出。フィスカ社の固体電池は、リチウムイオン電池のエネルギ
ー密度の2.5倍の三次元電極を特徴とする。この技術により、1回の充電で500マイル(約80
5キロメートル)以上の走行を可能にしガソリンタンクを充填するよりも1分早く充電できる。この
技術は2023年以降の自動車仕様として搭載される予定。全固体化技術の課題は、①電極電流密度
の低下、②温度範囲の制限、③材料の利用可能性の限界、④高コスト、⑤および非スケーラブル(非
大規模性)な製造プロセスが含まれる。⑥初期の結果よりこのフレキシブルな固体化技術は、従来の
平板な薄膜固体電極よりも25倍の表面積を持つ三次元バルク固体電極と、極めて高電子/イオン伝
導度を、急速充電/低温化を実現できる。その結果、典型的なリチウムイオンバッテリーのエネルギ
ー密度の2.5倍の性能もつが、材料/製造進歩により、2020年想定価格の3分の1に引き下げ
る必要があり。⑥また、苛酷試験上の課題解決、⑦さらに、充放電プロセス中の体積変化および残留
応力による剥離問題。⑧デンドライトの浸透および安定性対金属リチウム電極の固体状態の材料の制
約上の課題、⑨特に、低温の気候における低イオン拡散障害があるが、以上のボトルネック技術課題
の解決を行っている。このことにより、フレキシブルな固体電極構造は、❶多様な電圧と❷形状因子
を持つ電池を実現する。電圧出力の高い円筒形セルに巻きつき、セル・ツー・セル接続、熱管理、安
全性の要件に加え、現在のツーリングやバッテリパック用器機使用を実現しバッテリシステムのコス
トがさらに削減できる。



また、技術が2023年以降の自動車用途向けに準備されると予測しているが、このような長いリー
ドタイムは、特定の原材料と適切な製造ツールを備えたサプライチェーンが欠如としており、材料の
再現性上に確立された品質手順を構築できているとフィスカ社々長、自動車以外のパートナーシップ
の可能性がある様々な産業グループとの積極的な議論を進め、2023年より早く製品化が可能とな
る可能性があると語っている。

【関連特許】

❏ US9761847B2 Packaging and termination structure for a solid state battery :
                                     固体電池用のパッケージングおよび終端構造

 【要約】固体電池装置の製造方法。 この装置は、電気化学的に活性な層と、ポスト終端されたリー
ド構造で構
成されたインターデジテート層構造を有するオーバーレイバリア材料とを含むことができ
る。 この方法は、マル
チスタック構成で形成された複数のバッテリデバイスセル領域(1-N)を形成
することを含むことができ、各バッ
テリデバイスセル領域は、第1の電流コレクタおよび第2の電流
コレクタを含む。この方法はまた、第1および
第2のリード材料の厚さを形成して、複数のバッテリ
デバイスセル領域のそれぞれに関連する第1および第2
の電流コレクタのそれぞれを相互接続するた
めの第1および第2のリード構造を形成し、第1および第2の孤
立領域内で電池素子セル領域の空間
的に外側に延在する第2の集電体のうちの1つを含む。

❏ US9631269B2 Thermal evaporation process for manufacture of solid state battery devices :
                                            
固体電池装置の製造のための熱蒸発プロセス

【要約】固体電池装置の製造方法。この方法は、装置のプロセス領域内に基板を設けることを含むこ
とができる。
陰極源及び陽極源は、1つ以上のエネルギー源に供されて熱エネルギーを原料の一部に
移動させて蒸発させて蒸気相にすることができる。
イオン源からのイオン種を導入することができ、
複数の電子およびイオン種に由来する気体種を相互作用させることによって、表面領域の上に固体電
池材料の厚さを形成することができる。
 固体電池材料の厚さの形成中、表面領域は、約10 -6~10 -4
Torrの真空環境に維持することができる。
非反応性種を有するカソード、電解質、およびアノードを
含む活性材料は、修飾されたモジュラス層、例えば空隙または空隙のような多孔質材料の形成のため
に堆積させることができる。

❏ US962727B2 Embedded solid-stateB2:内蔵固体電池

【要約】エンドツーエンドプロセスを使用する電気化学セルの要素。 この方法は、セルの埋め込み
導体を製造する平坦化層を堆積させることを含み、最適化された電気的性能およびエネルギー密度の
堆積された終端を可能にする。本発明は、PMLまたは他の材料の平坦化されたマトリックスに導体お
よび活性層を埋め込み、それらを別個の電池に切断し、平坦化材料をエッチングして集電体を露出さ
せ、ポスト真空堆積工程で終わらせる技術を対象とする。



 

          
読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』   

 

      第64章 恩寵のひとつのかたちとして 

    私が妻のもと仁戻り、再び生活を共にするようになってから数年後、三月十一目に東日本一帯
 に大きな地震が起こった。私はテレビの前に座り、岩手県から宮城県にかけての海岸沿いの町が
 次々に壊滅していく様子を日にしていた。そこは私かかつて古いプジョー205に乗って、あて
 もなく旅をしてまわった地域だった。そしてそれらの町のうちのひとつは、あの「白いスバル・
 フオレスターの男」と出会った町であるはずだった。しかし私かテレビの画面で目にしたのは、
 巨大な径物のような津波によってなぎ倒され、ほとんどばらばらに解体されてしまったいくつも
 の町の残骸だった。私かかつて通り過ぎたあの町に繋がるものは、そこには何ひとつ見当たらな
 かった。そして私はその町の名前すら覚えていなかったから、そこが震災によってどのような被
 害を受け、どう変わってしまったのか確かめるすべもなかった。

  何をすることもできず、言葉を失ったまま、私はテレビの画面を何日もただ眺めていた。テレ
 ビの前を離れることができなかった。私はその画面の中から、自分の記憶に結びつく光景をひと
 つでもいいから見つけ出したいと願った。そうしなければ、自分の中にある何か大事な蓄積が、
 どこか知らない遠いところに巡ばれていって、そのまま消滅してしまいそうな気がしたからだ。
 今すぐ車に乗って、その場所に行ってみたいと思った。そしてそこに何か残されているのかを自
 分の目で確かめてみたかった。しかしそんなことはもちろんできっこない。幹線道路はずたずた
 に寸断されていたし、町や村は孤立していた。電気もガスも水道も、ライフラインは根こそぎ破
 壊され、失われてしまっていた。そして南側の福島県では(私が死んだプジョーを残してきたあ
 たりだ)、海岸沿いのいくつかの原子力発電所がメルトダウン状態に陥っていた。とても私か近
 づけるような状態にはなかった。



  それらの地域を旅してまわっていたとき、私は決して幸福ではなかった。どこまでも孤独で、
 切ない割り切れない思いを身のうちに抱えていた。多くの意味あいにおいて、私は失われていた
 と思う。しかしそれでも私は旅を続けながら、見知らぬ多くの人々のあいだに身を置き、彼らの
 送っている生活の諸相を通り抜けてきた。そしてそれはそのとき私が考えていたよりは、ずっと
 大事な意味を持つことだったのかもしれない。私はその途中で――多くの場合は無意識のうちに
 ――いくつかのものごとを棄て、いくつかのものごとを拾い上げることになった。それらの場所
 を通り通ぎたあとでは、私はそのまえと少しだけ違う人間になっていた。

  小田原の家の屋根裏に隠した『白いスバル・フォレスターの男』の絵を私は思った。あの男は
 ――それが現実の人間であれ何であれI今もまだあの町に暮らしていたのだろうか? そして、
 私と不思議なコ枚を共にした痩せた女は、まだあの町にいたのだろうか? 彼らはうまく地震や
 津波を逃れ、生き延びることができただろうか? あの町にあったラブホテルやファミリー・レ
 ストランはいったいどうなったのだろう?

  夕方の五時になると、私は保育園に子供を迎えに行った。それが私の日々の習慣だった(妻は
 また建築事務所の仕事に復帰していた)。うちから人人の足で歩いて十分ほどの距離のところに
 保育園はあった。そして私は娘の手を引いて、うちまでゆっくり帰り道を歩いた。雨が降ってい
 なければ、途中で小さな公園に寄ってベンチで休み、散歩している近所の犬たちを見物した。娘
 は小型犬を欲しがったが、私の住んでいるマンションではペツトを飼うことが禁止されていた。
 だから彼女は公園で犬たちを眺めることで我慢しなくてはならなかった。ときどき小さなおとな
 しい犬を触らせてもらえることもあった。

  娘の名前は「室」(むろ)といっ
た。ユズがその名前をつけた。彼女は出産予定日の少し前に、
 夢の中
でその名前を目にした。彼女は広い日本間に▽人でいた。美しい広い庭園に面した部屋だ
 った。

 そこには古風な文机がひとつあり、机の上には一枚の白い紙が置かれていた。紙には「室」とい
 う宇がひとつだけ大きく、黒い墨で鮮やかに書かれていた。誰がそれを書いたのかはわからない
 が、とても立派な字たった。そういう夢だった。彼女は目覚めたとき、その光景をはっきり思い
 出すことができた。それが生まれてくる子供の名前であるべきだと彼女は主張した。私にはもち
 ろん異存はなかった。なんといってもそれは彼女の産む子供なのだ。その宇を書いたのはあるい
 は雨田典彦であったかもしれない。私はふとそう思った。でもただ思っただけだ。結局のところ、
 それは夢の中の出来事に過ぎないのだから。

  生まれてきた子供が女の子であったことを私は嬉しく思った。私は妹のコミとともに子供時代
 を送ってきたせいで、身近に小さな女の子がいるとなんとなく気持ちが落ち着いた。それは私に
 とってどこまでも自然なことだった。そしてその子供が迷う余地のない確かな名前を持ってこの
 世界に生まれてきたことも、私にとっては喜ばしいことだった。名前というのはなんといっても
 大事なものなのだから。

  むろは家に帰ると、私と一緒にテレビのニュースを見た。私は津波の押し寄せてくる光景を彼
 女にできるだけ見せないようにした。幼い子供にはあまりに刺激が強すぎるからだ。津波の映像
 が映ると、私はすぐに手を伸ばして娘の両目を塞いだ。

 「なんで?」 とむろは尋ねた。
 「きみは見ない方がいい。まだ早すぎる」
 「でもほんとのことだよね」
 「そうだよ。遠くでほんとうに起こっていることだ。でもほんとうに起こっていることをみんな、
 きみが見なくてはならないというわけじゃないんだ」

  むろは私の言ったことについてしばらくひとりで考えていた。でもそれがどういうことなのか
 もちろん理解はできなかった。彼女には津波や地震というような出来事も理解できなかったし、
 死というものの持つ意味も理解できなかった。でもとにかく私は彼女の目を手でしっかりと塞い
 で、津波の映像を見せないようにした。何かを理解することと、何かを見ることとは、またべつ
 のことなのだ。
  あるとき、私はテレビの画面の隅に「白いスバル・フォレスターの男」をちらりと見かけた。
 あるいは見かけたような気がした。カメラは津波で内陸の丘の上まで運ばれ、そこに取り残され
 た大型漁船を映していたが、そのそばにその男が立っていたのだ。もう役目を果たせなくなった
 象と、その象使いのようなかっこうで。でもその映像はすぐに別のものに切り替わった。だから
 それが本当に「白いスバル・フォレスターの男」であったのかどうか、確信は持てない。しかし
 黒い革ジャンパーを着て、ヨネックスのロゴのついた黒いキャップをかぶっているその長身の姿
 は、私には「白いスバル・フォレスターの男」としか見えなかった。
  しかし男の姿はそれっきり画面に現れなかった。私が彼の要を目にしたのはほんの一瞬のこと
 だった。カメラはすぐに別のアングルに切り替わった。

  地震のニュースを見るかたわら、私は日々生活のために「営業用」の肖像画を描き続けた。何
 を考えることもなく、キャンバスに向かって半ば自動的に手を動かし続けた。それが私の求めて
 いた生活だった。そしてまたそれが人々が私に求めているものだった。そしてその仕事は私に確
 実な収入をもたらしてくれた。それもまた私の必要としているものだった。私には養うべき家族
 がいるのだ。

  東北の地震のニケ月後に、私がかつて往んでいた小田原の家が火事で焼け落ちた。雨田典彦が
 その半生を送った山頂の家だ。政彦が電話でそれを伝えてくれた。そこは私が出たあと長いあい
 だ住むものもなく、空き家のままになっており、政彦はその管理について心を痛めていたのだが、
 その不安がまさに的中して火事が起きたのだ。五月の連休明けの未明に火が出て、消防車が通報
 を受けてかけつけたが、そのときにはもうその古い木造家屋はほとんど焼け落ちてしまっていた
(挟く曲がりくねった急な坂道は大型消防車のアクセスをきわめて困難なものにしていた)。幸い
 なことに前夜から雨が降っていたせいもあって、近辺の山林への類焼はなかった。消防署が調査
 をしたが、出火の原因は結局のところ不明だった。漏電かもしれないし、あるいは不審火かもし
 れないということだ。

  その知らせを間いて、私の頭にまず浮かんだのは『騎士団長殺し』のことだった。おそらくあ
 の絵も家と共に焼けてしまったのだろう。そして私の描いた『白いスバル・フオレスターの男』
 も。また大量のレコード・コレクションも。あの屋根裏のみみずくは無事に逃げ出すことができ
 たのだろうか?
  絵画『騎士団長殺し』は疑いの余地なく雨田典彦の残した鍛高傑作のひとつであり、それが火
 事によって失われてしまったことは、日本の美術界にとって手痛い損失であるはずだった。その
 絵を目にしたことがある人間は、ごく少数に限られていた(私と秋川まりえがそこに含まれてい
 る。秋川笙子もちらりとではあるが見ている。そしてもちろん作者である雨田具彦。そのほかに
 はたぶん一人もいないのではないだろうか)。そんな責重な未発表絵画が火事の炎に焼かれ、こ
 の世界から永遠に消え失せてしまったのだ。私はそのことに責任を感じないではなかった。それ
 は「雨田具彦の隠された傑作」として世間に広く公開されるべきではなかったのか? でもそう
 するかわりに、私はその絵を再びしっかり包装して屋根裏に戻した。そしてその素晴らしい結は
 おそらく灰値に帰してしまったのだ(私はスケッチブックにその絵の登場人物一人一人の姿を詳
 細にスケッチしていたが、『騎士団長殺し』という作品に関してあとに残されているものは、今
 となってはそれだけだ)。そう思うと、絵描きのはしくれとして胸が痛んだ。あんなに素晴らし
 い作品だっだのに、と私は思った。私かおこたったことは、あるいは芸術に対する背信行為だっ
 たかもしれない。

  しかしそれと同時に私は、それはおそらく失われなくてはならなかった作品だったのかもしれ
 ないとも思った。私の見るところ、その絵にはあまりに強く、あまりに深く雨田典彦の魂が往ぎ
 込まれていた。それはもちろん優れた絵ではあったけれど、同時に何かを招き寄せる力を有した
 絵だった。「危うい力」と言っていいかもしれない。事実、私はその絵を発見することによって
 ひとつの環を間いてしまったのだ。そんなものを明るいところに出して公衆の目に咽すのは、あ
 るいは適切なことではなかったのかもしれない。少なくとも作者である雨田典彦白身はそう感じ
 ていたのではあるまいか? だからこそ彼はその絵をあえて公表することなく、屋根裏にしまい
 込んだのではないだろうか? もしそうだとしたら、私は雨田典彦の意思を尊重したことになる。
 いずれにせよ、それはもう炎の中に失われてしまったのだし、誰にも時間を巻き戻すことはでき
 ない。

 『白いスバル・フォレスターの男』が失われたことについては、私はとくに残念だとは思わなか
 った。私はいつかもうコ皮、その肖像画に挑戦することになるだろう。しかしそのためには私は
 自分をより確固とした人間として、より大柄な画家として立ち上げなくてはならない。もうコ皮
 私か「自分の絵を描きたい」という気持ちになったとき、私はまったく違うフォルムで、まった
 く遺う角度から「白いスバル・フォレスターの男」の肖像を描き直すことになるはずだ。そして
 それはあるいは、私にとっての『騎士団長殺し』になるかもしれない。そしてもしそんなことが
 実際に起こったなら、おそらく私は雨田典彦から貴重な遺産を受け継いだということになるだろ。

  秋川まりえが火事のすぐあとにうちに電話をかけてきて、私たちはその焼け落ちた家屋につい
 て半時間ばかり話しあった。彼女はその小さな古い家を心から大事に思っていたのだ。あるいは
 その家屋が含まれていた風景を、そしてまたそのような風景が彼女の生活の中に根付いていた
 日々を。そこにはまた在りし日の雨田典彦の姿も含まれていた。彼女の見た両家はいつも一人で
 スタジオにこもって絵の制作に集中していた。ガラス窓の奥にそんな姿が見えた。そういう風景
 が永遠に失われてしまったことは、まりえを心から悲しませたようだった。そして彼女の感じて
 いる悲しみは私にも共有できた。その家は――住んだ期間こそ八ケ月足らずだったけれど――私
 にとってもずいぶん深い意味を持っていたからだ

  そしてその電話での会話の最後に、まりえは自分の胸が前よりずっと大きくなったことを教え
 てくれた。彼女はそのときもう高校の二年生かそれくらいになっていた。その家を出て以来、私
 は彼女とは一度も顔を合わせていなかった。ときどき電話で話をするくらいだった。私はその家
 をもう一度訪れたいという気持ちにあまりなれなかったし、またとくに行かなくてはならない用
 件もなかったからだ。電話をかけてくるのはいつも彼女の方だった。

 「まだまだボリュームはじゆうぶんじやないけど、それなりに大きくはなった」とまりえはこっ
 そり秘密を打ち明けるように言った。彼女は自分の胸の大きさについて語っているのだと理解す
 るまでに、少し時間がかかった。

 「騎士団長が予言したとおり」と彼女は言った。

  それはよかった、と私は言った。ボーイフレンドはできたかと尋ねてみようかと思ったが、思
 い直してやめた。

突然の東日本大震災(→福島第一原発事故)の展開に驚き、また、また、「白いスバル・フォレスタ
ーの男」のメタファとは、あるいは秋川まりえの絵画に感じた「おぞましさ」とはこのことだったの
かと思い、さらに、住んでいた家が焼失した原因は何だっただろうという思いが後に引きずられこと
となった。この続きは次回(完結?)へ。


                                      この項つづく

● 今夜の寸評:エネルギーフリー事業始動

ブログテーマの重要課題も具体的な事業イメージできあがり、あとはプロジェクト各論が残るのみと
なり、ホームページの更新作業をしながらステージシフトということで、アートや音楽の方に気移り
している変化が生まれている(大作を一枚残したい、こころに残る曲を数曲作りたいと考えたりして
いるが、大きな変化の波が押し寄せていることもまた確かで、今以上に作業量が増えるが迷った(眼
精疲労が重篤化しているようで思いと裏腹に落ち込むことも数多く経験するようになった)。ここが
第二の正念場、どうする、エネルギーフリー事業、大作よ!と。

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