極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

秋宵の読書

2016年10月09日 | 時事書評

 

 

 

       世界にはたった二つの家しかいない――「持てる家」と「持たざる家」。

      There are only two families in the world, the Haves and Have-Nots.

                           ミゲル・デ・セルヴァンテス

                            
                                                       Miguel de Cervantes Saavedra
                                                                                                               Sep. 29, 1547 - Apr. 22, 1616

 

【折々の読書 齢は歳々にたかく、栖は折々にせばし】    

   Jun. 26, 2016

 

● 朝日新聞「迫る2025ショック取材班」

          
『日本で老いて死ぬということ』8
 

 

 [目次]

   はじめに

   第1部 日本で老いて死ぬということ

  第1章 生きがいの喪失と回復

  第2章 難しい「平穏な在宅死」
  第3章 口から食べたい
  
  第2部 介護の現実~在宅・施設それぞれのリアル

  第4章 三人介護
  第5章 遠距離介護
  第6章 ダブルケア
  第7章 虐待を防ぐ
  第8章 在宅でみる 
  第9章 訪問看護師の力
  第10章 特養で看取る

  第3部 老いは地域社会で見守れるか

    第11章 地域で暮らす

  第12章 コミュニティ再生
  最終章 未来へつなぐ

  おわりに
  

   第3章 口から食べたい

   栄養指導、生活変わった

  食卓に背筋を伸ばして座り、熊倉良造さん(73)=神奈川県綾瀬市=は「パピプペポ……。タ
 タタ・・・・・・」と口を動かす。食事前の「準備運動」を隣で管理栄養士の宮脇貴美子さん(44)が
 見守る。台所からは妻・妙子さん(70)がゆでたモロヘイヤを包丁で桐かくたたく音が響く。
  昼食に全がゆ、ウナギのかば焼き、モロヘイヤのおひたし、とろみをつけたみそ汗などが並ん
 だ,ウナギは軟らかい真空パックで、皮を取って盛りつけられていた,良造さんは脳出血の後遺
 症でのみ込みに障害があり、歯ごたえのあるものをかむことや、うまく水分を飲むことができな
 い。大好物の脂がのったウナギを箸で小分けにし、目に運んだ,

  宮脇さんは、自宅で暮らす患者を訪問して栄養指導をする「地域栄養ケアPEACH厚木」(
 神奈川県厚木市)の一員,良造さんに1年前から栄養指導をしている。
  宮脇さんはみそ汁をスプーンですくって飲む良造さんを見ながら、妙子さんに「スプーンを変
 えた?」と聞いた。今までより厚みがあり、飲み方が普段と追っていた。
 以前のスプーンに戻すよう助言した。
  近くに住む長女の樋口優江さん(42)は「話しかけると『誤嘸』しそうで怖い」
 と、良造さんが食べ物を過って気管内にのみ込んでしまうことを恐れて、食事中は見つめるだけ
 だった,宮脇さんは「ペースがゆっくりになるから話しかけた方がいいんですよ」と会話を促し
 た。
  宮脇さんの訪問時間は約一時間だが、食べる機能を回復させるため、指導は調理方法や食べ物
 の形態だけではなく、姿勢や食器、口の中のケアまで幅広い。脚の太さも計測する。
  食事を終えた良造さんは宮脇さんと次の目標を話し合った。良造さんは「レタスやキュウリが
 食べたい」。シャキシャキした食感を味わいたいのだという。
  新しいメニューの際は、必ず宮脇さんが見ている前で食べる。妙子さんは「ちやんとのみ込ん
 でいるのか素人には分からない。栄養指導してもらうだけでこうも追うなんて」と話す。
  次回はサンドイッチに挑戦することになった。

  2011年3月、脳出血で救急搬送後に入院した良造さんは、ロからの食事ができなくなり、
 胃からチューブで栄養を取る「胃ろう」の生活が続いた。
  退院後、妙子さんたちは「好きな物を食べさせたい」と情報を集め、言語聴覚士からPEAC
 Hを紹介された,「すがる思い」(妙子さん)で連絡を取り、2012年5月から栄養指導が始
 まった。最初は一ロ大のカップゼリーから始まり、ゼリーの量が増え、おかゆに移行していった。
 副菜も増えた。今は朝、昼は食事をしているが、夜間には誤嘸の不安があるため、夕食は胃ろう
 で栄養をとっている。

  翌年の正月、優江さん一家は良造さんの前で食事をすることに気兼ねし、お茶だけ飲んで帰っ
 た。でも、2014年は硬さは違えど、一緒にまぐろやおせちを味わった。優江さんは言う。「
 こんな日が来るとは思わなかった」

   
退院後の食支える

 「地域栄養ケアPEACH厚木」の代表・江頭文江さん(43)は、元々は病院の管理栄養士だっ
 た。聖隷三方原病院(浜松市)で同期から誘いを受け、のみ込みに障害がある人の食事の研究に
 携わるようになった。
  同院には入院のほか外来を担当する栄養士もいて、食べられるようになった人を継続して支援
 できる仕組みがあった。一方、せっかく食べられるようになったのに、自宅に戻ったり施設に移
 ったりした人が、環境が整わずに誤嘸性肺炎で再入院してしまうケースもあった。「患者さんが
 地域で安心して暮らすには、食の支援が大事だ」と訪問の栄養指導に興味を持った。

  結婚を機に神奈川県内に転居。2000年に前身の「ビーチ・サポート」を設立。
  当時は「管理栄養士が自宅に来て、何をするかは全く知られていなかった]という。
  患者の家族からは「あれもこれも食べてはだめ]と食事制限する人と思われ、玄関で腕を組ん
 で待ち構えられたこともあった。
  医師ら他職腫にも江頭さんの役割は浸透していなかった。「料理を作るだけではなく、食事時
 の患者の姿勢や身体機能にも着目して改善していく」という仕事を理解してもらうと、医師やケ
 アマネジャーから患者の訪問依頼が相次いだ,
  2003年に名称を変え、現在は3人の管理栄養士がいる。60~70人の患者を受け持ち、
 神奈 川県内の厚木、伊勢原、秦野、平塚市を中心に横浜市にも訪問する。
  2014年10月9日、厚木市内の会議室に在宅や施設などで食に関わる栄養士や看護師、介
 護職ら25人が渠まった。江頭さんたちが手がける「あつぎ食支援ネットワーク」の研修会だ。

  講師を務めた東名厚木病院摂食嚥下療法科の芳村直美課長(45)が、認知症で食べられなくな
 った高齢者に、おせんべいを食べさせた経験を話した。「しょっぱいものが好きで、たくあんも
 しやぶった。現在の患者さんの状態を見極めることと、その人の食生活の歴史を知ることが大事
  研修会の開催は、前身の研究会を含め120回を数える。地域で暮らす人の食を継続して支え
 るためには、在宅や施設、病院の連携が不可欠だという,江頭さんは「同じ栄養士でも、在宅か
 施設で立場が違うと、仕事をイメージしにくい。毎月集まることで、互いの環境を見えるように
 している。地域で質の高い食支援ができるよう技術の底トげが目的だ」と話す。

   水ゴクン、訓練いける

 「ここまで食べられると、昔食べられなかったのがうそみたい。3桁(100歳)までいきます
 ね」
  2014年10月16日夕方、川崎市中原区の宮川サクさん(93)の自宅。鶴見犬歯学部助教
 の飯田良平さんは、一口大の栗のお菓子をしっかり食べるのを見て、長女・喜美子さん(68)に
 話しかけた。
  この日は、高齢者歯科が専門の飯田さんのほか、吉武歯科医院の吉武学院長(57)や歯科衛生
 士の斉藤理子さん(42)が訪問した。以前は、胃からチューブを入れる「胃ろう」で栄養をとっ
 ていたが、ほぼ普通の食事をとれるようになっていた。
  斉藤さんが買ってきたお菓子を食べてもらい、のみ込みの様子や音を確認。「お茶も(むせず
 に)ちゃんと飲めていますね」。飯田さんらは、太鼓判を押した。
  2011年2月、サクさんは自宅でくも膜下出血で倒れ、川崎市内の病院に入院した。口から
 必要な栄養がとれなくなり、4月に胃ろうをつくって退院した。

  サクさんは、ほぼ寝たきりの要介護5。在宅で喜美子さんが介護した。食事は3食とも胃ろう
 でとった。
  サクさんは、喜美予さんが食事をしているのを、うらやましそうに見ていた。「少しでも、口
 から食べさせてあげたい」。喜美子さんは、そう思うようになった。
  2012年春のことだった,訪問看護師が、ロをきれいにしようと、うがいをさせていた。す
 ると、うがいをした水を間違ってゴクンとのみ込んでしまった。「え? もしかしたら、口から
 何か食べられるかもしれませんよ」。驚いた看護師は、喜美子さんに言った。

  早速在宅医に相談、そこから吉武院長に、のみ込み評価の依頼があった。約1年間、ロからは
 食事をとっていなかった。3月に口や后の動き具合を見るテストを行い、「専門家に評価しても
 らった方がいい」と判断、飯田さんに詳しい検査を依頼した.、
  9日後に飯田さんが訪問,内院鏡検査などでプリンののみ込み状態を確認した,のどに少し残
 っていたが、唾液を誤嘸してしまうほど重症ではなかった。
 「これは、(食事訓練が)いける」。飯田さんの助言で、斉藤さんはサクさんに、プリンやヨー
 グルトから食べさせ始めた。毎週訪問するうちに、サクさんの表情が、少しずつ変わり始めた。

                                      この項つづく

 

 

 

【我が家の焚書顛末記 Ⅵ:中国思想 管子】  

    解題 3 『管子』の思想

  管仲の経済政策 『管子』には、生産と流通に関する多くの見解が述べられている。二千数百年
 前という
 ことを考えるならば、これはおどろくべき卓見であった。管仲の経済k改革を列挙すれば
 つ
ぎのようになろう。

  1.農業の保護奨励
  1.塩、鉄、金、その他重要物資の生産管理
  1.均衡財改の維持
  1.流通、物価の調整
  1.税制および兵賦の整備

  当時、鉄製農具の普及と役牛の使用によって農衆生産が進むとともに、所有制度は貴族・領主の
 土地占有から封建地主の土地所有刺へと移行しつつあった。一方、商工業がさかんになり、大商人
 が勃興してきた。市-商業都市が形成されつつあった。
  斉の地は、『史記』貨殖列伝によると「潟鹵」(せきろ:塩分の多い湿地)だったという。紀元
 前11世紀
(?)この地に封ぜられた太公望呂尚は機織り、漁業、製塩をおこした、という記録が
 同書にあ
る。また、桑の原産地は、この山東地方であるといわれている。



  こうした基盤にたって、管仲は、製塩業、金、鉄の探知、地方の特産物(青茅、赤弓の材料、玉)
 などを生産管理したものと思われる。これらのものは、従来、自給自足程度の細々としたものであ
 った。その産業化か斉の国力を充実させたことはいうまでもない。漢代に至って、「斉は山と海を
 ひかえ肥沃な土地は千里にわたり、桑・麻が育ち、人民は多く、いろとりどりの布畠や魚塩がある」
 (『史記』貨殖列伝)といわれるようになったのも、管仲の事績が実を結んだためであろう。

  管仲はまた、流通の調整にも着目した。中国の歴史で、物価(とくに穀物の価格)の調整を考え
 だし、それを実際政策に実現させた政治家は、管仲をもって嚆矢とする。「軽重斂散法」といわれ
 るこの方法は、農民の保護と表裏一体を成すものである。『管子』の価格調整法は、一口にいえば
 需給のバランスをとりながら人為的に市場を操作することである。これは近代経済学でいう「管理
 価格Administered Priceと一脈通ずるものがある。

  流通手段としての貨幣について論及したのも、『管子』が最初である。発生の起源は明らかでな
 いが、斉で作られた刀銭(刀の形をした貨幣)が、今日各地で発掘されていることも、これと無関
 係ではあるまい。『管子』は貨幣の役割を重視し、「貨幣発行権は統治者にのみあるべきである
 と説いている。
  封建社会では、国家収入の大宗は地租である。このばあい、税額の査定が当を得ているか否かに
 よって、その田家の政治的安定が左右される。管仲は、ここでもきわめて合理的な考え方をしてい
 る。

  それは、税額の査定に当たっては、所有地の面積の大小だけにとらわれずに、その土地の生産性
 を考慮にいれることである。反当り十石の土地と、反当り一石の荒地に同率の税金をかけられたの
 では農民はたまらない。
 『管子』は、土地を普通の土地と開墾困難地の二極に大別している。そして役者をさらに、沼地、
 藪準河川地、準山地、山地、河川、森林、……といくつかの段階にわける。各段階によって税率に
 違いがある。また、査定の公平を期するために、三年に一度の調整、五年に一度の土地調査を主張
 している。

 君権の確立 管仲は主君の桓公にむかって、周王室に忠誠をつくすことを説いている。かれが本心
 から斜陽にひんした周王室の権威回復を望んだとは考えられない。かれは、その大義名分を利用し
 て斉の富強をはかろうとしたのである。
  経済政策で、きわめて進歩的な見解を示した管仲は、政治の面では保守的な姿勢をとっているか
 のようにみえる。が、血縁的な氏族の紐帯をたちきり、君権支配を確立することは、当時において
 は前むきの姿勢であった。これを郡県割によって確立し、ついに天下を統一したのが後の秦である
 ことを考えればこのことは判然とする。

 人民のコントロール 当世風の表現をかりるなら、『管子』は、「人民は為政者に飼育されている
 と考えていた。牧民笥にある有名なことば、「およそ地を有し民を牧する者は、務め四時に在り。
 守り宮座に在り」はこれを端的に示している。これは『管子』だけでなく、中国の古代社会ではき
 わめてポピュラーな考えであったわけで、「牧民」とか「畜民」とかいう表現がよくでてくる。郭
 沫若はこれを奴隷社会制度の意識として非難しているが、当時の支配眉からみれば、飼育されてい
 る長沢は、放牧されている家畜と、大差なかったのかもしれない。

  管仲は、人民をうまく飼育することを統治者の義務と考えた。そのためには、かれらの生活を保
 証してやることであり、さらに、法律による規制と、制度による抑圧があると考えた。後世の法家
 思想の源泉がここにある。
 
 階層分業の思想 『管子』は階級的な差別を積極的に肯定する。乗馬箱にこういう説明がある。

 「国中の人開かみな高位高官ばかりなら、勤労者はいなくなる。したがって、生産は停止し、国家
 は危機に顔する。反対に、高位の者がいなかったらどうなるか。人民ばかりで統治する者がいない
 から、国家はいたずらに混乱するばかりだ。適正な序列や格差をつけることによって、長幼の序、
 貴賤の別を明らかにすることが肝要である」
 『管子』の階縁談は政治的特権の有無によって差別される、いわゆる「身分」とも違う。それは
 「身分」より一歩進んだものである。『管子』の階級観は、「身分」に一定の生産意識と社会的任
 務を加えたものである。
 

 『管子』は社会を君主・卿大夫・士・農・工・商のいくつかの階層にわけている。この中で、士・
  農・工・高の四階層は、各分担すべき業務があり、互いに違う所に住まわせるべきであり、兼業
 する
ことは望ましくないと主張している。中国の学者はこれを「四民分業定居論」といっている。
 これは
管仲の発想ではなく、周王朝の社会制度の一特長だが、『管子』はとくにこれを強く打ち出
 している。

  四民分業には序列があるか。『管子』は、農業を最も重んじ、工業を一番軽く見る。この考え方
 は
その後、中国よりも日本に強い影響をあたえたようだ。「士・農・工・商」は漢代以降になると
 中国
ではあまり口にされなくなったが、日本では、江戸時代に至って社会的身分をこのことばで概
 括して
いたのである。

 『管子』は後世、じつにさまざまな批判を受けた。孔子・孟子を合む儒家はもちろんのこと、先秦
 時
代では、崇子、列子、荘子、菊子、韓非、漢代では劉向、司馬選、楊雄、近世では程伊川、蘇洵、
 蘇似、呂祖謙、梅士卒、朱長谷、郭正域、兪椙、王念孫、日本では伊藤仁斎、荻生組徐、細井徳民、
 猪飼敬所、安井息軒……と、批判者の数は枚挙にいとまない。現代でも郭沫若、詩仙潜などから批
 判
されている。

  まず管仲という人物にたいする批判がある。これは主として、かれが二君に仕えたことに由来
 る。
が、管仲にとって肉体的な "君主その人" は問題でなかったのだ。かれはいう。「紅さまお
 ひとりのために
 死ぬ必要はない。もし死ぬとすれば、それは、国が敗れるか、宗廟が滅びるか、
 先祖の祭りが
絶えるかしたときだ」(大匡篇)。一種の"君主機関説"とみることができよう。また、
 ともに公子総
に仕えた召忽が自害したのに、管仲だけが桓公の招きに応じたという点にも攻撃が集
 中した。そこに
は、「判富びいき」を哀がえした、アンチ勝利者の心理も作用しているようだ。

  儒家はほとんど例外なく『管子』に反感をもつ。孟子は、管仲と比較されるのは不愉快だといわ
 ん
ばかりだし(公孫丑篇)、孔子は『論語』の中で、「管仲の器量は小さい」「管仲は礼儀をわき
 まえない
やつだ」などといっている。これは、『管子』の説く覇道が、儒家の唱える「仁」や「王
 道」とは対蹠
的なものであることからして当然であろう。『管子』の覇道の根底を成すのは富国強
 兵策であり、
物質優先の考え方であり、儒家にとっては、許し得ぬ "不仁の書" なのである。
  また、『管子』の経済政策も後世の論議をよんでいる。たとえば、明代万暦年間の学者朱長春は
 こういう。
 

 「管子の軽重箱を見てみると、あまりにも米や塩のことに力をいれすぎていることがわかる。政策
 的にも下層階級の救済にばかり気をとられ、ちゃんとした商人や地方の素封家の生活を省みようと
 しない
  こうした批判にたいして、同じ万暦の進士で、経済に精通したといわれる郭正城はいう。 
 「わたくしも『管子』を読んだ。この書は商品の流通をはかり、富国強兵を策してい元その政策は                                                                 

 当時の人民の希望にかなったものである。管子を非難する者はこういう。『管子は小利にこだわり
 大
節を失している』『管子の政策は大商人や金貨業者にきびしすぎ、人情をわきまえていない』。
 だが、
これらはみな木を見て森を見ない論である。管子は人民大衆の気持をよく察しており、すこ
 しも苛酷
ではない。一言一句に千古の道理を秘めているから、その辺り実行すれば、必ず国を富ま
 し、兵を強
くし、民を安んじることができよう」

        解題 4、『管子』の構成

 『管子』は管仲とその弟子たちの著書といわれている。おそらく一世の大政治家の言行録として戦
 国
時代には『管子』は一種のベストセラーになっていたと思われる。
  漢の劉向か訓べたところ、管仲の著作といわれていたのは実に五百六十四指もあった。そこで、
 劉
向は記述の回復した部分を除き、『管子』八十六指を紺染した。これが『漢書』芸文志でいう
 『管子』
である。(後略)


古代中国(先秦時代)の唯物主義のマルクス・レーニン主義的官僚の風貌が浮かんでくるように、こ
れが現代の中国共産党の革新官僚像とダブルようで、なかなか面白い。

                                       この項つづく

 ● 秋宵の2つの新聞

もの憂う秋の夜も悪くはないが、そればかりではねと、前向きに室内運動に精をだす。7日、ワイヤド・
ジャパンは、「魚の言葉にも"
方言"がある」ことを伝えている。エクセター大学の海洋生物学者スティ
ーヴ・シンプソン教授によれば、魚にはそれぞれの生息地固有の「方言」があるという。そして彼は
、地球温暖化に伴う海水温度の上昇により、一部の魚が北上を余儀なくされているなかで、異なる「
方言」をもつ魚が出会ったときに何が起こるのかを突き止めたいと考えているとか。
アメリカのタラが
発する音は、『ドシンドシン』という感じの低い短音です。一方ヨーロッパのタラの音は周波数が高く、
そのうなり声は長く続く。このことから、地域方言は存在すると考えられ、こうした地域方言とは、
鳥類や哺乳類でも見られる現象と同じで、人間も含まれるという。魚の生態がわかりすぎて、そのうち
食べにくくなるぞと、これは犬、猫だけでなく牛、豚、山羊、鶏も同じで、菜食主義に転向するんじゃ
ないかとメランコリーに包まれる?てなっことはないか!(上写真ダブクリ)。

これは旧聞になるが9月27日、ベルギーの独立系研究機関imecらの共同研究グループは、ペロブスカ
イトと銅インジウムガリウムセレン(CIGS)をタンデムに積層し、変換効率17.8%となる薄膜太陽電
池モジュール(上写真/右下)――同積層モジュール(3.76cm2)(図参照)はぺロブスカイトをトップ・
モジュール、CIGSをボトムモジュールとして用い、それぞれ7枚および4枚のモジュールを用いてい
る――試作したことを伝えている。これは、imecが持つぺロブスカイトモジュールの15.3%という
世界記録を超え、ZSWCIGSモジュールの持つ15.7%をも超す値。今回の成果は研究のほんの入口
で、17年には変換効率25%を超す多重接合ぺロブスカイト/CIGS太陽電池モジュールの開発を目指
す。開発段階であるが、ここでも頑張っている。さぁ、実用レベルの30%超開発競争もわたし(た
ち)日本人が終焉(=ゴール)させようではないか、諸君!


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