極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

蓮華草とオーバーカムⅠ

2009年04月06日 | 時事書評


歳くえば 疑い訝り吾知らず 素直に童に 蓮華草に聴く




昨日も小宮祭、献湯祭、自治会への春祭りへの協力依頼など
ででづっぱり。おまけに篝火用の薪割は大人8人がかりと汗
を流したのはいいが、持病の腰痛が悪化。フェイタスを貼る。
一昨日は、ブログ『 紫花菜と寒もろこ』の棚花豊和の手術を
前に仲間と見舞いに行く。進行性小脳萎縮症という難病で、
気道と食道を制御する筋肉が機能しない。口蓋垂と喉頭蓋が
離れ、気道と食道が平面交叉をしていて、食べものを呑み込
むときは喉頭を引き上げて気道をふさぎ、一時的に呼吸を停
止できない。咽頭の気道と食道の交差点を「魔の十字路」と
呼ぶらしいが、高齢者の嚥下性肺炎も大変なのだが、食べた
ものが気道に入るというのであれば致命的だ。一生懸命話し
かけてくれた。「もう話せなくなるから」と。

 脊髄小脳変性症

身寄りの家族が大阪に離れているため、入院、手術手続きの
世話をしたという仲人である杜茂雄が手術後は美味しいもの
が沢山食えるというと、同席する年下の司悟らとともに、
大部屋の患者には迷惑なことだが大笑いとなった。その杜茂
雄は見舞いの中で年金のことを話しだした。「年金を当てに
するようになったからこの国がおかしくなった。元気な内は
働き続けなきゃ」と冗談とも本気も取れないことをいったが
このことは韻を残した。

それにしても、淋しい話だ。見舞いもろくに来てもらえない
時代なのか。三十年前、手弁当で彼を担ぎ出し、候補者の名
前を連呼せず、「琵琶湖周湖の歌」を流しながら選挙を戦っ
た‘同志’だというのに笹木寛と今回の見舞いの四名だけだ。
‘同志’といえど内実のベクトルはそれぞれ異なるのは承知
の上とはいえ、一報が入れば駆け付ける‘気概’は失いたく
ないと自分に言い聞かせる。




 

気が滅入る話をも1つ。個人情報保護の過剰性からか、住宅
の表札が掛かっていないところとか、あってもほんの小さな
表札しかない家が増えた。自治会やPTAの活動で当該住宅
を探すのが大変という話。資本主義社会が‘過剰生産’とい
う呪縛からいまだ解放されないように、‘過保護’も過ぎる
と生き辛くなる。思うに、表札を掛けろと強制したくないが
表札を掛けることで人権を堂々と主張できるというもの。そ
れをしないのは、どこかで、人権を抑圧する側と密通してい
るのではと訝るのは極々当たり前のことと思えるが。


  人びとを病むように育て導きながら、健やかにあれと
 命じる資本主義はいいかえれば、人間生体を狂うべく導
 いておいて“狂者”を(正気を装った狂者が)排除する
 システムです。しかし、生体はそれに慣れ、最後的に耐
 えることができるのか……ぼくはそのことがとても気に
 なります。
  ケインズは1930年ごろ、20世紀末には過に15
 時間程度働けば暮らせるようになる、生活のクオリティ
 も上がると予言していました。でもそれは滑稽なほどち
 がっていました。むしろ逆でした。実際にふたを問けて
 みると、とくに1980年代以降、経済発達国ではたい
 ていどの国でも労働時問が増加していく。労働がどんど
 んどんどん過酷なものになる。それから、競争主義、業
 績主義が主流になっていく。鬱が蔓延する。自殺が増え
 る。さらに不平等が拡大していく。そういう経過をたど
 り、あげくに現在の大失業時代がきたのです。資本主義
 の歴史はじつは精神病の生成史に重大な関連があります。
 資本主義はとりもなおさず、人間生体を強制的に変えて
 いるともいえます。
  そして、これがいちばん恐ろしいことなのですが、経
 済的、生活的不平等が、あるいはいろいろな権利の格差
 が人間社会にあるのは当たり前だという考えがいつの間
 にか常識化した。四、五年まえから日本でもそうなって
 きました。これはなんとしてもくりかえし考えなければ
 いけないのですが、諸権利、生活の快適さ、教育、災害
 が起きたときに安全なところに住めるかどうかというこ
  とをもふくめた不平等、あるいは雲泥の差ほどの収入格
 差が当たり前で、これも能力と自己責任なのだという考
 えが常識化するなかで、実際は、人間の内面が次第に変
 わってきたのではないかとおもいます。
  
         辺見庸『しのびよる破局』/18頁


辺見庸の近著をもとに『破局の乗り越え』を考えようと思い
立ったが、今日の事始めはこの件から入ってみよう。なる程、
ケインズの‘静態的な’預言は外れたが、人間の欲望はダイ
ナミック(動態的)に拡大し続けているから生産性向上分を
差し引いたとしても、その差異の増加は労働時間に比例増加
し続けるだろうし、その物差しを一人当たりのGDPに求め
たとしても逓増しているのは明白だろう。辺見庸が多様する
「資本主義」に「欲望が先か搾取が先か」との問いかけを
いれたとすればどうか。そして、その回答が「巧妙な搾取シ
ステム=‘資本主義’」という図式を脈絡から読み取れる気
がする。

できるが、「巧妙な搾取システム=‘資本主義’」ではなく
「搾取」を「欲望」と置き換えて、「野放図な欲望喚起シス
テム=‘資本主義’」と置き換えたらどうなるか。従って、
この先進諸国社会の陰の部分は「抑圧」ではなく「自家中毒
」ではないかと思うが、この差異が‘彼’と‘私’の距離と
なってあらわれて来るだろうと思う。


ヨシフ・スターリン 

北朝鮮のミサイルの先端が「人工衛星」でなく「仮想核弾頭
」であったことが明らかになった。これで、舞台は、国連と
六カ国協議と二国間協議(これは北朝鮮が拒絶)となるが中
国、ロシアは、ロシアマルクス・スターリン主義の、あるい
は、‘朝鮮動乱の地政学的構図’の‘負の遺産’を引き摺る。
本当のことをいえば、こんなものとさっさと棄て去りたいと
思っているだろうが、過去の経緯を暴露されて困る度合いが
消極的な姿勢として反映されるという意味で、北朝鮮は旧冷
戦大国を‘恫喝’している。そして、さっさと捨て去られて
困るのは、韓国と北朝鮮ということになり、良心的な国民に
とっては北朝鮮が文字通り‘自爆テロ国家’に走ることを一
番怖れている。その意味でいえば‘米国産経済危機’への「
油断」(堺屋太一)が、回りまわって暴発の危険性の切除を
遅らしたと言って良い。



もう一つの気がかりというか、『
カルミアとリチウム』でブ
ログした電気自動車への過剰な期待である。電気自動車社会
のメリットは、①カーボンリスクの逓減と②排気ガスによる
アレルギーや呼吸器疾患の逓減、そして、③騒音という環境
側面への多大な貢献予測だ。尤も、貢献度の見積金額が大規
模で地下化石燃料との総合的な比較で経済効果が計れれば超
資本主義社会(=‘文質淋淋’社会=前社会主義社会)にま
た近づくことになると思っているが、部品点数が少なく内燃
機関方式より仕事量が少なくなる。両方式の並行する移行期
間(5~6年間)の直接的な経済効果が高いので不況対策に
は有効だが、それ以降の労働シフトを計算に入れておく必要
がある。



チャンネル アイコン Joan Baez

辺見庸の『しのびよる破局』をとことん突き詰めこれを突破
する光明を考えていて、“We shall overecome”を思い出し
‘オーバーカム’が気に入りこれをシリーズにしようと決め
た。

チャンネル アイコン Johne Edwards

 Peter Seeger

Seeger at the Clearwater Festival 2007. Pete Seeger


 Astragalus sinicus

今日は正直いって強烈なスケジュールだった。道路使用願い
に警察回り、社務所の燻煙、長芋、生姜、里芋の植え込みと
あっという間に夕食。歳を取ることは頑固で、‘自己中’と
ろくなことない。童に戻り素直に感化されるような感性が欲
しい。そんな歌を書く。

ゲンゲ(紫雲英、学名 Astragalus sinicus)はマメ科ゲンゲ属に
分類される越年草。中国原産。レンゲソウ(蓮華草)、レン
ゲ、とも呼ぶ。春の季語。かつて水田に緑肥として栽培され
現在でもその周辺に散見される。岐阜県の県花に指定されて
いる。童謡でおなじみの「レンゲソウ」。花言葉は「感化」。

 ひらいた ひらいた

ひらいた ひらいた なんのはなが ひらいた
れんげのはなが ひらいた
ひらいたとおもったら いつのまにかつぼんだ

つぼんだつぼんだ なんのはなが つぼんだ
れんげのはなが つぼんだ
つぼんだとおもったら いつのまにかひらいた

          わらべうた/編曲:立川 智也・風琳

 UA

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