極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

百見は一触にしかず

2017年12月25日 | 環境工学システム論

  

        離婁(りろう)篇    /    孟子  

                                 

      ※  最高責任者:臣下を無能呼ばわりするのは見当違いだ。その政策をとやか
     くいうのも見当違いだ。国は君主一人のヽ心がけで決まるからだ。その君
     王の誤りを正廿るのは、ただ人格のすぐれた大人物だけだ。君主が大人物
     の意見を受け入れ、仁・義・正を重んずれば、国じゅうすべて仁・混・正
     を重んずる。国が安定するのは、君主を人格のすぐれた大人物が正すこと
     によるのだ。 

 

    さつき雨寒く降りつつ落葉松のみどり茂みたつ信濃路の山   /  土田 耕平

   から松はいろづきながら散るものか枝々が今朝骨だちて見ゆ  /  半日 良平

 【樹木トレッキング 15:カラマツ】 

 カラマツ(落葉松、唐松、学名:Larix kaempferi)は、マツ科カラマツ属――カラマツ属(唐松属、
落葉松属、学名:Larix)は、裸子植物門マツ亜門マツ綱マツ科の属である。カラマツ Larix kaempferi
などの種が知られている。樹皮は暗褐色で鱗状である。葉はマツより短めの針葉で、20~40本が束状
に生える。葉はそれほど濃密ではないので、林内はそれほど暗くならない。なお、キンポウゲ科にカ
ラマツソウ属があり、これに含まれる植物にも~カラマツの名を持つものがある――の落葉針葉樹。
日本の固有種で、東北地方南部・関東地方・中部地方の亜高山帯から高山帯に分布し、天然林は少な
く日当たりのよい乾燥した場所が生育に適する。学名の種小名はエンゲルベルト・ケンペルへの献名
である。樹高20~40 mになる落葉針葉樹。日本の針葉樹の中で、カラマツはただ一つの落葉性の高木
である]。幹の太さは1mに達する。枝は長枝と短枝という二形性を示し、長枝は10-50 cmになる一方、
短枝はひとつの芽のみからなり、1-2 mmの長さしか無い。葉は針形で、白い粉に覆われた薄い緑色で
あり、長さは2-5 cm。秋には葉は黄色く色づき、褐色の冬芽を残して落葉する。成木の樹皮は灰黒色
から暗い赤褐色となり、表面は短冊状に剥がれる。松かさは長さ2.0~3.5 cmで 中に30~50個の種子
を生産する。松かさははじめ緑色であるが、受粉後4~6ヶ月が経過して十分に熟すと茶色に変化し、
種子を散布する。通常、古くなった松かさは樹にそのままついており、鈍い灰黒色に変色している。
下向きの雄花と紅紫色の雌花が同じ株の樹木で、花期は5月。基準標本は日本のもの。カラマツは、
森林を造林する際に用いる樹木として重要な種であるとされていた(Wikipedia)。



北海道では、明治30年代(1897年~)から本格的なカラマツの造林が始まった。折しも当時の北海道
は、大規模な山火事が各所で頻発から、明治から大正の10年間だけでも約48万haが焼失、育苗が
簡単で成長が速いカラマツの特徴が認められ、被災跡地や無立木地に一斉造林が盛んに行われた。
1923年の例では、全道で約1万haの植栽が行われたが、そのほとんどはカラマツであった。こうした
カラマツの造林は、第二次世界大戦後の中断を挟んで、年間2~4万haの規模で行われ、1950年代後半
以降には、エネルギー利用の変化から薪炭需要に陰りが見えると、雑木中心の薪炭林などを皆伐して
用材向けのカラマツへ樹種転換する拡大造林も行われる。また、長野県でも根づきやすく成長が速い
ことから戦後大規模な植林が行われ、造林面積の約50%がカラマツ林となった。このように各地で
造林に用いられたため、場所によってはその地域のカラマツが自生していたものであるのかが不明で
ある場合もある。材は硬く丈夫であるが、螺旋状に繊維が育つため乾燥後に割れや狂いが出やすく、
板材としては使いにくい材料であるが、現在は構造用合板やLVLに加工され、木造建築で幅広く用い
られている。電柱、枕木、橋梁などの土木素材として使われる他[9]、建築材、船舶材、バルブ原木
の材料としても用いられ、盆栽の材料としても広く利用される[15]。尾瀬では遊歩道の木道に用いら
れる。



2010年代に入り、北海道立総合研究機構森林研究本部林産試験場が新たに開発した「コアドライ」と
呼ばれる乾燥技術を用いることにより、従来問題とされていた乾燥後の割れ・狂い等を大幅に減少さ
せることができるようになり、従来不向きとされていた建築用構造材への適用が有望視されるように
なっている[16]。実際に2018年竣工予定の当麻町役場新庁舎では、「コアドライ」を用いたカラマツ
材を構造材として全面的に採用する。

 

      No.121

【小型水力発電篇:小布施松川小水力発電所】 

自然電力のグループ会社である長野自然電力(長野県小布施町)は、長野県が公募した補助対象事業、
「平成29年度自然エネルギー地域発電推進事業」への提案が採択され、このほど小水力発電所「小布
施松川小水力発電所」を小布施町内で着工したと発表した。2018年春からの運転開始を予定である。
長野県の自然エネルギー地域発電推進事業は、地域主導型の自然エネルギー発電事業を「収益納付型
補助金」により支援し、県内各地へ普及させることを目的としている。同発電所は、同地を流れる松
川から取水した用水路を活用する流れ込み式発電所で、約190キロワットの発電能力である。



水車は、自然電力の小水力発電事業におけるパートナーである、GUGLER Water Turbines(ググラー社、
オーストリア・ゴールドヴェルト)のフランシス型水車を使用する計画(上図参照)。最大使用水量
は約1.5立方メートル/秒、有効落差約14.4メートル。年間発電量は、約117万メガワット時を見
込んでおり、これは一般家庭約360世帯の年間使用電力量に相当する。発電した電力は中部電力へ売
電する予定だ。なお、同発電所は、自然電力グループにとって初の小水力発電事業という。 長野自
然電力は、自然電力が2016年12月に100%出資し設立。長野県内で再生可能エネルギー発電施設の開発
および電力の販売等を行う。自然電力は、今後も自治体等と連携し、地域に根ざした再生可能エネル
ギーの普及を積極的に行うとともに、ググラー社と小水力発電用水車とエンジニアリング技術の日本
市場への導入を促進し、国内の小水力発電用水車の供給不足の解消を図りながら、小水力発電事業の普
及などを目指す(「用水路で約360世帯分の電力、自然電力初の小水力発電が長野で着工」、スマートジ
ャパン、2017.12.22)。 

   

高橋洋一 著 『戦後経済史は嘘ばかり』
   

   第2章 高度経済成長はなぜ実現したのか? 

     第5節 通産省式「合法的カルテル」の栄枯盛衰

    民間企業は何かヒットするかわからないので、様々な分野で開発を進めています。通
   通産省は次のような手も、よく使っていました。たとえば業界から4社を集めて共同販
   売会社(共販会社)をつくるのです。4社にするのはシェアを25%ずつにするためです。
   3社にしてしまうとシェアが33%になって違法なカルテルになってしまいます。そこで
   4社にして、ぎりぎり25%を超えないようにしたのです。要するに「25%カルテル」で
   す。

    業者にとっては合法カルテルなので、利益が上がるように思えます。しかし、結果的
   にこのカルテルはうまくいきませんでした。国内でカルテルをつくっても、輸入品が入
   ってくれば太刀打ちできません。カルテルのために競争力がどんどん落ちていきますか
   ら、全社ともに輸入品にやられてしまうケースが多々ありました。
 
    最終的に共販会社はすべて解散しました。各社は「カルテルをしても、自社の競争力
   を落とすだけで、結局はうまくいかない」ということがわかったようです。カルテルの
   ような無益なことをするよりも、自社の競争力を高めたほうがいいということで、通産
   省主導の合法的カルテルは見向きもされなくなりました,

    カルテルはものすごくメリットかあるものに思えるかもしれませんが、一時しのぎの
   役割しかなく、最終的には企業や産業を弱めてしまいました。
    私が公取にいた1980年代後半は、通産省の合法カルテルの破綻が明らかとなり、
   後処理のような仕事ばかりでした。
    業界を育成するためにつくられた法律は、どれも効果がなかったので次々と廃止され
   ていきました,
    業界指導のなれの果ては、不振業界の構造改革です。特定産業構造改善臨時措置法
   いう法律かあり、通産省は過剰設備の処理をさせようとしていましたが、もはや通産省
   のいうことなど誰も聞いていませんでした。同法は1988年に廃止されました。
    幼稚産業論としては、政府による業界指導は成り立ちます。しかし、それを産業基盤
   の整った日本でやるのは無埋かありました。幼稚産業を脱した一流産業国家では、産業
   政策において国の出る幕はありません。
    もし、通産省が業界指導をやりたければ、途上国に行ってやるべきでした。途上国で
   は業界指導が喜ばれますが、日本のような国でやってもうまくいきません。


   第6節 東京オリンピックの経済効果は、インフラ整備よりも貿易自由化

    高度成長期には1964年の東京オリンピック開催という大イベントがありました。
   東京オリンピックに向けて、日本国内では高速道路や新幹線が整備され、大きな経済効
   果があったといわれています。
    インフラが整備されたという点では、一定の効果はありました。しかし、公共投資に
   よる経済効果は、実はそれほど大したことはありませんでした。
   一番大きな効果は、「貿易の自由化」による経済効果です。
    オリンピックのような国際イベントを開催すると、政治家を含めてみんなの意識が外
   向きになります。「世界に恥ずかしくない国にしたい」と思うようになるのです。
   北京オリンピック(2008八年)のことを思い起こしていただくと、東京オリンピッ
   ク当時のことを想像しやすくなります。

    北京オリンピックが開催されたときに、中国は北京市内の工場の操業を停止して公害
   を防止し、青空の状態にしました。町中で痰を吐く中国人も減ったといわれています。
   外国人に見られて恥ずかしくない状態にしたいという気持ちが国民に広がったのです。
    1964年の東京オリンピックのときも、似たようなことが起こりました。身近なこ
   ととしては、東京の町中のゴミが問題とされ、環境が美化されました。
    どの国でも国際イベントを開催するときには、政治家は外国に対していいところを見
   せたいと見栄を張りがちです。

    また、1964年の東京オリンピック開催で、政治家の意識が外向きになり、オリン
   ピックを機に貿易の自由化が進みました。
    「貿易自由化を進めると輸入が増えて大変になる」という反対意見も多かったのです
   が、
「オリンピックを開催するのだから、世界に恥ずかしくない国にしなければいけな
   い」ということが説得材料になり、自由化を進めることができたのです。下らない規制
   は世界に対して恥ずかしいということで、国内の規制も見直されました。
    こうしたことが起こるのがオリンピックです,

    オリンピックを契機に日本の貿易自由化は急速に進んでいきました。1960年に岸
   政権が「貿易・為替自由化計画大綱」をつくった時点では、貿易自由化率は40%でした
   が、東京オリンピックを目前に控えた一九六三年には、貿易自由化率は92%にまで上昇
   しています。また、一九六四年にはOECD(経済協力開発機構)に加盟して、資本の
   自由化も進めました。
    2020年の東京オリンピックでも同様の効果を期待できます。インフラ整備も進み
   ますが、外国人硯先客を迎えておもてなしをするために通訳が増えたり、語学学習をす
   る人が増えたりするでしょう。世界に目を向ける人が増えて、様々な規制が見直される
   可能性もあります,
    オリンピック開催が決まると、国民が国際化を比較的受け入れやすい状態になりま
   す。「外国から良く思われたい」という意識が改革の原動力となり、経済活動を活性化
   させます,
    そういう意味では、いろいろな国がオリンピックを持ち回りでするようになれば、世
   界の国々がさらに良くなるのではないかと思います。

このように、開発経済体制にはオリンピックなどは有効であり、国連本部の移設世界持ち回り制の導
入や国内的には、首都遷都や全国自治体本部(道州制/地方分権)の持ち回りなどは中央集権制(一
極集中弊害/税制改革)や格差是正に有用だと考える(ブログ掲載済み)。

     第3章 奇跡の終焉と「狂乱物価」の正体

     第1節 ニクソン・ショック前から金本位制はとっくに終わっていた

    1950年代から1970年代初めまで続いてきた日本の高度経済成長は「2つの
   ショック」で終焉を迎えたといわれます。1971年の「ニクソン・ショック」と、1
   973年の「第一次石油ショック」です。
    1971年8月にニクソン大統領は「ドルと金の交換停止」「10%の輸入課徴金の設
   定」などの発表をしました,これが「ニクソン・ショック」と呼ばれるものです,
    ニクソン・ショックの背景として、社会科の教科書ではアメリカの金準備が減少し
   て、ドルヘの信頼が揺らぎ始めたことが単けられています。ニクソン大統領はドルを防
   衛するために、ドルと金の交換停止を決めました。このニクソン・ショックによって金
   本位制が終わったかのように伝えられています。

    しかし、実際にはとっくに金本位制は終わっていました。
    金本位制というのは、貨幣の裏づけに「金」かおる制度です。金の量しか、貨幣をつ
   くることができません。経済活動の拡大に伴って、金の量が増えていくのであれば、金
   本位制は成り立ちます。
    しかし、経済活動はどんどん大きくなりますが、金の増え方はそれに追いつきませ
   ん。そうすると、金に裏づけられた貨幣の量が足りなくなっていきます。つまり、常に
   貨幣が過少気味で、デフレ基調になるということです。 

    このような制度では無理があるため、戦後まもなく管理変動相場制に移行していま
   す,アメリカは保有している金の量しかドルを刷らなかったわけではなく、金保有量と
   は関係なく、ドルを刷っていました。
    世界経済もアメリカの保有する金の信用で成り立っていたわけではなく、ドルの信用
   で成り立っていました。金の裏づけとは関係なく貿易が行われていました。
    形式上は金本位制が残っていましたが、実態は金本位制ではありませんでした。です
   から、ニクソン大統領がドルと金の交換停止を発表したのは、ただただ、実態に合わせ
   ただけのことだったのです。

    ニクソン大統領の目的は、アメリカにとって不利だったドルレートの修正です。戦
   後、アメリカは日本とはIドル=360円、西ドイツとはIドル=4・2マルクの固定
   レートで取引をしていました。日本と西ドイツは圧倒的に有利なレートを利用して稼ぎ
   まくり、国際収支が黒字になりました。
    西ドイツに対しては2回ほど切り上げ要求をしたものの、依然として西ドイツに有利
   なレートでした,日本とのレートはIドル=360円がそのまま続きました。
    アメリカ側から見ると、非常に不利なレートで取引していたため、これ以上は国内が
   持ちませんでした。為替レートの不均衡を調整するしかなかったのです。

    1971年に西欧諸国はそろって変動相場制に移行しましたが、日本は固定相場制を
   維持しようとしました。しかし、西欧通貨の上昇に伴って、日本円もIドル=320円
   台まで上昇しています。
    8月のニクソン・ショック後の動きとして、西欧諸国が為替市場を閉鎖したのに、日
   本は間いたままにしていたために、円買いドル売りが殺到して急激な円高になり、それ
   を修正するために日本は10日間で約40億ドルのドル買いをしました。この失敗が、のち
   の変動相場制移行につながったという説もありますが、些末な議論だと思います。

    固定相場制というのは、このあと詳述しますが、為替介入しない制度ではなく、相場
   を維持するために猛烈に介入する制度です。相場を間いていようが間いていまいが、1
   ドル=360円を維持したいのであれば、遅かれ早かれ介入すざるをえないのです。
   背景には、もっと大きな力が存在していました。アメリカ経済が不利なレートでは持
   ちこたえられなくなったことです。

    表舞台だけを見ていると突発的な現象に見えますが、起こるべくして起こった事象と
   捉えることができます。たまたまニクソン・ショックという形で出てきただけで、もし
   ニクソン・ショックが起こらなければ、別の形でショックが訪れたでしょう。
    歴史家の人たちは、出来事を中心に歴史を見ていますので、ニクソン・ショックとい
   う大きな事件が突発的に起こったかのように捉えています。しかし、私自身は、「ショ
   ック」という言葉を使って騒ぎ立てるほどの出来事ではなかったと見ています。
    無理が利かなくなって風船が破裂したようなもので、いわば自然現象です。

    その年の12月にワシントンのスミソニアン博物館で10カ国財務相会議が開催されて
   通貨の調整が行われました。「スミソニアン協定」を結び、日本は1ドル=360円か
   ら308円への円切り上げを受け入れました。そして、1973年2月に、形式上は固
   定相場制から変動相場制ヘ「国際金融のトリレンマ」を知れば経済を理解できる移行し
   ました。
   「国際金融のトリレンマ」というものをご存知でしょうか。これを知っておくとのこと
   を理解しやすくなります(下図2),

 

    ディレンマ(ジレンマ、ダイレンマ)という言葉はよく知られていますが、ラテン語
   で「ディ」は2つという意味で、「レンマ」は命題という意味です。2つの命題が両立
   しないときにディレンマが起こります。「あちらを立てればこちらが立たず」の状況で
   す。
    「トリ」は3という意味で、「トリレンマ」は3つの命題が一度には成り立だない状況
   のことです。トリレンマは、3つの命題のうち最大2つしか成り立ちません。
    国際金融のトリレンマの命題は次の3つです。

    ・自由な資本移動
    ・固定為替相場
    ・独立した金融政策

    資本移動が自由にできて、固定相場で為替レートが動かずに、国内の景気に応じて何

   にも左右されずに自由な金融政策をとれれば、経済にとって一番好都合です。しかし、
    3つのすべてを同時に達成することは不可能です,
    最大2つまでしか達成できないとしたら、どれを選ぶのか。
    資本主義の場合は、必ず「自由な資本移動」を選ばざるをえません。自由な資本移動
   は、各国で資本を融通するというもので、これができないと自由貿易体制は成り立ちま
   せん。先進国にとって「自由な資本移動」は必ず選ばなければいけない命題です。
    資本主義社会では「自由な資本移動」は絶対条件ですから、残りの2つのうち1つし
   か選べなくなります。
    固定為替相場を選べば、為替レートに左右されずに貿易ができますので、輸出入企業
   にとっては恩恵があります。その代わりに、国内で独立した金融政策を打てなくなりま
   す。

    一方、変動為替相場を選ぶと、貿易をしている企業は為替変動にさらされますが、国
   内で独立した金融政策をとることができるようになります。
   「固定為替相場」と「独立した金融政策」が両立しない理由は、為替介入です。固定相
   場というのは政っておいても相場が維持されるというものではなく、相場を維持するた
   めに介入し続けなければいけない制度です。
    介入のために嫌でも円を刷らなければいけないことかありますので、独立した金融政
   策を行うことができなくなります。日本の為替介入は円高を阻止する方向に働くことが
   多いため、円を刷る必要かおり、国内はややインフレ気味になります。

    高度成長期の日本は、Iドル=360円という為替レートの下、国内でインフレにな
   るという犠牲を払っても、輸出産業で稼ぐ産業構造でした。圧倒的に有利な為替レート
   ですから、輸出産業が稼ぎまくり、そのお金で賃金を上げて国内で回していました。多
   少のインフレになっても誰も文句をいわない世界でした。
    ただ、固定相場を続けていると、「輸出産業だけに恩恵を与えている」という文句が
   国内で必ず出てきます,貿易相手国からは「貿易で儲けすぎている」という批判が持ち
   上がります,

    日米間の場合は、日本が圧倒的に有利な為替レートになっていましたので、アメリカ
   の産業が不満を持ち始めました。繊維分野などで貿易摩擦問題が起こり、「不公正な貿
   易障壁かおる」というクレームが多くなりました。
    日米繊維交渉をしていた当時は、障壁の原因がよくわからず、双方がかなりエキサイ
   トしましたが、「為替に問題かおる」ということをアメリカが認識してからは、為替ヘ
   の圧力がかかるようになりました。
    アメリカはIドル=360円の不均衡なレートに不満を募らせ、変動相場制へと移行
   していったのです,

                                    この項つづく


【超加齢社会と医療費】

● 老衰多いと医療費低く 男性最多は茅ケ崎市全国平均を14万円下回る

老衰と診断されて亡くなった人が多い自治体ほど高齢者の1人当たり医療費が低くなる傾向がある
とが24日、日本経済新聞社の調査で分かった。男性の老衰死が全国最多の神奈川県茅ケ崎市は年
間医
療費が全国平均より14万円低い。老衰死が多くても介護費に増加傾向はなかった。健康長寿
で老衰
死が増えれば、医療・介護費を抑えることができるとみられる(日本経済新聞 電子版 2017
.12.25)。
それによると下図表のように、人口20万人以上の約130市区を調べた。老衰死の自治
体間格差は
男性で最大6.8倍、女性で4.3倍に上った。衰死の割合は男性が高い自治体では女
性も高くなる
関係があり、自治体による違いが大きかった。健康な高齢者の割合の多さや周辺の医療
機関の対応の
違いが影響している可能性がある
としている。

さらに、男性で最も高かったのは神奈川県茅ケ崎市。年齢構成の違いを調整して全国平均を「100」と
する死亡率でみると、210.2で全国平均の2倍超。女性も172.1で2番目の高さだった。今回の調査で
算出した同市の75歳以上(後期高齢者)の1人当たり医療費は年間で約79万2千円で、全国平均(約
93万2千円)より14万円低い。高額の自治体の医療費が同市レベルになれば国全体で2兆3千億円の
医療費が減る計算になる。

これに対し、茅ケ崎医師会は「医療・介護の多職種が連携し、在宅などで暮らす高齢者を支える態
が充実
している。健康を維持して『自宅で最期を迎えたい』という人が増えている」という。市は健
康診断や医療費のデータを詳細に分析しており、生活習慣病対策に力を注いでいるとのこと。一方、
男性で最も老衰の割合が低かったのは大阪府茨木市(30.9)で全国平均より7割少なかった。女性も
49.6で全国平均の半分にとどまり、全体で5番目に少なかった。医療費も全国平均を上回っており、
調査では死因別でみるとがんで亡くなる人の割合が多いと、医療費が増加する傾向がみられる。また、
老衰死は医師の診断差(バイアス)はあるもの、健康度と関係が深い可能性が高く、長寿は医療費全
体を押し上げるとされるものの老衰死が多く医療・介護費が低い地域の要因を解明し、好事例を全国
に広めていく発想と政策的アプローチ
が必要(国際医療福祉大大学院の埴岡健一教授)と、この記事
をむすんでいる。滋賀県の男性の平均寿命が全国1位となり滋賀県が調査中であり関心を惹く。 

                                         

   

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