極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

ブラックマッペの超常現象

2017年04月23日 | 知財安全保障

            人は流水に鑑みるなくして、止水に鑑みる

                         徳充符(とくじゅうふ)

                                                 

           ※ 静止した水はいっさいを包む:魯に王馳(おうたい)という兀者(ごつ
         しゃ:足切りの刑に処せられた人間)がいた。たいへん人望があって、
         孔子にも劣らぬほど多くの弟子がいた。「流れる水は鏡にならぬ。だが
         節止した水は、いっさいの姿をうつしだすことができる。王馳はいわぱ
         静止した水のような人物なのだ」と彼を引用し説く。

 

【世界の朝食:インドのドーサ】

南インドのクレープ様の料理の1つ。 米とウラッド・ダール(皮を取って二つに割ったケツルアズ
のダール)を吸水させてからペースト状にすりつぶし、泡が立つまで発酵させた生地を熱した鉄板
の上でクレープのように薄く伸ばして焼く。❶
ジャガイモなどを香辛料と炒め煮にしたものをドーサ
でくるんだマサラ・ドーサ、❷焼く過程で伸ばした生地の焼けていない部分を削り取って薄く焼いた
ペーパー・ドーサ、❸生地に小麦粉の全粒粉を加えたゴドゥマイ・ドーサ、セモリナを加えたラヴァ
・ドーサ、❹シコクビエ粉を加えたラギ・ドーサ、茹でてつぶしたジャガイモを加えたウルライキジ
ャング・ドーサ、❺ジャガリー(黒砂糖)を加えた甘いヴェッラ・ドーサなど、様々なバリエーショ
ンがある。ココナッツやトマトなどの塩味のチャツネやサンバールと一緒に食べることが多い。南イ
ンドでは朝食や昼食の常食レシピ。スリランカではトーサイと呼ばれ特にタミル人の間で人気がある。

ところで、ダールとは、剥いた小粒の豆(ヒラマメなど)を挽き割ったもの、およびそれを煮込んだ
南アジアの料理のこと
である。しばしば香辛料が入るため、欧米や日本では「ダール・カレー」と紹
介されることが多いが、加える水
の量によって濃さはルー状からスープ状まで色々である。語源はサ
ンスクリットで「分けること」という意味のダラ。インド、パキスタン、バングラデシュ、ネパール
の料理では、主菜となることもあり、南インドでは米や野菜と、北インドとパキスタンでは米やチャ
パティ、ロティなどと共に食べられる。

 secret to make crispy dosa

また、ドーサの原材料であるケツルアズキ(別名:黒緑豆)は、はササゲ属アズキ亜属のつる性草本。日
本では主に『もやし豆』として知られている。
耐乾性が強く、黒色~黄緑色の種子を付ける。インド
からバングラデシュ、パキスタン、ミャンマーにかけて分布、野生種(リョクトウ(緑豆)と共通祖
先)から栽培化されたと考えられているもの。
インドでは古来より保存食(乾燥豆)として一般的で、
煮たり煎ったり、あるいは粉に挽いて用いられる。また、未熟な莢はサヤインゲンの様に野菜として
利用される。
2R,5R-ビス(ジヒドロキシメチル)-3R,4R-ジヒドロキシピロリジンを含むマメ科植物には、
血糖値を抑制する効果のあるα-グルコシダーゼ阻害作用を有するものがあり、アズキ、インゲンマメ、
ケツルアズキ(コクリョクトウ)、リョクトウ、黒ダイズの順でその活性が高く、エンドウ及びダイ
ズではほとんどその活性を示さなないと報告されている(Wikipedia)。
 

また、ブラックマッペ(ケツルアズキ)を発芽させたモヤシは、、緑豆モヤシより細めで水分量が
なく、その分モヤシの風味や香りが強い。成分としては緑豆モヤシと同等だが、ビタミンCとカルシ
ウムの量が緑豆モヤシより数値が高くなっている(下表)。ブラックマッペを知れば知るほど――米
小麦に相当し、
スプラウトとして野菜として使え、さらに調理残渣皮、茎、葉、根などすべて再利
用できそうで太陽光型植物工業で大量生産できそう――
凄い食品・堆肥だと感心する。

 

     

 読書録:村上春樹著  『騎士団長殺し 第Ⅰ部』   

    17.どうしてそんな大事なことを見逃していたのか

  陽光が窓から静かにスタジオに差し込んでいた。緩やかな風が白いカーテンをときおり揺らせ
 た。部屋には秋の朝の匂いがした。私は山の上に往むようになってから、季節の匂いの変化にと
 ても敏感になっていた。都会の真ん中に往んでいるときには、そんな匂いがあることにほとんど
 気づきもしなかったのだけれど。

  私はスツールに腰掛け、イーゼルに載せた描きかけの免色のポートレイトを、長いあいだ正面
 から睨んでいた。それがいつもの仕事の始め方だった。自分が昨日おこなった仕事を、今日の新
 たな目で評価し直すこと。手を勤かすのはそのあとでいい。
  悪くない、としばらくあとで私は思った。
悪くない。私か創りだしたいくつかの色彩が免色の
 
骨格をしっかりと包んでいた。黒い絵の具で、立ち上げた彼の骨格は、今ではその色彩の裏側に
 隠されていた。しかしその骨格が奥に潜んでいることは、私の目にははっきり見えていた。これ
 から私はもう一度その骨格を表面に浮かび上がらせていかなくてはならない。暗示をステートメ
 ントに変えていかなくてはならない。

Butterflay Stool


  もちろんその絵は完成を約束してはいない。それはまだひとつの可能性の城に留まっている。
  そこにはまだ何かが不足している。そこに存在するべき何かが、不在の非正当性を訴えている。
 そこに不在するものが、存在と不在を隔てるガラス窓の向こう側を叩いている。私はその無言
 叫びを聞き取ることができる。

  集中して絵を見ているうちに喉が渇いてきたので、途中で台所に行って、大きなグラスでオレ
 ンジ・ジュースを飲んだ。そして肩の力を抜き、両腕を宙に思い切り伸ばした。大きく息を吸い
 込み、そして吐いた。それからスタジオに戻り、もう一度スツールに座って絵を眺めた。気持ち
 を新たにし、イーゼルの上の自分の絵に再び意識を集中した。しかし何かが前とは違っているこ
 とにすぐに私は気がついた。絵を見ている角度がさっきとは明らかに異なっているのだ。

  私はスツールから降りて、その位置をあらためて点検してみた。そしてさっき私がこのスタジ
 オを離れたときとは、位置が少しずれていることに気がついた。スツールは明らかに移動させら
 れていた。どうしてだろう? 私はスツールから降りたとき、その椅子はまったく動かさなかっ
 たはずだ。そのことに間違いはない。椅子をずらさないように静かにそこから降り、戻ってきた
 ときも椅子をずらすことなく、静かにそこに腰掛けた。なぜそんなことをいちいち細かく覚えて
 いるかというと、私は絵を見る位置と角度に関してはとても神経質だからだ。私が絵を見る位置
 と角度はいつも決まっているし、野球のバッターがバッターボックスの中の立ち位置に細かくこ
 
だわるのと同じで、それが少しでもずれると気になって仕方ない。



   しかしスツールの位置は、さっきまで私が座っていたところから五十センチほどずれていたし、
 角度もそのぶん違っていた。私が台所でオレンジ・ジュースを飲んで、深呼吸をしている間に、
 誰かがスツールを動かしたとしか考えられない。私のいない間に誰かがこっそりスタジオに入っ
 てきて、スツールに腰掛けて私の絵を眺め、そして私が戻ってくる前にスツールから降りて、足
 音を忍ばせて部屋を出ていったのだ。そのときに椅子を――故意にかあるいは結果的にか  動
 かした。しかし私がスタジオを離れていたのはせいぜい五分か六分のことだ。だいたいどこの誰
 が何のために、わざわざそんな面倒なことをしなくてはならないのだ? それともスツールが自
 分の意思で勝手に移動をおこなったのだろうか?

  たぶん私の記憶が混乱しているのだろう。自分でスツールを動かしておいて、それを忘れてし
 まったのだ。そう考えるよりほかはなかった。一人きりで過ごす時間が長すぎるのかもしれない。
 そのせいで記憶の順序に乱れが生じてきているのかもしれない。
  私はスツールをその位置に――つまり最初にあったところから五十センチ離れ、いくらか角度
 
を変えた位置に―――留めておいた。そして試しにそこに腰掛け、そのポジションから免色のボ
 ー
トレイトを眺めてみた。するとそこにはさっきまでとは少し追う絵があった。もちろん同じひ
 と
つの絵なのだが、見え方が微妙に追う。光の当たり方が違うし、絵の其の質感も追って見える。
 その絵にはやはり生き生きしたものが含まれている。しかしまたそれと同時に何かしら不足した
 ものがある。しかしその不足の方向性が、さっきまでとは少しばかり違って見える。

  いったい何か違うのだろう? 私は絵を見ることに意識を集中した。その違いが私にきっと何
 かしらを訴えかけているはずなのだ。その違いの中に示唆されているはずのものを、私はうまく
 見出さなくてはならない。私はそう感じた。私は白いチョークを持ってきて、そのスツールの三
 本脚の位置を床にマークした(位置A)。それからスツールを最初にあった位置(五十センチば
 かり横)に戻し、そこ(位置B)にもチョークでしるしをつけた。そしてその二つのポジション
 の間を行ったり来たりして、その二つの異なった角度から交互にひとつの絵を眺めた。

  そのどちらの絵の中にも変わることなく免色がいたが、二つの角度では彼の見え方が不思議に
 違っていることに私は気がついた。まるで二つの異なった人格が彼の中に共存しているみたいに
 も見える。しかしどちらの免色にも、やはり共通して欠如しているものがあった。その欠如の共
 通性が、AとBの二つの免色を不在のままに統合していた。私はそこにある「不在する共通性
 を見つけ出さなくてはならない。位置Aと位置Bと私白身とのあいだで三角測量をおこなうみた
 いに。その「不在する共通性」はいったいいかなるものなのだろう? それ自体が形象を持つも
 のなのだろうか、それとも形象を持たないものなのだろうか? もし後者であるとすれば、私は
 どうやってそれを形象化すればいいのだろう?

  かんたんなことじやないかね、と誰かが言った。
  私はその声をはっきりと耳にした。大きな声ではないが、よく通る声だった。曖昧なところが
 ない。高くも低くもない。そしてそれはすぐ耳元で聞こえたようだった。
  私は思わず息を呑み、スツールに腰掛けたままゆっくりあたりを見回した。しかしもちろんど
 こにも人の姿は見えなかった。朝の鮮やかな光が、床に水たまりのように溢れていた。窓は開け
 放たれて、遠くの方からゴミ収集車の流すメロディーが風に乗って微かに聞こえてきた。「アニ
 ローリー」(なぜ小田原市のゴミ収乗車がスコットランド民謡を流さなくてはならない私には謎
 だった)。それ以外には何ひとつ音は聞こえない。
  おそらく空耳なのだろうと私は思った。自分の声が聞こえたのかもしれない。それは私の心が
 意識下で発した声だったのかもしれない。しかし私が耳にしたのはいかにも奇妙なしゃべり方だ
 った。かんたんなことじゃないかね、私はたとえ意識下であろうがそんな変なしゃべり方はしな
 い。

  annie laurie


  私はひとつ大きく深呼吸をして、スツールの上から再び絵を見つめた。そして絵に意識を集中
 した。それは空耳であったに違いない。
  わかりきったことじやないかい、とまた誰かが言った。その声はやはり私のすぐ耳元で聞こえ
 た。
  わかりきったこと? と私は自分に向かって問いただした。いったい何かわかりきったことな
 んだ?
  メンシキさんにあって、こにないものをみつければいいんじやないのかい、と誰かが言った。

  相変わらずとてもはっきりとした声だった。まるで無響室で録音された声のように残響がない。
 一音一首が明瞭に聞こえる。そして具象化された観念のように、自然な抑揚を欠いている。
  私はもう一度あたりを見回した。今度はスツールから降りて、居間まで調べに行った。すべて
 の部屋をいちおう点検してみた。でも家の中には誰もいなかった。もしいるとしても、屋根裏の
 みみずくくらいのものだ。しかしもちろんみみずくは目をきかない。そして玄関のドアには鍵が
 かかっていた。

  スタジオのスツールが勝手に移動したあとは、このわけのわからない奇妙な声だ。天の声なの
 か、私自身の声なのか、それとも匿名の第三者の声なのか。いずれにせよ、私の頭は変調をきた
 し始めているのかもしれない、そう思わないわけにはいかなかった。あの真夜中の鈴の音以来、
 私は自分の意識の正当性にそれほど自信が持てなくなっていた。しかし鈴の音に関して言えば、
 免色もそこに同席し、私と同じようにその音をはっきり耳にしていた。だからそれが私の幻聴で
 はないことは客観的に証明された。私の聴覚はちゃんと正常に機能していたのだ。だとしたらこ
 の不思議な声はいったい何なのだろう?

  私はもう一度スツールに腰掛け、もう一度絵を眺めてみた。

  メンシキさんにあって、ここにないものをみつければいい。まるで謎かけのようだ。深い森の
 中で迷った子供に、賢い鳥が教えてくれる道筋のようだ。免色にあってここにはないもの、それ
 はいったい何だろう?

  長い時間がかかった。時計が静かに規則正しく時を刻み、東向きの小さな窓から射し込んだ床
 の日だまりが音もなく移動した。鮮やかな色をした身軽な小鳥たちがやってきて柳の彼にとまり
 しなやかに何かを探し、そして鳴きながら飛び去っていった。円い石盤のようなかたちをした白
 い雲が、列をなしていくつも空を流れていった。銀色の飛行機が一機、光った海に向かって飛ん
 でいった。対潜哨戒をする自衛隊の四発プロペラ機だ。耳を澄ませ、目を凝らし、潜在を顕在化
 するのが彼らに与えられた日常の職務だ。私はそのエンジン音が近づいてきて去っていくのを聞
 いていた。 

  P-3 Orion · Lockheed Martin

  それから私はようやく、ひとつの事実に思い当たった。それは文字通り明白な事実だった。ど
 うしてそんなことを忘れてしまっていたのだろう。免色にあって、私のこの免色のポートレイト
 にないもの。それはとてもはっきりしている。彼の白髪だ。降りたての雪のように純白の、あの
 見事な白髪だ。それを抜きにして免色を語ることはできない。どうしてそんな大事なことを私は
 見逃していたのだろう。

  私はスツールから起ち上がり、絵の具箱の中から急いで白い絵の具をかき集め、適当な絵筆を
 手にとって、何も考えずに分厚く、勢いよく、大胆に自由にそれを両面に塗り込んでいった。ナ
 イフも使い、指先も使った。十五分ばかりその作業を続け、それからキャンバスの前を離れ、ス
 ツールに腰掛け、出来上がった絵を点検した。

  そこには免色という人間があった。免色は間違いなくその絵の中にいた。彼の人格は――それ
 がどのような内容のものであれ――私の絵の中でひとつに統合され、顕在化されていた。私はも
 ちろん免色渉という人間のありようを、正確に理解できてはいない。というか、何ひとつ知らな
 いも同然だ。しかし画家としての私は彼を、総合的なひとつの形象として、俯分けできないひと
 つのパッケージとして、キャンバスの上に再現することができる。彼はその絵の中で呼吸をしい
 る。彼の抱える謎さえもが、そのままそこにあった。

  しかしそれと同時に、その絵はどのような見地から見ても、いわゆる「肖像画」ではなかった。
 それは免色渉という存在を絵画的に、画面に浮かび上がらせることに成功している(と私は感じ
 る)。しかし免色という人間の外見を描くことをその目的とはしていない(まったくしていない)。
 そこには大きな違いがある。それは基本的には、私が自分のために描いた絵だった。

  依頼主である免色が、そのような絵を自身の「肖像画」として認めてくれるかどうか、私には
 予側かつかなかった。その絵は彼が当初期待したものからは、何光年も離れたものになってし
 まっているかもしれない。私の好きなように自由に描いてくれればいい、スタイルについて何も
 注文はつけない、と免色は最初に言った。しかしそこにはひょっとして、免色自身がその存在を
 認めたくない何かしらネガティブな要素が、たまたま描き込まれてしまっているかもしれない。
 しかし彼がその絵を気に入ったとしても気に入らなかったとしても、私にはもう手の打ちようが
 なくなっていた。その絵はどう考えても既に私の手から、また私の意思から遠く離れたものにな
 っていたからだ。

  私はそれからなおも半時間近く、スツールに座ってそのポートレイトをじっと見つめていた。
 それは私自身が描いたものでありながら、同時に私の論理や理解の範囲を超えたものになってい
 た。どうやって自分にそんなものが描けたのか、私にはもう思い出せなくなっていた。それは、
 じっと見ているうちに自分にひどく近いものになり、また自分からひどく遠いものになった。し
 かしそこに描かれているのは疑いの余地なく、正しい色と正しい形をもったものだった。

  出口を見つけつつあるのかもしれない、と私は思った。私は目の前に立ちはだかっていた厚い
 壁をようやく抜けつつあるのかもしれない。とはいえ、ものごとはまだ始まったばかりだ。手が
 かりらしきものを手にしたばかりなのだ。私はここでよほど注意深くならなくてはならない。自
 分に向かってそう言い聞かせながら、使用した何本かの絵筆とペインティング・ナイフから、時
 間をかけて絵の具を洗い落とした。オイルと石鹸を使って丁寧に手も洗った。それから台所に行
 って水をグラスに何杯か飲んだ。ずいぶん喉が渇いていた。

  しかしそれにしても、いったい誰があのスタジオのスツールを移動させたのだろう(それは明
 らかに移動させられていた)。誰が私の耳元で奇妙な声で語りかけてきたのだろう(私は明らか
 にその声を耳にした)。誰が私に、あの絵に何か欠けているかを示唆したのだろう(その示唆は
 明らかに有効なものだった)。

  おそらく私自身だ。私か無意識に椅子を動かし、私自身に示唆を与えたのだ。持って回った不
 思議なやり方で、表層意識と深層意識とを自在に交錯させて……。それ以外に私に思いつけるう
 まい説明はなかった。もちろんそれは真実ではなかったのだが。
  午前十一時、食堂の椅子に座って、熱い紅茶を飲みながらあてもなく考えごとをしているとき
 に、免色の運転する銀色のジャガーがやってきた。私はそのときまで、免色と前夜交わした約束
 をすっかり忘れてしまっていた。絵を描くことに夢中になっていたせいだ。それからあの幻聴だ
 か空耳のこともあった。

  免色? どうして免色が今ここに来るのだろう?

 「できれば、もう一度あの石室をじっくりと見てみたいのです」、免色は電話でそう言っていた。
 私は家の前でV8エンジンがいつもの唸りを止めるのを耳にしながら、そのことをようやく思い
 出した。

History of psychology

スツールの移動は超常現象なのか?そうではない。表層意識と深層意識とを自在に交錯させて「もっ
て回ったやり方」がそうさせていたのだと。また、免色にあって、私のこの免色のポートレイトにな
い「白髪」の内省的発見の経緯がこの第17章で語られる。「好奇心が殺すのは猫だけじゃない」へ
と続く。めがはなせない。

                                      この項つづく

 

 



【RE100倶楽部:風力発電篇】

● 改良特許事例:モータ磁力低下防止技術

発電機に永久磁石を用いる場合、永久磁石が一度減磁すると、発電機電流を増加させることになり、
これが減磁を加速させ悪循環に入る。この結果、磁石を含めたロータの部品交換を急きょ行わなけれ
ばならない自体
になり、交換部品の手配など、保守作業に追われることになる。このため、発電機に
永久磁石を用いる上で永久磁石が減磁した際、運転をできる限り長く運転できる対応が求められてい
た。

下図の東芝の特許は、風車、発電機および制御部とを備える。風車は風を受けて回転する。発電機は
ヨークに永久磁石を用い風車の回転動力を電力に変換する。制御部は風車および発電機に設置された
センサから受信した信号を基に維持すべき発電機のトルクを求め、永久磁石の磁力が正常時の予め設
定された発電機のトルクと電流との第1の関係に従い発電機のトルクを決定し発電機による発電を制
御する。制御部は発電機の電流とトルクの経時的な変化から予め設定された許容値を超える永久磁石
の減磁が検知された場合、第1の関係とはトルクと電流の関係が異なる減磁時の第2の関係に従い減
少させるトルクを決定する新規機構考案が呈示されている。
 

Apr. 20/ 2017

【解決手段】風力発電装置は、風車1、発電機2および制御部41とを備える。風車は風を受けて回
転する。発電機はヨークに永久磁石を用い風車の回転動力を電力に変換する。制御部は発電機の電流
とトルクの経時的な変化から予め設定された許容値を超える永久磁石の減磁が検知された場合、第1
の関係とは前記トルクと前記電流との関係が異なる減磁時の第2の関係に従い減少させるトルクを決
定する(
選択図:図1)。

正直、本調子じゃない。
     ところで、世界の軍事3大国の米露中の政治リーダー(層)の選択誤謬(いいかえれば、ミスリ
   ード)により「常在戦場」状況は深まるばかりだ。翻って、自民党政権は調子に乗りすぎの体た
     らくに歯止めが効かないようだ。荘子の「人は流水に鑑みるなくして、止水に鑑みる」の言葉が
     胸を突き刺すかのよう
だ。情けない。


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