徳丸無明のブログ

雑文、マンガ、イラスト、その他

自虐なき世界――理想国家はどこにあるのか・後編

2017-04-25 21:33:20 | 雑文
(前編からの続き)

次に自虐史観の問題を、具体例に沿って考えてみたい。
自虐史観関連で一番言及の対象とされるのは、南京虐殺だろう。反自虐史観論者は、虐殺が確実に行われたとする証拠がないとか、中国政府が公式発表している死者の数はあまりに多すぎて、物理的にそれだけ殺害するのは不可能だし、そもそも当時の南京の人口より多いから出鱈目だ、と言っている。
まず、虐殺の証拠についてだが、証拠がなければ虐殺行為があったとは認められない、とするのは、どれだけ正当性があるのだろうか。
戦争というのは、破壊行為である。交戦国の人間のみならず、住居、インフラ、その他建築物もまとめて破壊されるのが常である。だからその過程で、記録媒体も一緒くたに破壊・焼却されてしまうのが自然な成り行きのはずだ。
当時は今とちがい、カメラなどの撮影機器は高価で、所有できる者は少数であった。また、現代のように、一人一台所持している携帯電話にカメラ機能が付いているとか、町内の至る所に防犯カメラが設置されているという状況でもなかった。記録媒体自体がごく限られている時代の、しかも侵略・破壊行為を蒙っているさなかに、「今何が起きているか」を正確に記録しておくことは、極めて困難だろう。
だから、「証拠がなければ虐殺が行われたとは断言できない」と言うのは一面の真理であるかもしれないが、「証拠がないので虐殺は起こっていない」と断ずるのも無体な話だと思う。
戦争の渦中に、都市の制圧という侵略行為が行われたのであれば、その過程で少なからず虐殺が起きたと考えるのが自然ではないのか。つまり“推定有罪”が成り立つとみていいのではないか。(虐殺が起きたと推察される状況証拠がある程度出揃っているにも関わらず、それでも明確な根拠がないからと虐殺を否定するのは、自分達にとって都合のいい証言ばかりを集めて「アウシュビッツでは虐殺は起きていなかった」と強弁する新ナチスの言い草に酷似している)
仮に百歩譲って、虐殺行為は一件も起きていなかったとしよう。しかしそれでも、日本軍は南京を侵略したのである。この事実は動かせない。非侵略行為は、現地の住民には耐えがたい屈辱を与えたはずだ。だから、いずれにせよ日本は、南京に関して中国に謝罪しなくていい、ということにはならない。
日本側が反証していいのは、殺害者数の多さが不自然であるという点ぐらいだが、それだって事実とかけ離れていれば中国のほうが勝手に恥をかくだけだから、好きなように言わせておけばいい、という気もする。いずれにせよ、殺害者数が間違っていることを以て、謝罪を回避しようとする態度は許されないだろう。

確かに、過度な自虐は病的かもしれない。そこだけは反自虐史観論者に同意してもいい。だが、自虐を完全に排してしまえば健全な国家が確立できる、という見立てには首肯できない。自虐が一切存在しない国家というのも、それはそれで病的だと思うからだ。
「日本の若者は、アメリカや中国などの他国の若者に比べて、自分に自信を持っていない」といったデータが、たまにメディアで開示される。アンケートに基づくこの種の調査結果は、必ずと言っていいほど「日本の若者は情けない」という文脈で紹介される。
だが、過剰な自信を持つことの危険性こそ、もっと強調されてしかるべきである。
アメリカがこれまでにどんなことをしてきたか。現在の中国が、周辺諸国にどんな振る舞いをしているか。自分の行為に何の疑いも差し挟まない者が、過去の言動を内省的にふり返ることをしない者が、周囲にどんなことをしでかすか。むしろ問題視すべきはそちらの方である。
過剰な自信を持つ者は、反省しない。過ちに気付くこともないし、欠点を直すこともできない。それは、過度な自虐とは対極に位置する、一種の病態である。
そして、「過度な自虐家」と「過度な自信家」とでは、周囲に迷惑をかけまくるという点に鑑みて、後者の方が害悪の度合いが高いと言っていいのではないだろうか。
国家は、ちょっと自虐的なくらいがちょうどいい。小生は、そう思っている。
『政治』 ジャンルのランキング
コメント (3)   トラックバック (1)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 自虐なき世界――理想国家はど... | トップ | マンガ・四コマ・『渇きくん』 »
最近の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (coffee)
2017-04-29 12:25:48
>仮に百歩譲って、虐殺行為は一件も起きていなかったとしよう。しかしそれでも、日本軍は南京を侵略したのである。この事実は動かせない。

侵略などしていない。

日本軍は、上海で大苦戦を強いられた。

ようやく上海戦が終わった後にも、蒋介石は、11月6日にトラウトマン駐支ドイツ大使から伝えられた日本の和平案に応じる気など端からなかった。

蒋介石は、「敵が南京に至れば我々は南京を防衛する。敵が四川を攻撃すれば我々は四川を防衛する。敵の侵略が続く限り我々は永久に戦い続けるであろう」と世界に公言した。

11月20日の「遷都宣言」でも、
「盧溝橋事件発生以来…日本の侵略は止まる事を知らず…各地の将士は奮って国難に赴き…死すとも退かず…日本は更に暴威を揮い…わが首都に迫る…およそ血気ある者で瓦全より玉砕を欲せざる者はない。…」
と言っていた。

蒋介石は日本が大幅に譲歩した和平案を悉く蹴っており、日本軍が進撃の手を緩めれば、すぐに反撃しようとしていたことは間違いない。
――――――――――
●1937年
8月9日、和平会談の予定だったが、海軍陸戦隊の大山中尉が惨殺される。
8月13日、蒋介石軍が包囲した上海の国際租界の日本人居留区を攻撃開始
8月14日、支那軍が上海市街のホテルなどを爆撃。これを日本軍の仕業と世界中に宣伝。
8月23日、支那軍が上海のデパートを爆撃。これも日本軍の仕業と世界中に宣伝。
11月2日、広田外相が正式にドイツ大使に仲介を依頼し、日本側の和平条件を提示。
11月6日、駐支ドイツ大使が日本の和平案を伝えるが、蒋介石はこれを蹴る。
12月10日、南京を包囲された支那軍が日本の降伏勧告を無視
南京陥落後、日本はまたもや和平を持ちかける。
●1938年
1月2日、ドイツ大使トラウトマンが日本の和平案の返事を聞くために蒋介石を訪問しようとしたが、蒋介石は会わず。
1月15日、日本の和平案を蒋介石が蹴る。
1月16日、日本政府が「国民政府(蒋介石)を相手とせず」と声明。
――――――――――
侵略なんてしていない!謝罪は一切不要 (coffee)
2017-04-29 12:33:44
>非侵略行為は、現地の住民には耐えがたい屈辱を与えたはずだ。だから、いずれにせよ日本は、南京に関して中国に謝罪しなくていい、ということにはならない。

現地住民は、日本軍を歓迎していた。
だから、謝罪なんて一切必要なし!
――――――――――
以下は佐藤己三男准尉から聞いた南京陥落から四ヶ月後の湯山の模様。

 「どうも油断がならなくてね。昨夜も付近烽火を合図に数十名の敗残兵が現れ、良民から金品を強奪して行きました。そのため毎日討伐をやり、警戒を厳重にしていますよ」(347頁)

大坪鉄三郎准尉と長倉久徳一等兵が語る、湯山の南の句容の状況。

 「この近くの部落へ十五名ばかりの強盗がやってきて、主人(農夫)を竈の上に吊り上げ、火あぶりにしたが、それが丁度、憲兵隊が使っているコックの実家なので、すぐに報告があり、今朝二手に分かれて討伐をやったのです。・・・奴らの残忍性にはあきれます。

 農民を火あぶりにした上、金を奪い取り、憲兵隊へ密告せば命がないぞと脅していくので、農民はブルブル震えて仕事が手につかないのです、そのためわれわれが行くと喜び親しんでイスをすすめ、お茶を出して歓待してくれますよ」(349頁~350頁)
『1937南京攻略戦の真実』東中野修道編著(小学館文庫)より引用
――――――――――

その他、支那軍は支那農民から食糧を強奪したが、日本軍は支那農民から食糧を盗まず、逆に日本軍が支那農民に食糧を与えたこともあった資料を提示する。
――――――――――
一般住民に対して、徴発と略奪があまりしばしば行われたので、農民は日本軍(1)よりも彼等自身の軍隊をさらに一層憎んだ。穀物を略奪されまいとして抵抗する農民を飢えた中国兵が殺したり、日本軍の進撃を免れるために逃亡兵が村民を殺し、その衣類を自分が着こんで変装するということも起こった。

(1)日本軍は食べ物が良かったので、中国兵ほどには盗みをする必要がなかった。

(略)

河南省では、当局の無関心、無能力、穀物のトン積、さらには投機のために、1942年から43年にかけて起こった飢饉が大いに悪化したので、日本人が1944年にこの省に再び侵入した時、彼らにとっては事はことのほかに容易だった。
彼らが前進してくるにつれて、農民は国民党の軍隊を襲撃し、武装解除し、時にはこれにリンチを加えたのである。
『中国革命の起源1915-1945』ルシアン・ビアンコ著
――――――――――

農民の飢餓救った日本軍 邦訳本出版 中国で映画化
(06/4/9産経新聞より一部抜粋)

1942年、大飢饉で河南省の農民を救ったのは、日本軍だった。…(略)…劉震雲さん著、劉燕子さん翻訳の「温故一九四二」だ。同小説は日中戦争の最中の1942-43年、河南省を襲った干魃による被災民3千万人、餓死者3百万人という大飢饉の状況を農民、蒋介石ら指導者、米国人記者、日本軍の立場から多面的に描き出した。飢饉の原因は天災だけでなく、中国軍の容赦ない軍糧のとりたてのせいでもあった。その中で、日本軍は餓死寸前の農民に軍糧を放出した。
長々と駄文を書いている人がいるが (特命希望)
2017-05-02 01:41:57
>蒋介石は日本が大幅に譲歩した和平案を悉く蹴っており
それ以前にとっとと出ていけ!厚かましい。
日中戦争開始時点で、中華民国に張学良が降伏して曲がりなりにも統一完了してから何年経ってる?
傀儡政権の統治地域に「誤爆」と「シャブ売り」を仕掛けておいて、住民がキレたら「通州事件()」だと?
>1942-43
盧溝橋事件から何年たってると思ってるんだ?そりゃ中国国内の産業に影響も出るわ。
夏淑琴裁判で資料捻じ曲げやらかした、前科者の東中野を引用してる時点でアウトだ。ネトサポにでも雇ってもらえ場良いのだ、こういう横着物は。

コメントを投稿

雑文」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
南京大虐殺が世界記憶遺産に登録決定!ユネスコ・政府「断固たる措置を取る」分担金の...... (正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現)
↓忘れずに、最初にクリックお願いします。↓ 「南京大虐殺」がユネスコ世界記憶遺産に登録決定! 日本政府は、「断固たる措置を取る」と述べ、分担金の一時凍結など......