徳丸無明のブログ

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昔の射程を長くとってみれば③

2015-10-24 23:31:22 | 雑文
(②からの続き)

あともう一つ、「言葉の乱れ」に関して。
若者の言葉の乱れを嘆く声も、これまた多く存在する。
言葉については、主語と述語の関係など、文法の問題もあるのだが、この場合の乱れというのは主に単語の使い方、単語の意味の解釈を指している。
言葉というのは、移り変わるもの、変化し続けるものである。これまでの歴史の中で、常に変わり続けてきた。
だが、言葉の乱れを嘆く年配者は、変化を一切認めようとしない。
まあ、それも一つの考え方と言えなくもない。なら、その考えをもっと徹底させてほしい。
乱れ(変化)を一切認めない、と言うのなら、言葉の、その起源まで遡るべきである。言葉の乱れを嘆く年配者が模範としているのは、自分が子供だった頃の一般的な言葉遣いだろう。
しかし、それでは甘い。言葉の乱れが良くないのであれば、その起源を求めて、もっともっと過去に遡ってもらわねばならない。
室町、平安、飛鳥と、今から振り返ると相当昔の時代であっても、まだ甘い。じゃあ、行き着く先は縄文時代?いやいや、起源こそが正解であるならば、原始時代まで遡ってもらわねば困る。
原始時代の言葉とは、如何なるものであったか?サルから進化したばかりなので、文法とか大系といったものはなく、文字通り原始的な、「ウホウホ」とか「キーキー」といった話し方であっただろう。言葉の乱れを一切認めないのであれば、サルとほとんど変わらない話し方が正解、ということになってしまうわけだ。
というわけで、若者の言葉の乱れを嘆く年配者は、自らの言葉遣いを根本から反省し、これからは「ウッホ、ウッホ」と話すようにしていただきたい。

この手の、「昔は良かった」に類する議論に、「近頃の若いモンは」がある。
これなども、居酒屋でオダをあげるためのネタとして語っているだけなら害はないのだが、これを本気で若いモンに直接ぶつけてくると、「ちょっと待ってよ」となる。
子供というのは、大人が作り上げた社会の中に産まれてくる。そして、その社会の影響を受けながら育つ。社会から、全く影響を受けずに成長することはできない。なので、若いモンに何かしらの問題があるというのなら、その若いモンに影響を与えた社会づくりに関わってきた大人にも、その責任の一端があるということだ。
だから、若いモンを責めるより先に、若いモンを育ててきた自分たち大人の責任をまず問うべきである。大人に全ての責任があるというわけではないが、社会の一員として働き、子供を育ててきたのであれば、責任の一端はあると言わざるを得ない。
少なくとも、無責任に、まるで他人事のように若いモンを頭ごなしに説教する、という態度を取るべきではない。ま、どうしてもそうしたいって言うなら勝手だけど、そんなことしても「ああ気持ちよかった」っていう自己満足に浸れるだけで、若いモンから尊敬されることはないだろうし、今後はまともに話を聞いてもらえなくなるかもしれない。
「ああ、はいはい、言ってろよ」と。
だから、建設的な何かを求めるのであれば、他責ではなく、自責から始めねばならない。
「あなたは、近頃の若いモンのために、これまで何をしてきましたか?」


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