徳丸無明のブログ

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下着の名称に見る性の非対称性

2017-04-11 21:20:11 | 雑文
雑学王として知られる唐沢俊一と、その弟で漫画家の唐沢なをきによる、「唐沢商会」という兄弟ユニットがある。
その唐沢商会のエッセイコミック『ガラダマ天国』の中で、死語について語っている箇所がある。扱われている死語の一つが「パンティ」なのだが、それに対して寄せられた読者の声がいくつか紹介されている。
そのうちの一人の女性は、「私が「パンティ」という言葉にひっかかったのは今から10年前〔引用者注・この漫画の発表は1997年〕のあの事件で――/“今田勇子”という名で警察に届けられた手紙に/くちゃくちゃのパンティ/というくだりがあり、そのときに「あ、これは女じゃないな」と感じました。――フェチのはいった男の人だ、と思ったのです」と述べていた。
「あの事件」とは、もちろん宮崎勤による連続幼女誘拐殺人事件のことである。この事件は、宮崎本人が逮捕されるまで、容疑者の特定にすら至っていなかった。誘拐されたのが幼女であったため、男の犯行である可能性は高いと目されてはいただろうが、手紙の中で「今田勇子」を名乗っていたことから、女の犯行である可能性も捨てきれていなかった。犯人が特定されておらず、宮崎が「今田勇子」名義で犯行声明文を送付していた段階で、その中の「パンティ」という一語をもって、犯人が男だと直感していた人がいたのだ。
この女性は、「女の人が「パンティ」を使いたがらないのはこの言葉が創り出す男の人の妄想や幻想に拒否感を感じるからであろう」とも述べている。他にも数人の女性の意見が紹介されているが、皆パンティという言葉には抵抗があると言っている。パンティという語が、いつ、どこで創られたか定かではないが、おもにポルノ界隈で用いられてきたことを鑑みるに、男が、己の願望を満たすことを、ただそれだけを目的として、女性がどう感じるかには一切お構いなしに、この単語を選択してきたとみて間違いないだろう。
唐沢兄弟と同じくサブカルチャー界の住人たる杉作J太郎は、その著書『恋と股間』の中で、「ぼくは、女性下着だけじゃなく、男性下着も「パンツ」でなく「パンティ」って呼んでいます」と述べている。政治的に正しい実践だと思う。
もし男が、自身の下着をパンティと呼ぶことに異様な恥ずかしさを覚えるのであれば、その恥ずかしさを女性の側に一方的に押し付けてきた過去を思え、ってことだわな。
パンティという言葉に付随する恥ずかしさ、それは男の、一方的で、自己中心的な、非対称的であることを疑いもしない、無神経な願望の押し付けからくる恥ずかしさである。
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