GOKIGENRADIO

ロックとシガレット グラス片手に好き勝手に書いてます 

Yuming No Sideと感動の大安売り

2017-07-12 05:45:49 | MUSIC/TV/MOVIE
ドキュメンタリー番組が好きだ。
「情熱大陸」とか、もう終わっちゃったけど「プロジェクトX」とか「そのとき歴史が動いた」とかね。
実はあのとき裏ではこんなことやあんなことが・・・ってのを知ると、すごいなぁ、やるなぁ、頑張ったんだなぁなんて感心してしまう。
裏話、裏事情ってやつね。

でもさ、最近この裏事情とかを自分で暴露したり語ったり、無理やり周りがすぐ美談にしたりって多くない?
あとでエピソードを知るから感動するのであって、現在進行形でつてられてもなぁ。

高校野球の地区予選が始まって、各地で熱戦が繰り広げられてるが、やたら被災地とか災害のあった地域の高校が取り上げられる。アクシデントに負けず頑張ってる球児に対して何も思わないのだが、それを美談仕立てにして感動の押し売りをされるとちょっと嫌。
被災地に少しでも恩返しができたらとか、被災地のみんなから勇気をもらった・・・。もうドラゴンボールのようにみんなの気持ちを元気玉に込めてって世界。まぁ最近じゃどこかのバンドマンが、昔の古傷で満身創痍だのみんなの勇気を分けてくれなんて言ってるから、それが時代なのかもしれないけどね。

最近は奮闘する女子マネっていう美談仕立てもある。中学まで陸上やソフトやってたけど高校では裏方へとか、ノックを打つ女子マネージャーとか、おにぎり握る女子マネージャーとか、もう何が何だかよくわからないくらい。
定番の亡くなった父に捧げる、片親で育ててくれた母に感謝、怪我で断念した元チームメイトのために、たった一人の三年生、廃校が決まってて最後の地区予選とか。

わかるよ。頑張ってるんだね。頑張ったんだね。
でも、さぁ、それって軽々しく報道するものなの?今しなきゃいけないの?

高校野球だけじゃない、インターハイや全国大会に出てくるような学校の生徒はみんな頑張ってる。地方大会で負けてしまった学校の生徒も頑張ってる。それぞれなんかいろいろ抱えてたりするだろう。朝早くからクソ暑い中だろうが寒い雪の舞う中だろうが、勝つために、少しでも記録を伸ばすためにトレーニングや練習している。
その頑張ってる集大成・結果として、甲子園で、花園で、国立で脚光を浴びたり名声を得たりする。
その裏には何万もの挫折と屈辱がある。栄冠を手に入れれるのはほんの一握りなのだから。

松任谷由実の名曲に「NO SIDE(ノーサイド)」という曲がある。
ラグビーの試合。最後のフリーキック。それがポストを外れた時、彼は何を思ったのか。何を得て何を犠牲にしたのか。
傍観者(観客)の目からアスリートを捉えた名曲だと思う。

周りがいくらアレヤコレヤ言っても、頑張ってきた本人にしか気持ちはわからない。
努力は報われるというけど、ほとんどの努力は報われないのが現実だ。中途半端な努力や努力をしたつもり、頑張ったよな俺(私)といったところで、栄光のスポットライトを浴びれる人はごく一部だ。
本人や周りの充実感や満足感は別にして、記録や記憶の中ではその他大勢の中に埋もれてしまう。

この曲は頂点に立てなかったその他大勢、歓喜に踊る勝者の影に必ずいる敗者に向けたレクイエム。
情景溢れるこの曲は、間違いなくユーミンの傑作で後世に残る名曲の一つだと思ってる。

その真逆の曲に、槇原敬之と言うよりSMAPのヒット曲に「世界で一つだけの花」ってのがある。
俺はこの歌が苦手だ。
この曲は歌う。一番じゃなくていいじゃないか、と。周りがなんと言おうがそれぞれが本当は唯一無比の一番なんだと。自分を他人と比べるなんておかしいよと。

なんじゃそりゃ?ゆとりか?共産主義か?
頑張らなくていいよとメッセージを送るこの歌が、巷に流れ始めた時から(確か草なぎ君のドラマの主題歌だった)ずーーーーと嫌いだ。勝負もしないで初めから諦めてる奴の言い訳にしか思えない。まぁファンが好きならそれでいいんだけどさ。この曲は300万枚以上売れてるんだからな。頑張ってるのを応援したいのか、頑張らない人を応援したいのか、世の中は不思議だ。
本当はどっちが好きなんだろう。

誰だって一番になれるわけじゃないし、自分に向いてるものに出会えるわけじゃないからな。自分が頑張る当事者になれた人は幸せだ。ほとんどの人は傍観者になるしかない。
だけど寄ってたかってそうぐに美談に仕立て上げ、三流のドキュメンタリーにされるとすごく嫌なのよ。

先に述べたようにドキュメンタリーとかエピソードっていうのは、後から「え〜!?あの時こんなことがあったんだ」「嘘!?当時そんな状態でやってたんだ」っていうのだから感心や感動するんであって、すぐに語られても感動もクソもない。
スポーツの世界に限らず文化・文芸の世界でもそうだ。後で当時の現場を知ってる誰かが事実を語ることで、あらためてその偉業に感心したり感動するのだ。

以前も書いたがサッカーのWカップで、日本初のゴールを決め一矢報いた中山(ゴン)さんが、帰国した時松葉杖をついていた。
その後インタビューで、実は彼が試合途中ですでに足が折れていたと知って、マスコミも一般人もびっくりした。それまで、一勝もできなかった日本代表を責めてたマスコミは方向転換し、これを一気に美談仕立てにした。「足が折れながらゴールを決めた」と褒め称えた。

その逆がマラソンの高橋尚子。
彼女はオリンピック最後の挑戦だったマラソン大会で勝てなかった。たしか18位とかそこらへんで平凡な記録だった。そのあとすぐのインタビューで彼女は「実は足が疲労骨折してる」と自分で言ってしまった。なぜ自分で言ってしまったんだろう。本当はそれはすごいことなんだけど、負けた言い訳にしか聞こえなかった。
もう少し黙っておいて、監督やコーチ、関係者があとで「実はあの日彼女はもう走れる状態じゃなかったんだ」って語らせれば美談になったのに。まぁ、彼女はそういった美談仕立てが嫌いだったのかもしれないが。

今は「頑張ってる俺」「充実してる私」ってやつをSNSに常に上げてる人が多い。せっかちなのかもしれない。それに「羨ましいです」「頑張ってください」「さすがです」なんてリプ入れてる人もせっかちなのかもしれない。本当はそんな話は誰も聞きたくないはずなのにね。なのに彼女・彼らは勝手に語ってる。のちに誰も語ってくれないからかな。今すぐ認めて欲しいのかな。今すぐ感動したいのかな。

「こんな美味しいものを食べてる俺」
「辛いけどこれから残業を頑張る俺」
「休みなしで働いた私へ、私からのご褒美」
「こんな綺麗な景色で疲れた心身共にフレッシュさせてる私」

どうだいいだろう、ほら感動しろよ、羨ましいだろう、称えろよ、尊敬しろよ・・・SNSの世界にはリア充(本当に充実してるかどうかは不明だ)がいっぱいだ。

だからマスコミやメディアも、頑張ってる話、裏話なんかを速攻公開して感動させたがるのかもしれない。

俺も、あの頃は「飯も食わずに働いてる俺」「夜も寝ないで遊んでた俺」「休みもなく働いて常にナチュラルハイになってる俺」「労働基準法はどこに行ったんだと心の中で叫ぶ俺」「それでも頑張ってた俺」って自分で語ろうかな。誰も語ってくれなさそうだからね。
でもさ、そのうちネタがなくなって、「吟味した材料を簡単調理でぱぱっとキャラ弁作った俺」とか「お風呂のカビと奮闘する俺」といった感じで、なんか変な方向に行きそうだ。(すでに虫対策で近いようなことを書いてるなぁ、反省)
褒めて〜すごいでしょ〜って。うわぁダメだ。気落ち悪い。俺には無理だ。

世の中に溢れてる似非ドキュメンタリー。
感動の大安売りの時代なのかもしれないが、世の中頑張ってる人はいっぱいいる。誰も気づかないだけでね。
それぞれが自分のドキュメンタリーやエピソードを抱えてる。クローズアップされたり脚光を浴びないだけでね。
無理やり感動させなくても、そこらへんに感動はいっぱい落ちてるんだけどなぁ。

2020年東京オリンピックが近づけばもっと巷に感動話が溢れるんだろうな。




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