GOKIGENRADIO

バーボングラス片手のロックな毎日

天神祭が好きじゃない

2017-07-25 02:52:06 | Talk is Cheap
今日と明日は大阪の夏を彩る天神祭だ。
大阪天満宮24日が宵宮で25日本宮だ。
おかげで今夜の梅田はガラガラだった。歩いてるのは中国人と韓国人の旅行者ばかり。みんな天神祭に出向いてるのかな。

カレーが食いたくていつもの三番街のインディアンカレーに行ったのだが、隣に座った中国人観光客の家族連れ(夫婦と男の子二人)と喧嘩した。
母親は出てきたカレーも食わず写メばっかり撮ってるし、子供は辛いのかツンツンするだけで立ち上がったりごそごそしたり。そのうち自撮りしようと俺の頭にスマホはぶつけるわ、俺の領域にまで乗り出してくるわ。
我慢してたんだけど、ごめんね、そんなに気が長くないの。勘違いしないでね、あなた方が中国人でも台湾人でも韓国人でもインド人でも日本人でも同じこと言うからね。
「邪魔やねん、ええ加減にセェよ」と。

自撮りに夢中で俺に体をぶつけてきた中国人母親は、俺に怒鳴られキョトンとしてた。言われた言葉は分からないが、俺が嫌悪丸だしで言ったのは通じたみたいだ。
しかしそのあと、子供二人を挟んだ向こうにいる旦那に何か文句を言ってる。中国語は全くわからないので何を言ってるのかわからないが想像はつく。多分「なぜ私はこの日本人にこんな侮辱な言葉を言われたのか」とか、「なぜ写真を撮ってるだけで怒られなきゃいけないんだ」だろう。不満を言ってるのは、雰囲気で何となくわかったよ。さすが謝らない国の人。人の迷惑より自分が全ての国民性。
だが悪い俺はそこらへんの、まぁ仕方がないかと見て見ぬ振りする日本人とはちょっと違う。嫌なもんは嫌、失礼なもんは注意する。日本人であろうと外国人であろうとね。
君たち中国人観光客の傍若無人の振る舞いは、あちこちで目にするが、誰も注意しないし文句も言わない。だから奴らはそれが日本では通じないことがわからない。まぁ最近は日本の子供も親が叱らない、じいちゃんばあぁちゃんが叱らない、先生が叱らない、近所の人も見て見ぬ振りだから、似たようなもんだけどな。

いきなり話が逸れたが天神祭。俺はこのお祭りがあまり好きではない。
千年の由緒ある祭りだとか、京都の祇園祭や東京の神田祭と並んで日本三大祭りなどと言われてるが(日本って何でも三大とかつけるの好きね)、最近は一体何を祀ってるのか?って疑いたくなるほど本質がぶれぶれになってるように感じるから。

特に嫌いなのがギャルみこしってやつ。何なのあれ。ギャルみこしって。これももうかれこれ35年以上続いてるんだけど、毎年このニュースが流れるたびにげんなりする。

ええ歳こいたおっさんどもが、祭祀にかこつけて大阪のお調子乗りの女を集めて、クダらねぇ審査をして神聖な神輿を担がせる。毎回選ばれるのはヤンキー上がりとか飲み屋の女とかが多い。(もちろんそうじゃない人もいるのだが)
神聖なものだと大義名分で、そこらへんの商店街のおっさんとか商工会のおっさんが、下心丸出しで選んでるの丸わかり。
このギャルみこしに選ばれた女の人は、すでにギャルというには無理がある人が多いのだが、おばさんの集まりでも女子会と平気で言う大阪の女にとっては永遠のギャルなのかもしれない。
この女性たちはそのうちアニマル柄を着て、アメちゃんをポケットに忍ばして、傍若無人で大声で喋る大阪のおばちゃんと呼ばれるようになる。いつ彼女らがおばちゃんに変化するのかは永遠の謎だ。

この選ばれた(基準がよくわからないが)女の人が神輿を担ぐってのがどうもダメなの。男尊女卑だとか男女平等だとか言わないでくれよ。俺はそんな狭い考えは持ってない。職業柄女性が多い仕事だしね。だけど神事や祭祀というなら客集めとか話題作りのためにやってるギャルみこしはどうも賛成できないのよ。

だいたい菅原道真自体の伝説もよくわからない。
すげぇ才能があった人で朝廷でも頭角をあらわしたが、政権闘争に敗れて太宰府に左遷され、数年後に死んだ。道真が死んだあと京都では不慮の事故や変死が相次ぎ、「これは道真の怨念だ」ということで北野天満宮を造り、道真は天神様と呼ばれた。
簡単にざぁっとまとめるとこんな感じなのだが、大阪の天神祭が始まったのは秀吉が大阪城建てた1600年頃。つまり道真の死後700年くらい経ってから始まったものだ。それがなぜ1000年の歴史を誇るお祭りになってるかがわからない。道真は西暦900年頃だからそれから数えりゃ1200年だが、秀吉からなら600年弱だ。

全国各地に菅原道真伝説がある。

京都から太宰府まで落ちていく際に各地に立ち寄ったとされ、いろんなところで「道真公が」ってのがある。おいおい、そんなにのんびり10何年もかけて太宰府に行ったのじゃないのに、なんでこんなとこまで立ち寄ったと言われてるんだ?って場所や伝説がいっぱいある。
そりゃ大阪の淡路や菅原などの地名が、道真が京から淀川を下って海まで出る際に、阿波(現・徳島)と間違えたからとか言われてるのはわかる。これは通り道だからな。
コロンブスがアメリカ大陸をインドと間違えて、それから原住民がインディアンと呼ばれたのと同じだ。
でも明らかに「そこには行ってないだろう」とか、「どんだけ遠回りしてんねん!そんなに嫌だったのか?」って突っ込みたくなるような地方伝説がいっぱいある。和歌山とか日本海側とかね。
空海の伝説と一緒。今と違って牛車とか手漕ぎ船とか徒歩で移動してるのに、そんなにあちこち行けるかよ。

天神祭が嫌いになったのは20歳の頃。
当時美容学校に行ってた俺は学校の紹介で天神橋筋5丁目の美容室でバイトしてた。
バイトと言っても見習いで使用人で下僕のような扱い。時間給340円でこき使われてた。ちなみにその前にバイトしてたチェーンレストランは時給五百円だったがそれより安い。弁当代は400円(自腹)。つまり土日など学校のない日に朝から終日働くと、弁当代で一時間以上の給料が消えるのだ。
勘違いしないでくれよ、戦後間もなくの頃の話じゃないぞ。昭和末期、世の中がバブルとはしゃいでた頃の話だ。今、ちょっときついとブラックだとか、時間給900円以上もらっててごちゃごちゃ言ってる奴が大嫌いなのはこの時のこともある。

その天五の美容室で天神祭の日、飲み屋のママが来店した。
そしてシャンプー後に俺に言った。「タクシー止めてきといて」
外は土砂降りの雨。都島本通りも京阪通りも大渋滞。タクシーなど停まってくれないし止める場所もない。それでも雨の中、必死に止めようとしたが玉砕。10数分後店に戻ってお客様に成果を伝えると「なんや役に立たへんなぁ」と冷たく言われ、店のオーナーには「あんたそんな根性ないんやったらこの先美容師とか無理やで」と言われる。
その瞬間キレてしまい「へぇ、根性無しなんで、辞めますわ」と告げ、それでもごちゃごちゃ言ってる店長に「明日給料取りに来ますんでよろしく。ほなこれでサイナラ」って荷物まとめて帰った。天神祭が嫌いなのはこの時のトラウマも原因だろう。

そして時は流れて、梅田に店を持ち会社を立ち上げた頃、天神橋筋6丁目に事務所を開いた。梅田から10分くらいなのだが家賃などはべらぼうに安いからね。
天神祭の前、いたるところから寄付の依頼がくる。最初は付き合いも大事だよなと何口か払ってたんだがあまりにも依頼が多い。
そのうち提灯を買えだの、奉納何ちゃらの寄付をしろとか、パンフレットに名前を載せないか?載せるるならこの枠はいくらだとか。
おいおい、祭りやイベントが寄付や善意で成り立ってるのはわかるよ。でもあまりにもひどすぎるな。

そして当時付き合ってたスッチー(死語/現・CA)から聞いた話。
天神祭をオーストラリアで披露してくれと招待され、天神祭のメンバーが乗ったオーストラリア行きの飛行機に同乗してたCAの話。
関空を飛び立ってから2時間後には機内のアルコールが空になったらしい。気圧の低い上空を飛ぶ飛行機で酒を飲めば酔いも早い。で、オーストラリア(多分シドニーだったと思う)についたときはみんなへべれけ。イミグレーションでもまともに答えられない、ホテルに行くバスでは空港で買ったのかまた酒を飲んでる、ホテルでも浴衣でうろつく、そこらへんの観光客に声をかけると、日本人の恥さらし状態だったらしい。
さすがに今時は、海外のホテルで浴衣でうろついたり朝食ビュッフェに並ぶ奴はいないと思うが、当時の天神祭実行委員会とやらは平気でこれをしてた。
だから余計に天神祭が嫌いなのかもしれない。だって運営してるのがこんなやつなんだろ?

25日には奉納花火が上がる。
大阪は水都祭がなくなり、くらわんかの花火大会もなくなった。PLの花火大会と淀川花火大会は未だに頑張ってるが、この天神祭の花火がちゃちい。
1500発程度しか上がらないのではないかな。
花火がメインでは無いにしろ、あまりにもちゃちいのさ。
あれだけ毎年執拗に集める寄付金はどこに消えてるんだ?屋台の売り上げとかでもかなりの額になるだろうし、テラ銭・ショバ代も結構な額になるだろう。奴らの酒代か?

以上、かなりごちゃごちゃ書いたが、天神祭は俺は嫌いだ。
こんだけ近くでやってるのだが、もう20年以上行っていない。

ただし、菅原公の飛梅伝説だけは好きだ。真贋は別にしてね。
この伝説をモチーフに書かれたさだまさしの「飛梅」は名曲だ。
ロック大好きな俺がフォークソングを好きだというのは変かもしれないが、いい曲はいい曲。心に沁みる名曲なのだ。
この曲は機会があればぜひ聴いてください。

いつにも増して支離滅裂な文章で御免。


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