日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)





 いや別に、喜んでいる訳ではありません。「雨が降り出しました」ということを扇情的に訴えようとしたところ、かようなタイトルになったまでのこと。

 三行で説明しますと、

 ●雨が降り出しました。
 ●通り雨で終わるか本降りになるか、他の地区でも雨になるかは、目下のところ不明です。
 ●雨を避けることも「ハーフタイム」の要点のひとつだったのに、及びませんでしたね。

 ということになります。「雨」とは当局(官)に対する「民」からの批判・反感がひとつの流れとして露わになることです。今回は「小雨」の模様ですが、果たして、果たして。

 ともあれ事件を伝える『読売新聞』(電子版)の速報を。限られた行数に必要な情報が全て織り込まれた、正にプロの仕事といえるでしょう。



 ●「校舎倒壊、手抜きが原因」…児童の父母ら抗議のデモ(YOMIURI ONLINE 2008/05/21/14:43)
 http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080521-OYT1T00437.htm

 【都江堰市(中国四川省)=大木聖馬】四川大地震で校舎が倒壊し、児童数百人が死亡した中国四川省都江堰市・新建小の児童の父母らは21日、「校舎倒壊は手抜き工事が原因だ」などと訴え、市当局への抗議デモを行った。

 父母らは、仮設テントに臨時に置かれた市教育局に詰めかけ、テント3張りをなぎ倒したうえ、中にあるパソコンやプリンターなどをけったり地面にたたきつけたりして破壊した。

 現場には警察官約300人が動員され、記者を含む外国メディアはすべて排除された。デモ参加者のなかに拘束者が出ているかは不明だ。

 携帯電話の一斉メールでの呼びかけに応じた約300人の親が、同市内中心部の広場に午前9時(日本時間同10時)ごろから集まり始め、一様に「なぜ周囲の建物は壊れずに残ったのに、小学校の校舎だけが倒壊したんだ」「役人がわいろを受け取り、工事費を安く上げたから事故になった」などと怒りをあらわにした。死亡した子を思い出して号泣する親も続出した。

 約200人の親は、小学校の仮設テントに置かれた市教育局へ移動し、事故の原因究明を求める署名を渡した上で、対応した教育局の副局長を取り巻き、「10日近く過ぎているのに、なぜ説明に来ないのか」などと詰め寄った。その際、一部の親が怒りにまかせてテントを倒したり、パソコンを破壊したりした。

 現場には、市の共産党幹部も現れ、「共産党を信じてほしい」などとなだめたが、親たちは納得せず、「(幹部は)どうしてもっと早く出てこないんだ」などと罵声(ばせい)を浴びせた。




 無駄のない、まことに濃密な記事です。付言するなら、この記事にアクセスすると、当局者に抗議する父兄の画像もみることができます。警察が出てくる前なのか後なのかわかりませんが、遺族の激しい怒りに対し「官」の代表である当局者が当惑し気圧されつつひたすら低姿勢を装う、という構図を明確に捉えていてこれまたGJ!です。

 騒ぎを収拾するため出てきた都江堰市の党幹部は無能ですね。
「共産党を信じてほしい」なんて、「官vs民」の対立軸を深めるばかりの禁句でしょう。そもそも中国国民が共産党を信じなくなったからこそ、江沢民が反日風味満点の愛国主義教育を始めた訳で。怒る「民」を前にこのボンクラ発言、極めて大胆かつ野心的なものといえます。

 デモの兆候は、なかった訳ではありません。つい一昨日(19日)、被災地のひとつである綿陽市の教育局が、

「校舎倒壊の原因がおから工事という指摘は事実無根」

 という「燃料投下」に等しい発言を行っていたからです。

 ●綿陽教育局:倒�校捨為豆腐渣工程說法無依據(新華網 2008/05/20/07:22)
 http://news.xinhuanet.com/edu/2008-05/20/content_8210770.htm

 「倒壊した校舎はおから工事だった」というネット上の掲示板を含めたメディアの声に反論する形で当局者の口から飛び出したものですが、地元の遺族や被災者が耳にしたら怒髪衝天は疑いなし、という可燃度の極めて高い内容です。

 ただ「renge」さんがいつもupして下さっている地図をみればわかるように、綿陽市は死者数が万を越す甚大なる被害の出た地域で、地震湖決壊の恐れも指摘されている危険地区。このため住民の少なからずは成都方面へ向けて避難中であり、抗議行動のようなものが発生する可能性は少ないのでは、と私は考えていました。

 するってーと、意外にも火の手は綿陽ではなく、成都により近く、しかしなから校舎倒壊などによる生き埋め被害が相次いだ都江堰市で上がってしまったのです。しかも今日21日は政府が定めた「服喪期間」の最終日である3日目。

 この「服喪期間」、初日の19日には天安門広場に集まった群衆が黙祷した上で「中国加油!」(中国がんばれ!)を涙ながらに連呼、一部がヒートアップして「中国加油!」を呼号しつつデモ行進に移行しかけたのを警官隊が押しとどめる一幕も。……要するに当事者でない人々は大いに盛り上がったものの、被災地の人たちは素直にそれに従う気分ではなかったということになります。

 おから工事や当局の救済措置に対する怒りや不満もあるでしょうが、


 まだ行方不明者が大勢いるのに、喪に服すなんて要するにお弔いな訳ですから「ふざけるな!」という行方不明者の家族もたくさんいることと思います。




 と前回指摘したような感情も根強いでしょう。……根強いからこそ、今回、デモが発生したのです。おから工事への怒りだけではなく、「服喪」というイベントで実質的な救助活動打ち切りを宣言した北京の中央をも含む「官」への恨みつらみも含まれている、といっていいかも知れません。

 ともあれ今回のデモ、

「被災者怒りのデモ、キタ━━━(゜∀゜)━━━!!!!」

 という粗雑なタイトルでは「生き埋め被害者の家族が一群となって当局のテントに突入、機材破壊も」といったプチ暴動めいたイメージが浮かびかねませんが、速報に接した印象としては、

「それなりに準備された組織的な抗議活動」

 という鮮やかな感想が残ります。

 ●動員については携帯メールを通じた呼びかけに応じて自発的に参加した形。
 ●しかしながら衝動的・突発的なものではなく、事前に署名活動が行われている。
 ●署名活動や携帯メールの発信から、デモの「核」ともいえる実行委員会が存在しているらしい。
 ●デモ自体はその署名を当局者に渡すことが主眼だったらしく、テント引き倒しやパソコン破壊は一部の暴走。

 ……などといった点はなかなか興味深いものです。地元小学校が受けた不条理な被害に対する地元の被災者、というか同校PTAの抗議行動という、いわば「ホーム」の利に拠ったものではあるものの、これが型となって他の地区へも飛び火する可能性があります。

 またブン川、綿陽方面から避難してくる被災者の第一目的地がこの都江堰であることから、今後も行われるかも知れない「ホーム」の抗議活動に、よそから避難してきた「アウェー」の連中が合流して規模が拡大する線も考えられます。

 ●抗議の鉾先は「官」であり、また「官」と癒着業者によるおから工事であり、さらにはおから工事を生んだ腐敗体質。

 ……という点においてはどの被災者にとっても異存はなく、「民」の怒りは被災地点の違いを超えて容易に共有されるものだからです。

 ちなみに、校舎倒壊とは別の問題として、震源地方面からの避難民が揃って都江堰を目指してくることに市当局は頭を痛めていることにも留意しておきたいところ。よそからも被災者がなだれ込んでくるため、都江堰市だけでは対応できない事態になっているのです。この点は市当局を一方的に責められません。ただ事実のみをいえば、都江堰に入ってくる被災者たちの間には、

「都江堰市当局は地元住民の保護を優先して、自分たちを構ってくれない」

 という不満がたまりつつあるようです。二次災害を恐れて避難してくる震源地付近の住民が増えるにつれ、この空気はいよいよ醸成されることになります。民政部が「とにかくテントの数が足りない!」と悲鳴を上げていますが、その最前線が都江堰市だといってもいいでしょう。

  ――――

 このほか今回のデモにおいては、

「現場には警察官約300人が動員され、記者を含む外国メディアはすべて排除された」

 という点にも要注目。不満爆発リスクの高い避難所近辺における警戒兵力が十分でなかったことと、外国メディア排除がいよいよ始まったというものです。この点は都江堰市当局というより、北京の党中央の打つ手が一歩遅れたというべきではないかと思います。

 ところで、当ブログが「服喪期間」を
「ハーフタイム」と呼ぶのは、党中央が「服喪日」に3日間もあてたという点に着目してのことです。

 実は「服喪」なんていうのはお題目で、本音は時間稼ぎ。前半戦の流れをいったん打ち消すとともに、新しい流れをつくるための作戦会議&準備行動というのが主眼ではないかと。……具体的には、

 (1)被災者救済・被災地復旧への態勢強化と二次災害への対処。
 (2)準戒厳令状態入りのため、治安部隊を被災地に大量投入。
 (3)被災地・全国各地それぞれに「結界」を張っての世論誘導・思想統制・意思統一の実現。
 (4)一枚岩でなくなった党中央内部の意思統一。

 といったテーマについての作戦を練り、実施準備を整えるための3日間ということです。「服喪」という思考停止期間を設けることで、その間に急ぎやるべきことをサクサクやってしまおうと。

 ……と、にわかに重要な話題にさしかかりましたが、長くなりそうなのでこれは次の機会に。

 ともあれ、そうした「ハーフタイム」の最中に、「後半戦」で警戒・予防すべき烽火が早くもあがってしまいました。党中央の思惑を超えて、事態は第二段階に入ってしまっている、といえそうです。

 単なる通り雨なのか、本降りになるのか、他の地区でも雨になるかははまだわかりません。

 わかりませんが、短時間ながらも本降りになりかねない「組織立った大粒の雨」だったことは確かであり、地元当局ひいては党中央がこうした動きにどう対処していくのか注目したいところです。

 ――――

 そういえば大型余震予報?が出たため、成都から離れようとする住民が殺到して駅などで混乱が発生しているようですが、同市在住のAさん、そうした慌ただしい気配は大学構内にまで及んでいるのでしょうか?流言飛語の類も含めて、何かあったら是非ご一報下さい。

 もちろんAさんだけでなく、他の現地在住の方、また中国国内在住の方々からの関連情報をもお待ちしております。m(__)m





コメント ( 12 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
即興は難しいです (詠み人知らず)
2008-05-21 21:55:10
中国加油 ほんとに油を 注ぐよう
煮立つ人民 党はこんがり

がんばれと 声援アバウト 極まれり
党員達も 中国なのにね(苦笑)
 
 
 
中国現地、東莞で ()
2008-05-21 23:58:22
初めてのコメントです。
中国東莞の台湾企業で働いています。従業員は約4000名の電子製品の生産工場です。平均年齢は20歳程度。
地震による家族の死亡者は一名のみでした。
ここでの一般の人達の現在の感じは次のようなものです。
:16日から義捐金の呼びかけが開始されました。こ れは、会社幹部(台湾人)と、従業員組合の 共同 提案のようです。
:現時点で約3万元集まったそうです。
:地震以来、一時は中国人としての一体感は非常に強 くなったように感じました。ここでは日本人は小生 一名ですが、中国人の団結と相互扶助の気持ちはす ごいでしょうと自慢する子もいるぐらいです。
 自慢の割には義捐金の額が少々少ないですが、ここ での平均給与は手取りで月額800元程度。
 一人当たりでは10元にもなりません。理由を聞く と、最初にあまりたくさん出しても本当に現地まで 配分されるかどうかはわからない。
 だからこんな時は様子を見てからにするのが賢明と のこと。聞いてみると中国人ではトップである人も 200元しか出さなかったとのこと。(彼の場合は 月額で7000元以上の手取り)
:今日、21日の時点では、一週間以上経ち、災害の
 テレビも現場の生々しい映像も減り、義捐金も終わ り、やや興奮からさめてきたと言うところです。
:17日には全中国のテレビ局が協賛して、夜8時から 3時間チャリテイショーのような番組を流していま した。中国の全省のチャンネルが同じ内容です。
 現場の映像、解放軍、軍警、政府の関係者の話、テ レビ局からの義捐金の紹介、また両親をなくした中 学生3名をスタジオに呼んで話をするなどのこと  で、一般的には涙なしには見られない構成でした。
 この中で、おおよそ100人もの人にインタビュー をしたのですが、いずれの人も最後の言葉は同じで した。我門是中国人。加油中国人。
 我門是中国人は歌まであるのですね。中国にいなが ら知りませんでした。
 今回は初めての投稿ですので、自分の意見はなし  で、現地の状況報告のみとします。
  
 
 
 
Unknown (でんすけ)
2008-05-22 00:12:26
漢族って大勢で練り歩ければ、もう何でもいいんじゃないんでしょうか・・・
 
 
 
四川大地震、校舎崩壊に怒り 子ども亡くした父母ら (外交官)
2008-05-22 00:21:57
朝日新聞に読売と同じ関係の記事がさらに出てます。
http://www.asahi.com/international/update/0521/TKY200805210283.html
 
 
 
四川の病院 (miko)
2008-05-22 03:26:06
成都の病院で手術受けたことあります。衛生観念がありません。

ドアは開きっぱなし、エレベーターのボタンは油まみれ、中華弁当のもちこみで、ニンニクの匂いが立ちこもる病棟。面倒くさい薬剤受け取りシステム、レントゲン撮影中入ってくる病人、それを許して何も言わない看護婦。病室をはしごして世間話に興じる見舞い人。看護婦もセーター、ジーンズの上に、何日も洗濯していないしわくちゃになった白衣。煙草吸ったまま息臭い医者。

日本の医療チームがきてさぞかし驚いていることでしょう。
 
 
 
人民解放軍の装備 (おむら)
2008-05-22 05:13:18
 テレビの映像見てるだけではありますが、なんかすごいですな。
「とにかくテントが足りない!」という被災者コメントがあったんで、日本だと自衛隊のテントとか使うよなーと思い、現地の避難所を注視しました。が、どうもそれっぽいのがない。よくよく見てみると、兵士自身も路傍で寝ている。

 全部の部隊がそうだとは思いませんが、休息についての概念があれでいいんでしょうかね、人民解放軍。今回はケースがケースなので、自分たちのテントを被災者に与えたのかと思ってるんですが、どうもそんな雰囲気も見受けられないし。
 軍事費うなぎ登りらしいですが、大半はハードの部分に使っちゃってるんでしょうかね。後は幹部のぽっけ?

>mikoさん
 私の同僚も重慶だったかな? あの辺で骨折して治療を受けてきましたが、帰国後整形外科に行ったら緊急手術となりました。なんでも、裂傷した部分が腐りかけてたそうで。
 支那だけがことさら悪いわけじゃありませんが、衛生観念は極めて低かったと、同僚も言ってます。
 ちなみに、私はスリランカで自転車にぶつけられて、右足の側面をスポークでざーっと切られ、そのまま手術を受けたことがあります。そこは、外国人向け&高級病院だったせいもありますが、衛生状態は極めて良好でした。病院食がカレーだったのも、良い思い出です(笑)
 
 
 
核弾頭は大丈夫? (損政好)
2008-05-22 07:57:10
国際情報センター「四川大地震と核兵器施設」
http://blogs.yahoo.co.jp/kokusaijoho_center/20277742.html
 
 
 
Unknown (民す党)
2008-05-22 10:27:01
日本のテレビや新聞でみるかぎり、人民解放軍の医療部隊の映像を見た記憶がありませんが、無いのですかね?
 
 
 
今日も頑張って22日被害地図 (renge)
2008-05-22 13:36:22
綿陽でデモがない理由は、被害者の大半が「チベット族」だったからではないでしょうか?
綿陽市で最も被害の大きかった北川県にはチベット族の自治州があります。産経・福島さんとこにもありましたように、震災以降チベット族への警戒はさらに強くなってデモどころじゃない。茂県、シ文川もチベット族が多そうですし。むしろ漢族の多い都江堰市の方が手薄で暴発したのではないかと愚考します。

では本日もサクッと。廣元市、増えましたね。また、達川、涼州など、新しい地名も加わっています。
ダムと地震湖はまだ持ちこたえているようです。
その他、記入しませんでしたが、復旧作業員の死傷が毎日数名は必ず出ています。昨日だったか、宝成線(宝鶏〜成都)のトンネルで立ち往生していた10数両の石油輸送車両を引き出そうとした際、土砂で1名なくなっています。

http://www-2ch.net:8080/up/download/1211429470337231.ZmQ81n
 
 
 
Unknown (民す党)
2008-05-22 14:23:02
renge 様
被害地図の更新ありがとうございます。
ところで、821工場(Plant 821)が綿陽市(Mianyang)にあると記述されていますが、廣元市(Guangyuan)の間違いでは?
http://www.globalsecurity.org/wmd/world/china/nuclear-facility.htm
に地名と工場名の表が載っています。
 
 
 
訂正)821は廣元が正解でした (renge)
2008-05-22 14:45:07
民す党さま

調べてみましたが、ご指摘の通りです。廣元市で当たりですね。
いい資料、ありがとうございました。
で、本日もう一回アップする気力がないので、明日訂正します(泣
 
 
 
正さんへ (御家人)
2008-05-23 23:50:13
 早速の現地報告、ありがとうございます。東莞といえばわれらが五香粉さんの地盤でしたね(いまなお院政が敷かれている?)。確か東莞は湖南省と四川省からの出稼ぎが多いと聞いていたので、私にとっては貴重な情報となります。

 義援金の件で「最初にあまりたくさん出しても本当に現地まで配分されるかどうかはわからない。だからこんな時は様子を見てからにするのが賢明」というのは中国における健康的な生活感覚が健在ということで喜ぶべきかどうなのか。

 それより地震を契機に中国人の一体感が強まったというのは興味深い現象です。やはりテレビなどに影響されているのでしょうか?以前と比べて,具体的にどのあたりが変化したのか、知りたいところです。

>現場の映像、解放軍、軍警、政府の関係者の話、テレビ局からの義捐金の紹介、また両親をなくした
>中学生3名をスタジオに呼んで話をするなどのことで、一般的には涙なしには見られない構成でした。

 たぶん私も中国でその番組を観ていれば、「我門是中国人!加油中国人!」というノリに違和感を抱きつつもウルウルしていたことでしょう。……というより、観るに忍びなかったかも知れません。

 私の場合、上海に留学していた当時に内陸部を旅行した経験がありまして、上海から西安へ入った後、夜行寝台で西安から成都へ移動しました。夕方に西安を出て日が暮れて夜になっても陝西省なのですが、朝,目を覚まして窓に目をやったら、先に起きていた前夜親しくなった中国人が、

「ここはもう四川だ」

 と言うので、そうかここが四川省かあ、と改めて車窓の風景を眺めたものです。実はそのあたりが今回の地震で大きな被害を受けた綿陽、徳陽といった場所でした。今回の地震で地理関係が明らかになったとき、私は真っ先にそのことを思い出してしまいました。

 時間調整か何かで列車が駅でないところで停車したとき、線路脇にチベット人をはじめ少数民族の人たちが歩いていたり,三々五々に固まって座り込んでいたりした光景を記憶しています。そうした風景が全て別なものになってしまったと思うと、何ともいえない気分になります。
 
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