ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

支え合い50年 視覚障害者集う「静岡光の家」

2017年08月14日 01時08分07秒 | 障害者の自立

 静岡市駿河区視覚障害者支援施設「静岡光の家」が6月、創立から半世紀を迎えた。みえる人も、みえない人も自分らしく生きられる世の中に――。創立者で全盲の多々良友彦さん(86)の願いが、地域をも動かしてきた。

 住宅街の一角にある光の家を訪ねた。壁に並んだ本を手に取ると、点字がびっしり。ボランティアが点訳したものだという。床にも点字ブロック。階段の近くには、踏むと音が鳴る鉄の器具が設置されている。

 光の家は、視覚障害者の交流や生活支援のため、多々良さんが自宅の一室を開放したのが始まりだ。この日は、施設の利用者7人がイベント会場などで販売する「肩たたき棒」をつくっていた。新聞の折り込みチラシを細く丸めて束にしていく。「指先が目になる」ともいう視覚障害者にとってこの作業が訓練にもなる。世間話にも花が咲き、なごやかな雰囲気だ。

 1989年から光の家に通う望月琉巳子(るみこ)さん(76)は、約30年前から病気の影響で徐々に目が見えなくなった。今は周囲の明るさもわからない。それでも6人家族を支える主婦として洗濯も料理もこなす。「やろうと思えば何でもできる。同じ境遇の人と悩みを話せるここの存在は本当にありがたいです」と話す。

 静岡光の家ができたのは1967年。多くのボランティアが支え、点字本の貸し出しや、白杖(はくじょう)の扱い方の指導など、「目が見えなくても人生を豊かに過ごす手助けとなる場」を目指してきたという。現在も十数人が定期的に利用する。

 多々良さんは17歳の時に失明。自宅も自由に動き回れなくなり、「生まれてこなければよかった」と涙を流したこともあった。

 そんな多々良さんを救ってくれたのが、キリスト教教会の神父だった。生きることに絶望していた多々良さんに神父は「見えないことは不幸じゃない。むしろあなたは選ばれた人間だ」と励ましたという。

 以来、多々良さんがいう「みんなが幸せになる社会を実現させる自らとの戦い」が始まった。光の家の設立を皮切りに、静岡市や市議会に障害者の窮状を訴え改善を求めた。視覚障害者用の信号機の設置や点字ブロックの新規敷設……。1970年代半ばごろから少しずつ成果が表れてきたという。

 多々良さんの息子で光の家の事務局長の善哉(よしや)さん(55)は「当事者にしかわからない世界がある。絶望感に打ちのめされている人にかける父の言葉は、自らもみえないからこそ力になったと思う」と話す。

 50年前と比べ、視覚障害者を取り巻く社会の状況は大きく変わった。今や路上には当たり前のように点字ブロックが敷かれ、エレベーターは音声で階数を知らせてくれる。昨年12月からは県内でも2人乗り自転車の走行が解禁され、視覚障害者が風を切って走ることもできるようになった。

 多々良さんは話す。「社会に感謝し、本当の福祉のまちを作るため、これからも活動を続けます」(華野優気)

■「静岡光の家」と多々良さんの歩み

1962年 光の家の前身、愛光福祉委員会結成

67年 静岡光の家協会創立

75年 静岡視覚障害者福祉推進協議会を設立

77年 浜松市内に中途失明者日常生活訓練教室開設

98年 静岡光の家生活訓練ホームを開所

2003年 NPO法人静岡光の家を設立

09年 「しずおかユニバーサルデザイン大賞」優秀賞受賞

写真・図版 

「肩たたき棒」を作る利用者ら

2017年8月13日    朝日新聞

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