ゴエモンのつぶやき

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熊本地震から5ヵ月、低所得層ほど生活再建できない現実

2016年09月18日 01時13分28秒 | 障害者の自立

2016年4月14日、熊本県・大分県を襲った「震度7」から5ヵ月が経過した。しかし生活弱者・低所得層の生活再建は、「住」でつまずいたままだ。

熊本市最後の避難所が閉鎖 行き場のない人はいなくなったのか?

 2016年4月14日・16日、熊本県・大分県を中心に、最大震度7の地震が発生した。熊本市内では、避難所等への避難者は最大で11万人に達していたが、応急仮設住宅などの整備が進められ、避難者は減少していった。2016年9月15日には、熊本市で最後の拠点避難所が閉鎖された。しかしいまだ、益城町など被害の大きかった8市町村には避難所が残っており、400人以上が避難所生活を送っている(参考:TBSニュース)。

 今回は、2016年8月下旬の熊本市の様子・避難所の様子・支援団体に寄せられていた相談と対応を中心に、熊本市の生活弱者・低所得層の生活、特に「住」の現状をレポートする。

 2016年8月22日、熊本市の避難所は東区担当・南区担当の1ヵ所ずつに集約され、避難者数は、合計で161人まで減少していた(熊本市発表)。そもそも、最大で11万人に達していた避難者は、全員が「それまでの住まいが住めなくなった」を理由として避難していたわけではない。大地震で倒れた家具・割れたガラスなどを片付ければ「住めることは住める」という状態であったり、ライフラインが復旧していないので住まいで暮らせなかったりする人々も含まれていた。しかし、それだけではない。

 2016年8月23日、生活と健康にかかわる活動を幅広く行ってきた「熊本市生活と健康を守る会」で事務局長を務める阪本深(ふかし)さんに、震災後の状況について聞いた。阪本さんは開口一番、

 「今回の熊本地震の特徴は、余震が続いたことです。特に女性で一人暮らしの方に、『余震が怖くて、自分の住まいでは眠れない』という方が多かったです」

 と語った。避難所暮らしを余儀なくされていた「最大11万人」は、そういう方々なのだろうか?

 「いえ。避難所は、すぐ満員になってしまいました。高齢者・障害者・小さいお子さんのいる方は、一晩泊まったら精神的に参ってしまって……行くところがなかったんです」(阪本さん)

 自分の住まいにはいられない、避難所にもいられないとなると、どこで眠ればよいのだろうか?

 「野原や公園で、隣近所の方が集まってグループを作って、寝ていたんです。中には、車中泊の方もいました」(阪本さん)

 4月の地震発生は、「不幸中の幸い」だったかもしれない。しかし地震発生直後の大雨、夏に向けての気温上昇。野宿もままならない日は多かったはずだ。

 「今でも、余震を怖れている方は少なくありません。何日かに1回はありますから」

避難所を出られない人々は  これからどうなる?

 2016年8月24日、避難所となっていた総合体育館・青年会館(熊本市中央区・運営担当は熊本市東区役所)を訪れた。この避難所は、熊本市で最後まで残されていた避難所であったが、9月15日に閉鎖されることが決定していた。なお、私が訪れた時期には南区にもう一つ避難所が開設されていたが、8月28日に閉鎖された。
 
 まず、入口近くの「総合案内」を訪れ、市職員に概況を聞いた。熊本市の発表によれば、この避難所の避難者数は109人。市職員によれば「概算で7-8割は、既にどこかに住まいが確保できていて、引っ越し準備中です」ということだ。では、なぜ避難所にいるのだろうか?

 「元の住まいから荷物を運び出せなかったり、まだ、入居先の仮設住宅ができていなかったり、転居が決まっているけれども引っ越しがまだできていなかったり、みなし仮設住宅の契約待ちであったり、事情はいろいろです」(熊本市職員)

 3日後の8月27日に入居可能になる東区内の仮設住宅の入居待ち、という避難者もいた。近々、避難所が閉鎖されるという時期に避難所に留まっている避難者は、どういう方々なのだろうか?

 「男女比は概ね半々、高齢の方が多いです。60代だと、昼は仕事に出かけている現役の方もいますので、昼はやや人数が少ないです。子どものいる世帯も残っていますが、もう数えるほどです。3世帯か5世帯くらいでしょうか」(熊本市職員)

 入居先が見つかっていない2~3割の避難者は、これからどうなるのだろうか?

 「避難所内に相談ブースを設けて、仮設住宅・市営住宅・みなし仮設住宅などの住宅あっせんをサポートしています。9月15日に避難所が閉鎖されることも、避難者の皆さんにアナウンスしていますが……最終的に、ご自分では行き先を見つけられない方に対しては、何らかの措置をして、お住まいを確保することになると思います。ただ、場所などのご希望は、かなえられないかもしれません」(熊本市職員)

 とにもかくにも「9月15日には、避難者全員が住宅を確保できる形にしたい」ということであった。避難所は、落ち着いて暮らせる場所ではない。「人の暮らしの場」と言うには、なにもかもが不足している。提供される食事は「朝晩は野菜ジュース・パン・レトルト食品など、昼は弁当か炊き出し」ということだった。「住まい」といえる住まいがあり、暖かく快適な寝具があり、小さくても台所があり、自分の食べたいものを食べられる環境は、人間の生活の基本だろう。

 なお、この避難所は、ペットの同行避難も認めていた。熊本市職員によれば、ペットのいる世帯は「3世帯程度」ということだった。通常の避難者の生活スペースとは壁で区切られた一角に、ペットのいる世帯のためのスペースがあり、段ボールの仕切りが3世帯分あった。動物の声や物音はしなかったが、犬の匂いがした。

心配ごとは「なんもかんも」 仮設住宅を申請する気力もなかった被災者

 ついで私は、入り口からやや奥まった場所、避難者たちの生活スペースとは少し離れた場所にある「心配ごと相談窓口」と大書されたブースを訪れた。相談員としてそこにいた熊本市社協の職員に「皆さんの心配ごとは、どのようなものですか?」と尋ねると、「もう、なんもかんも、です」という答えだった。

 「自宅再建、生活費がない、就労できない、職場が被災して収入が途絶えた……本当に、心配ごと何もかも、です」(社協職員)

 発災から4ヵ月と数日の経過の中で、被災者のニーズや求められる役割も変わってきたという。

 「まず発災直後は、皆さん、立ち上がれませんでした。社協としては、まず、災害ボランティアセンターを立ち上げ、全国から来ていただいたボランティアの方々が活動できるように支援したり、ボランティアさんたちのチームを作ったりしていました。活動拠点も、市内中心部に6月まで開設していました。災害ボランティアセンター自体は、今後も活動を続ける見通しです」(社協職員)

 ボランティアへの対応と並行する形で、被災者の生活費に関する対応が始まった。

 「5月はじめ、国が社協の『緊急小口貸付』の特例貸付を認めたので、そちらの対応を行いました」(社協職員)

 2016年5月6日、被災世帯に対して一回限り10万円以内の生活福祉資金(緊急小口資金)特例貸付が開始された。死亡者・重傷者・要介護者・多人数世帯・子どものいる世帯に対しては20万円。今後の生活再建を思えば「焼け石に水」かもしれないが、ともかく、一息はつけただろう。

 「貸付の相談を受ける中で、被災状況や心配ごとについても伺うわけです。もちろん、まずはお金ですから、緊急小口貸付の対応を迅速に行うわけですが」(社協職員)

 避難所内に相談窓口ができたのは、2016年7月のことだった。

 「発災から3ヵ月が過ぎて、避難所の統合、拠点避難所の集約が行われました。最終的には避難所は閉鎖されるわけです。担当する行政職員さんも『日替わり』という感じで変わります。でも、自分の力だけでは、どうしても避難所の『後』を見つけられない方がいらっしゃいそうだということで、寄り添い型支援を行うことを、市から依頼されました」(社協職員)

 相談窓口を設置し、心配ごとを抱えた避難者がやってくるのを待つばかりではなく、10日ほどかけ、全世帯から状況の聞き取りもしたそうだ。

 「それから、お一人お一人、各世帯に合わせて、課題に応じた相談支援をしています」(社協職員)

 たとえば、どのような課題があったのだろうか?

「みなし仮設住宅が探せない、まだ罹災証明を取っていない……という方々もいらっしゃいました。まず、やる気を起こされるような支援をしています。8月末の現在の段階では、住まいが被災されておらず申請の必要がない方以外は、皆さん、住宅に関する申請を済ませていらっしゃいます。あとは、結果待ちです」(社協職員)

 それでも、社協の支援の枠組みの中では対応できない人々もいる。

 「社協の貸付は、あくまでも借り入れですから、返していただくことが前提です。その返済の負担をかけることが無理だと思われる方も、いらっしゃいます。そういう方には、生活保護をご案内します」(社協職員)

 しかし九州は、全体的に、生活保護を「恥」と考えたり考えさせたりする傾向が強い。

 「『生活保護を引け目に感じる必要はありません。ずっと全面的に生活保護ということではなく、不要になるまでの補完です』と説明して、納得していただき、申請していただいています」(社協職員)

 緊急時の「急迫保護」を除き、原則、生活保護の申請は本人が行う。

 「現状やこれからを、受け入れられる方もいれば、受け入れられない方もいます。ご自分なりの『自立』の大切さ、誰かが見てくれていて一人ではないということを、理解していただく必要があります。まずは、不安を一つ一つ取り除く相談援助をしています」(社協職員)

 しかし、たとえば「生活保護を使おう」という決心をしても、制度の方に不備や不足があれば、どうにもならない。

低家賃・老朽アパートの被災  特に難しい状況にある生活保護の人々

 「熊本市生活と健康を守る会」事務局長・阪本深さんは、災害時の住宅施策の数々について、「生活保護の方々にとっては、非常に不便な制度」という。

 「みなし仮設住宅も、借り上げ公営住宅も、先がないんです。半年間、あるいは1年間というふうに、期限がありますから。『その後、どこに行けばいいのか』ということになります」(阪本さん)

 もちろん、「まったく役に立っていない制度」というわけではない。

 「一般の方々にとっては、メリットがあります。もともと賃貸住宅に住んでいた方は、その期限までは、家賃が不要になります。商売をしている方も、寝泊まりできる場所が確保できます」(阪本さん)

 期限が来た後も住み続けるならば、通常の家賃を支払うことになる。生活保護の場合、家賃補助(住宅扶助)で認められている上限額以上の家賃の住居には、原則として住めない。超過分が数千円なら、生活費を切り詰めて支払うことも不可能ではない。福祉事務所も「本人の自立の助長」という観点から住み続けることを認めるかもしれない。しかし超過分が万円単位となると、そうもいかない。

 「生活保護の方には、全然メリットがないんです。『そこにいつまで住めるのか』が、はっきりしませんから。生活保護でも恵まれた状況にある方々、たとえば県外に転居できる方・親戚の家に身を寄せられる方は、既にそうしています。そうではない方々は大変です。今も避難所におられる方々には、生活保護の方が多いです」(阪本さん)

 加えて、震災後の賃貸住宅家賃の値上がりもあった。

 「私たちの団体で、震災直後の4月18日、熊本市に申し入れをしました。まず、生活保護の方々に対して、安否を含めて状況の確認をしてほしいということ。次に、転居が必要になる方が多数、しかも住宅難ですから、生活保護の家賃補助(住宅扶助)については、通常の基準ではなく、特別基準を適用してくださいということです。その2点については、熊本市との間で合意に達しました」(阪本さん)

 この「特別基準」は、車椅子使用などで通常より広いスペースを必要とする・家賃相場が高い地域などの事情に応じて、自治体の判断で設定・適用してよい、生活保護の家賃補助の上限額だ。ちなみに熊本市の単身者の場合、通常は3万1000円だが、特別基準が適用されれば4万4000円となる。

 「でも、ケースワーカーさんによっては、特別基準の対応をしていただけないこともあるんです。『知っているけれど、わざと教えない』というわけではなく、ケースワーカーさんが知らなかったりします。私たちの会の会員さんだと『特別基準を認めてもらえない』と相談に見えます。一緒に行けば、最終的には認められます。でも、支援団体とのつながりがない方、特別基準があることを知らない方は……泣き寝入りですね」(阪本さん)

 特別基準が認められても、現在の熊本市で住まいを探すのは簡単ではない。そもそも生活保護の人々の多くは、地震以前、民間賃貸住宅なら老朽アパートに住んでいることが多かった。

 「これまで、家賃が3万1000円以下だったアパートは、築40年以上で、大家さんも高齢のことが多いんです。そこに地震があって、アパートが被災して。大家さんも『やる気』がなくて罹災証明を取る気になれなかったり、『もう関わりたくない』という気持ちだったりするんです。『やる気』だけではなく、現金もなかったりします。建て替えのための助成金が認められても数百万円ですから、解体するだけで一杯一杯です」(阪本さん)

 結局、「何もかもが足りない」の一言に尽きる。2020年、オリンピック・パラリンピックを開催する予定で、リニア新幹線計画が進行している日本は、決して貧しい国ではないはずだ。なぜ、自然災害で被災した低所得層の人々の住まいを確保することが、これほど難しいのだろうか?

 次回も引き続き、熊本地震と弱者の生活について、住宅を供給する立場からのレポートを行う予定だ。

ダイヤモンド・オンライン   

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