ゴエモンのつぶやき

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今なお続く「入店拒否」報告 知られざる盲導犬60年の歴史

2016年12月28日 01時37分33秒 | 障害者の自立

「国産第1号」は乗車拒否されていた

 来年2017年は、我が国で初めて盲導犬が誕生して60年目に当たります。しかし、その歴史が半世紀を超え、存在がある程度社会に認知された今もなお、「入店拒否」の報告が少なくありません。入店拒否とは、盲導犬同伴の視覚障害者が、犬の存在を理由にレストランなどへの入店を断られることです。60年前に国産盲導犬第1号『チャンピイ』を生み出した育成団体(公財)アイメイト協会の最新のアンケート調査では、約8割の現役アイメイト(同協会が育成した盲導犬の独自の呼称)使用者が、入店拒否を経験したことがあると答えています。また、電車やバスなどの公共交通機関の「乗車拒否」は減りましたが、タクシーでは今だに事例が報告されています。

 盲導犬の入店は、2002年施行の「身体障害者補助犬法」により、断ってはならないとされています。さらに、今年4月施行の「障害者差別解消法」では、盲導犬を理由とした入店拒否は“間接差別”だと明言しています。とはいえ、これらは強い強制力のある法律ではなく、施設・店側の特有の事情など、ケースバイケースで個別に考慮されるべき状況もあるでしょう。この問題は「法律があるから入店させろ」というような単純なものではありません。表立って語られることの少なかった「入店拒否」をめぐる60年の歴史と現場の声、アイメイト・盲導犬の実態を理解した上で、初めて打開できるものです。

 日本の盲導犬の歴史は、終戦後間もない当時、慶應義塾大学の学生だった河相洌(かわい・きよし)さんの飼い犬『チャンピイ』から始まりました。河相さんは、戦時中の重労働がたたって在学中に失明しましたが、不屈の精神で大学で学び続ける道を獲得し、自立を左右する「歩行の自由」を盲導犬に託そうと考えました。外交官だった父・達夫さんがあるパーティーで犬好きの米軍大佐にその話をしたところ、「盲導犬にしたらどうか」と譲り受けたジャーマン・シェパードの子犬が、アメリカのチャンピオン犬の血を引くチャンピイでした。

 河相さんの依頼でチャンピイに盲導犬としての訓練をし、河相さんに歩行指導を行ったのが、アイメイト協会創設者の塩屋賢一です。賢一は、子供の頃から犬の訓練士になる夢を抱き、戦後間もなく警察犬や家庭犬の訓練士として名をなしました。さらにより社会に役に立つことをしたいと、自分のシェパード犬とともに試行錯誤し、1949(昭和24)年までに独自の盲導犬の訓練法を確立しました。それが実を結び、河相さんとチャンピイが実社会に出たのが、60年前の1957年のことなのです。

 河相さんは、1957(昭和32)年当時、大学を卒業して盲学校の教師になっていました。赴任先の滋賀県彦根市の町を颯爽(さっそう)と歩き、チャンピイと共に教壇に立つ様子が、当時の写真に残っています。視覚障害者が教師として子どもたちの手本になり、しかも、人の助けを借りずに犬と共に毎日学校に通う様子は、戦後の新しい社会を象徴する出来事の一つとして、新聞・テレビ・雑誌で大きく取り上げられました。 それらの報道だけを見れば、当時から社会は河相さんたちを温かく受け入れていたように見えます。しかし、一昨年に河相さんご自身と話す機会があった際に、意外なことを聞かされました。

 河相さんは、チャンピイと10年間歩いています。その間に彦根から静岡県浜松市の盲学校へ転勤・転居していますが、浜松ではチャンピイと登校することはできなかったというのです。

「彦根では歩いて学校に通えたのですが、浜松ではバス通勤になりました。(そして、)バスは犬を乗せてくれなかったのです。当時は全国的に、ごく一部のタクシーを除けば、電車にもバスにも(盲導犬は)乗れなかった。昭和40年代の初めでしたが、2代目の『ローザ』(チャンピイの子)と共に上京した際に、初めて新幹線への試験的な乗車が許されました」

 その後、口輪の装着、事前申請などの条件付きの乗車を経て、1977年に国鉄(現JR)の自由乗車が実現しました。河相さんが再びパートナーと登校できるようになるまでには、さらにバスの自由乗車が実現した翌年まで待たなければなりませんでした。しかし、その時には既にローザは高齢になっていて、結局、日常的にアイメイトと登校できたのは次の代の『セリッサ』になってからでした。

バス会社、運転手一人ひとりに直談判

 アイメイト協会では、1971年に「盲導犬」という呼称を「アイメイト」に改めています。「盲人を導く犬」というニュアンスが、「犬が視覚障害者を引っ張って歩く」という誤解を与えがちだからです。ちなみに、実際のアイメイト歩行は、「使用者が犬に進行方向や発進の指示を出す一方で、犬は自主的な危険回避行動を取りながら歩く」という共同作業です。「アイ」は「目」「私」「愛」を表し、「メイト」は英語の「仲間」です。つまり、「アイメイト」は対等なパートナーを表します。そして、今日、公共交通機関や公共施設への盲導犬の同伴が可能になった背景には、ちょうど「盲導犬」が「アイメイト」になり、犬種もジャーマン・シェパードからラブラドール・レトリーバーに切り替わったこの時代の、初期のアイメイト使用者の努力の積み重ねがありました。

 その一人、現役最高齢のアイメイト使用者、石川県の佐藤憲さん(85)は、1970年に1頭目の犬と歩行指導を受けました。佐藤さんは、「私がアイメイトを持とうと思った時代は、犬自体が社会の嫌われ者。皆が嫌がる犬を連れて、図書館でもホテルでもどこへでも入って歩くということを、誰も考えなかったですよ」と当時の世相を語ります。東京・練馬区の協会施設の近くで塩屋賢一の歩行指導を受けた際も、「練馬大根の畑の縁をね、とっとことっとこ歩いていると、すれ違う人たちから『犬が来たあ』と怖がられたり、『めくらが犬で歩くなんて冗談じゃねえや。歩けるわけねえや』なんて声が聞こえてきました」といいます。

 何はともあれ、佐藤さんは無事歩行訓練を終え、意気揚々とアイメイトと共に地元に帰りました。しかし、大きな壁が立ちはだかったのです。「アイメイトを通勤に使いたい、地域の活動や旅行にも一緒に行きたい。でも、いざ動こうとすると全然ダメなんです。犬と一緒では、バスにも汽車にも、タクシーにも乗せてくれない」。ほとほと困り果てた佐藤さんは、まずは地元のバス会社に直談判。「かわいい犬に、雨の日もずぶ濡れになって歩けというのですか?」という奥様の「泣き落とし」も効いて、運転手一人ひとりとの交渉を経て、ようやく乗車できるようになったといいます。

 佐藤さんは、その後、活動を全国に広げ、アイメイトと共に上京を繰り返して国会議員や運輸省(現・国土交通省)などに陳情を重ねました。その間、宿泊したホテルや食事をしたレストランでも、実際にアイメイトを見せながら理解を得る努力を重ねたといいます。そして、佐藤さんの働きかけがきっかけとなり、1977年の国鉄を皮切りに、バス(1978年)、私鉄、飛行機(1980年)の順に公共交通機関の自由乗車が実現しました。他の使用者も街頭でチラシを配ったり、デパートの屋上や催事場でアイメイトのデモンストレーションを行ったり、県議会傍聴ができるように働きかけたりと、地道な啓発活動を重ねました。大勢の家族やボランティアもその手伝いをしました。こうした活動は、現在も変わらず続いています。

 日本で最初に盲導犬の入店を受け入れたレストランは、現在も東京・東銀座の昭和通り沿いにあるインドレストラン『ナイル・レストラン』です。塩屋賢一は、チャンピイを送り出した2年後の1959年に持病の結核が悪化して入院したのですが、その際に度々病院を抜け出しては贔屓(ひいき)にしていたのが、近くにあった『ナイル・レストラン』でした。やがて賢一から入店拒否問題に頭を抱えていると聞いた初代店主のA.Mナイルさんが、「ならばうちでおいしいカレーを食べてもらいましょう」と、盲導犬同伴での入店を受け入れたのは、まだ国内では前例がない1961年のことでした。国からレストランや喫茶店、旅館に対して入店拒否をしないよう、対応協力の指導がなされたのは、実にその20年後のことです。

 これをきっかけに、アイメイト協会では、4週間かけて行う歩行指導の締めくくりに、銀座の繁華街を歩く「卒業試験」を行っています。卒業試験を無事クリアし、晴れて「アイメイト使用者」「アイメイト」となったペアは、ゴールの銀座4丁目交差点から、その足で必ず最初に『ナイル・レストラン』に行き、名物のチキンカレーをいただきます。今も昔と変わらず守られている伝統です。

 入店拒否の問題が報じられるたびに、今はインターネット上にさまざまな意見が飛び交います。その中には、使用者の側に「入店できて当然、優遇されて当然だという傲慢な気持ちがあるのではないか」といった意見も見られます。そういった方には、ぜひ、盲導犬の社会への受け入れに尽力した初期の使用者の苦労を想像していただきたいと思います。そして、アイメイト使用者となった全員が真っ先に「日本で初めて入店を受け入れてくれた店で食事をする」ことの意味を考えていただきたいのです。そこには、社会参加の扉を開いてくれたお店への感謝の気持ち、そして、自身がこれからアイメイトと共に社会参加することへの喜びが込められているのです。

※記事中に現在では不適切な表現が含まれていますが、記事の趣旨を鑑み、そのまま掲載しています。

 


1961年に我が国で初めて盲導犬の入店を受け入れた東京・銀座の『ナイルレストラン』。現在も歩行指導を終えた使用者とアイメイトが真っ先に訪れる。

写真左は、使用者を迎える二代目オーナーのG.Mナイルさん

2016.12.26   THE PAGE

 

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