ゴエモンのつぶやき

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半世紀前の韓国市内バス、老人に席を譲らないと罰金だった

2016年10月31日 02時49分53秒 | 障害者の自立

 1973年のこと。市内バスで通勤していた当時70歳の医師が、手帳に毎日、特別な記録を付けていた。その日バスで座席を譲られたかどうか、譲られたときはどういう年齢・階層の乗客が好意を示したかをたんねんに記した。9カ月にわたって調査した結果、962回バスに乗り、その間に座席を譲られた回数は320回だった。3回に1回にもならなかった。最もよく座席を譲ってくれる人は26?30歳の男性で、最も見て見ぬふりをするのは女子中学生だった。席を譲ってくれた人は、ジャンパー姿の市民(65.8%)が大多数を占め、スーツ姿(31.1%)は少なかった。さらに医師は、この調査を通して、「恋愛する若い男女」は高齢者が前に立っていても決して立ち上がらないという事実も確認した。70歳の老人の調査は、高齢者にあまり座席を譲ろうとしない世間のありさまに警告を発しようとするものだった。

  市内バスが市民の足になっていった1950年代以降、高齢者や弱者に見ないふりをして座っている若者に対する批判の声が、新聞にしばしば登場する。ある市民は「老人が立っているにもかかわらず、若々しい学生らが堂々と座っているのを見ていると、憎悪が生ずる」という表現まで使った。60?70年代の韓国において、バスの座席を譲るのは若者の義務だった。車内には「老人や子供に席を譲りましょう」という標語が掲げられ、案内嬢もそうした内容を乗客に向けて熱心に叫んだ。最高権力者までもが、この問題を取り上げた。77年、当時の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領は、市内バスに乗ったおばあさんと障害のある学生の座席譲りをめぐる美談を「外国人もうらやむ敬老思想」の事例と紹介。「今後、こういう良い面は大きく拡大すべき」と強調した。さらには67年2月、警察が「席を譲らない行為」を8大非道徳的行為の一つと規定し、罰金を科するとして取り締まりを行ったこともある(67年2月1日付本紙)。

 

 今から半世紀前、公共交通機関での座席譲りは弱者に対する配慮という面よりも、儒教の「長幼有序」倫理に基づいた、年長者を敬う行為という面に重きが置かれていた。立っている高齢者を見ても知らんぷりをしている学生に、傍らの男性が「学生! ちょっと席を譲って差し上げろ」と説教することも珍しくなかった。しかしその時代、多くの若者もまた「年の順に座る」という秩序に反感を抱いていた。「勉強でへとへとになった中学生とたくましい中年男性、どちらが席に座るべきか」といった形の問題提起が、既に半世紀前の紙面に見られる。

  長い月日がたち、世間は大層変わったが、公共交通機関の座席をめぐる神経戦は相変わらずだ。高齢者と若者の間にある座席の優先権をめぐる見解の差は、ますます広がっているように感じる。かつて、学生たちがバスで席に座っていて高齢者が乗ってきたとき、寝たふりなどしていたのは、「譲らないのは誤り」という考えを持っていたからだ。近頃は、地下鉄の席に座り、目と鼻の先に立っている白髪の高齢者をじろじろ眺めている学生もいる。一部の青年は「私も金を払って乗ったのだから、座る権利がある」「譲る譲らないは私の選択」と主張する。長幼有序倫理の退潮とともに、「弱者保護」の意識までつられて失踪しつつあるようで、ほろ苦い気分だ。キャンペーンごときでは解決できないところまで来てしまった。先月の当局の発表によると、ソウル市の交通人口のうち高齢者・障害者・妊産婦など交通弱者は227万人で、交通人口の4分の1を占めるという。現実に合わせて交通弱者の座席を拡充するなどシステムを改善するほかに、妙案はないように思われる。

2016年10月30日    朝鮮日報


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