ゴエモンのつぶやき

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リニューアル ヒロシマ、感じて 犠牲者一人一人の物語を

2017年05月06日 01時31分32秒 | 障害者の自立

 広島市の原爆資料館東館が改装を終え、4月26日に再オープンした。コンピューターグラフィックス(CG)で作った原爆投下時の映像を市街地模型に投影した「ホワイトパノラマ」や、手で触れられる被爆前後の原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)の模型など、被爆の実相が分かりやすく伝わるよう、従来より感覚に訴える展示となった。改修のため閉館した本館も含め、全面リニューアルオープンするのは来年7月の予定。東館の見どころを紹介する。

 路面電車が走り、馬が荷車を引き、子供たちが学校のプールに飛び込む--。資料館の入り口からエスカレーターで3階まで上がると、高さ2・7メートル、長さ25メートルの壁一面に原爆投下前の広島の写真が張られている。タイムスリップしたような臨場感があり、人々の笑い声が聞こえてくるようだ。

  しかし「1945年8月6日」と書かれた壁を境に、原爆投下後の風景に一転。壁一面に展示されているのは45年秋に米軍が爆心地から撮影したパノラマ写真で、34メートルに引き伸ばされた。建物は原爆ドームなどわずかで、人もほとんど見あたらない。

 しかし「1945年8月6日」と書かれた壁を境に、原爆投下後の風景に一転。壁一面に展示されているのは45年秋に米軍が爆心地から撮影したパノラマ写真で、34メートルに引き伸ばされた。建物は原爆ドームなどわずかで、人もほとんど見あたらない。

 
(1)原爆投下の瞬間を動画で再現した「ホワイトパノラマ」。よく晴れた朝の被爆直前の街
 
(2)原爆の通称「リトル・ボーイ」が広島の街に落ちていく

 手前にある直径5メートルの「ホワイトパノラマ」は、航空写真を基に原爆投下前後の街並みを動画で再現したもので、平穏な日常が一瞬で失われる様子を約1分半で表現した。志賀賢治館長は「本当に見てほしいのは本館の被爆資料」といい、ここまでを「きのこ雲の下の惨状」に関心を持ってもらう導入と位置づけている。

 
(3)投下後、街は爆風とオレンジ色の炎に包まれていく

 本来はここから本館に入り、8月6日の惨状を追体験して東館へ戻り、歴史などの学びを深めてもらう計画だが、本館の改修が終わるまでは東館の残りの展示を見てもらう。

 
(5)広島に投下された原爆の8分の1模型を触る中学生たち=山田尚弘撮影

 視覚障害者に配慮した触れる展示では、被爆前後の原爆ドームの模型を実際に目を閉じて比べてみた。被爆前の模型はロの字形に建ち、屋根の一部がヨーロッパの城のような円すい形になっている。一方、被爆後の模型の前では手を上下に動かしても建物に手が当たらない。骨組みだけになったドームの天井に触れ、ほとんど破壊されたことが分かる。熱線で表面がぼこぼこになった瓦や変形した瓶と、被爆前のものとを比較することもできる。

 多様な情報を検索できるタッチパネルを備えた「メディアテーブル」がある2階では、ダライ・ラマら広島を訪れたノーベル平和賞受賞者のメッセージが壁に映し出される。資料館で外国人に案内をしている通訳の下岡憲子さん(62)は、「さまざまな国の人たちからの『皆で平和を築こう』というメッセージは、来館者の心に残るだろう」と話す。

 
(6)当時3歳11カ月だった鉄谷伸一ちゃん(写真右)のほぼ等身大の遺影と遺品の三輪車(左奥)=山田尚弘撮影
 
原爆資料館(広島市中区)

 1階に下りると本館の仮設展示がある。焼け焦げた三輪車は、鉄谷伸一ちゃん(当時3歳11カ月)の遺品。伸一ちゃんは自宅前で三輪車で遊んでいて熱線に焼かれ、その夜に死亡した。父信男さんは「たった3歳の子を一人でお墓に入れてもさみしいだろう」と、亡きがらと三輪車を自宅の裏庭に埋葬。40年後に遺骨を掘り出して墓に納め、三輪車を資料館に寄贈した。

 三輪車は来館者の心に残る遺品として知られるが、新たに伸一ちゃんの等身大サイズの写真も隣に置かれた。原爆で亡くなった姉の路子ちゃん(同7歳)と、あどけない表情で並んでいる。亡くなった一人一人の物語が浮かび上がる展示に、涙を流す人も多い。

(4)「ホワイトパノラマ」につながる通路には、原爆投下時刻を指す時計が描かれている

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