ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

石川ひとみ「病気になっても、心の髄の部分には“歌”がずっと残っていた」

2016年10月18日 00時31分30秒 | 障害者の自立

 大ヒット曲『まちぶせ』で紅白出場を果たしたのは、1981年。その後、歌番組『レッツゴーヤング』の司会など歌手以外でも大活躍された石川ひとみさん。87年に大病を経験され、今、再び歌手として輝く彼女に、アイドル時代から最近のライブ活動まで聞いた!

――最近、この美女トークには岡田奈々さん、石野真子さんといった70、80年代のアイドルの方々が登場してくださってます。石川さんも相変わらずお美しい!

石川:そんなことないですよ(笑)。最近もライブをやらせてもらっていますが、当時からのファンの方がよく来てくださるんですよ。

――では、ライブは50代ぐらいの方が中心ですか?

石川:いや。それが20代の方もいらっしゃるんです。

――それは意外です。

石川:そうですよね。でも最近は、YouTubeとかで昔の映像が見られるじゃないですか。そういうのを見て興味を持ってくださったんだと思います。

――そのアイドル時代ですが、超多忙な日々だったんじゃないですか?

石川:はい。でも、私としては、そんな感じはしなかったですね。若かったから一晩眠ればすぐに元気になっていたので(笑)。

――一晩寝たら大丈夫なんて、タフでしたね。

石川:そうなんです。でも日本中、いろんな場所に行きましたね~。今日は北だっけ? 南だっけ? って不思議な感覚でしたね。

――曜日の感覚もなくなったりしません?

石川:それは、ちゃんとあったんですよ。私は、音楽番組『レッツゴーヤング』や人形劇『プリンプリン物語』のレギュラーの収録日が決まっていましたので。そうそう、あの頃は音楽番組の楽屋は、出演者がみんな一緒だったんですよ。

――個室ではなく?

石川:はい。だから、メイクでも、楽屋の鏡を先輩の方が使ってらっしゃたら、ずっと使えなかったり。

――やっぱり、上下関係は厳しかったんですね。

石川:空いているところがあれば使えましたけど、空いてないときは大きなテーブルでやっていましたね。楽屋では、みんなけっこう仲良くワイワイやっていたんですけど、私はちょっと離れたところから見てて、なんとなく笑っていたりしていましたね(笑)。

――あんまり積極的じゃなかったんですかね。

石川:私、人見知りで、おとなしかったので、すぐにはみんなに溶け込むことが難しかったんですよ。

――石川さんの笑顔の裏には、そんな秘密があったんですね! ところで、先月に双子デュオ、ザ・ピーナッツの生誕75周年を記念して作られたアルバム『ザ・ピーナッツ トリビュート・ソングス』がリリースされましたが、このアルバムに参加されているんですよね。

石川:そうなんです。お話をいただいたときはうれしかったですね。ザ・ピーナッツさんは私が最初にお世話になったワタナベプロダクションの大先輩ですからね。とても光栄で「ぜひ、歌わせてください」って。

――ザ・ピーナッツとの出会いは?

石川:小学生の頃に、家にレコードがあったので、よく聴いていたんです。

――子どもの頃から親しんでられたんですね。今作の参加アーティストは、ももいろクローバーZといった若手から、太田裕美さんらベテランまで豪華メンバーです。ちなみに、プレッシャーは感じませんでした?

石川:私、そもそもプレッシャーって、感じたことが無いんですよ。

――プレッシャーを感じないんですか?

石川:そうなんです。もちろん、緊張はしますよ。今でもライブのときは毎回、レコーディングのときも。でも、私にとって緊張とプレッシャーは違うものなんです。ドキドキ、ワクワクは重圧にはならないんです。

――素晴らしいです! 今作で石川さんが歌われた曲『ウナ・セラ・ディ東京』は、岩崎宏美さんとデュエットされましたね。

石川:そうです。実は私がデビューのキッカケとなったオーディション番組『君こそスターだ!』で歌った歌が、岩崎さんの歌だったんですよ。

――それまた奇遇ですね!

石川:番組は7週勝ち抜きでチャンピオンが決まったんですが、最初に歌ったのが『ドリーム』で、7週目が『想い出の樹の下で』だったんです。

――おお。ちなみに、岩崎さんとのデュエットは今回が初めてですよね?

石川:そうです。とても楽しかったですし、いろいろと勉強になりましたね。

――勉強、というのは?

石川:レコーディングに臨む姿勢とか歌に対する謙虚さとか。でも、大胆に歌われるところもあって、岩崎さん流の曲のこなし方というのを感じ取れたので、すごく充実した時間でした。

――よかったですね。ちょっと話は変わりますが、石川さんは1987年に慢性B型肝炎にかかり、一年間休業されました。闘病生活は大変だったでしょうね?

石川:そうですね。一番大変というか、驚いたのは、誤解や偏見がある、ということでしたね。うつるんじゃないかと避けられたりもしました。私は生まれつきの母子感染で仕方のないことだったんです。当然、普通の生活でうつることはないんですが、そういう理解がなかったことが、一番つらかったです。でも、その分、人としての勉強はすごくいっぱいできて、ひとつひとつの経験すべてを自分の肉にするというか……。

――人としての勉強、とはどういったことですか?

石川:人は一人では生きていけなくて、励ましたり、励まされたり、支え合ってみんなで手を取り合って生きていくものだと思うんですね。そういう経験を重ねていくと、自分からも力を発することができるようになると思えたんです。人は愚かな生き物なので、苦境とかに立ち向かったときに初めて見えるものがいっぱいあって。特に、苦しみの中にいれば、他人への感覚も敏感になるんですよ。

――なるほど。当時は、このまま芸能界を引退しよう、ということは考えなかったんですか?

石川:仕事の面ではカットアウトされたので、これから、どうやって生きていったらいいのかな、っていうのは確かに考えました。私は犬が好きで、トリマーになる夢が学生時代にあったので、それをやっている自分をイメージしようとしたのですが、どうしても湧いて来なくて。やっぱり心の髄の部分では“歌”という火種がずっと残っていたんです。私自身がそれを消そうとしなかったんでしょうね。いつかステキな風が吹いたときに、その火種がホワッと明るくなる、そう強く信じていたんだと思います。まあ、単に強がっていただけかもしれないんですけどね(笑)。

――石川さんは天性のシンガーなんですね。でも、実際、この病気で亡くなる方もいらっしゃいますね。

石川:そうですね。この病気は、完治することがないんです。今、私の病状は安定しているので、この安定をどうやって持続していくか、その部分で自分に対する責任感はいつも感じています。やっぱり、命は尊いもの。自分では軽々しく考えないようにしています。

――先日、乳がんで闘病中の小林麻央さんがブログを開設されましたね。

石川:やっぱり、人知れず苦しんでいるところがいっぱいあると思いますし、言葉を選んで皆さんの励みとなるように発する……そういう部分においては、強く自分を保つように努力をされているのかなって思います。私自身のことで言えば、自分の病気を受け入れたときに楽になったし、他人に対して話せるようになったんです。それまでは「どうして私が苦しまなきゃいけないの?」って否定的な考えばかりがあって受け入れられなかったんですが、その壁を乗り越えたときに強さは出てきたのだと思います。だから、小林さんみたいに自分の病気と闘っている真っ最中に、外に向けて言葉を発することができるというのは、並大抵のことではないと思うので、とても素晴らしいと思います。

――最後に、今後の活動について聞かせて下さい。

石川:私は、とにかく歌を歌いたい。これまでの経験、つらいことも楽しいこともすべてが私の歴史の中では必要なことだったと思うので、それらをすべて大切にしながら、これからも歌っていきたいです。

――デビューから、もうすぐ40年ですが、まだこれからということですね。

石川:年齢とかにあまりとらわれないようにしたいですね。なんでも遅いってことはないと思います。今できることを精いっぱい行いたいと思っています。まだまだ歌っていきます!

 アイドル時代と変わらぬ可憐な笑顔の石川さん。大変な体験をした彼女だからこそ、その発言には、真摯で熱いものが感じられました。これからも健康に留意して、ステキな歌を歌い続けてほしいと思います!

石川ひとみ「病気になっても、心の髄の部分には“歌”がずっと残っていた」 

2016年10月16日     日刊大衆

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 障害福祉論議を開かれた、理... | トップ | サービス残業で未払いだった... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL