ゴエモンのつぶやき

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伊那谷の民話を紙芝居に 音訳サークルが作成

2017年05月27日 03時33分13秒 | 障害者の自立

 伊那市伊那図書館を拠点とする音訳ボランティアサークル「鈴音(すずね)の会」は二十五日、地元の昔話を基にした絵本「赤い夕顔の花」を紙芝居にアレンジし、同館でお披露目した。

 同会は、視覚障害者のために新聞記事の朗読CDを作っており、上伊那地域の二十人が所属。このうち十人ほどで高齢者施設を訪問し、紙芝居を上演する活動も続けている。

 「地元の民話を上演したい」との声が上がり、会員と親交のあった市内の漫画家橋爪まんぷさん(76)に協力を依頼。橋爪さんと箕輪町の作家小沢さとしさん(78)が手掛ける「絵本伊那谷ものがたり」シリーズの一作を紙芝居にすることで快諾を得られた。

 絵本の原画二十一枚をA2判に拡大カラーコピーし、文字を消した余白に橋爪さんが夕日や木々など背景の絵を加筆。文章には同会が紙芝居用のせりふなどを加え、図書館が本の保護フィルムで絵を覆って完成させた。

 「赤い夕顔の花」は、戦国時代に下伊那地域であった領地争いにまつわる悲話と、伊那市高遠町の寺に伝わる「夕顔観音」の伝説を基に創作した物語。

 同会の小俣攻さん(73)=同市前原=は「地元の隠れた昔話を知ってもらう機会になれば。話に引き込めるよう読み手も練習を重ねたい」と話し、七月から実際に披露するという。紙芝居は同館で一般にも貸し出す。

写真

「赤い夕顔の花」の紙芝居を披露する「鈴音の会」会員ら

2017年5月26日   中日新聞


"元ホスト"が日本全国を車椅子でヒッチハイクする理由

2017年05月27日 03時24分58秒 | 障害者の自立

 通りすがりの車に乗せてもらい、目的地まで向かうヒッチハイク。このヒッチハイクを、車椅子で行う若者がいる。寺田ユースケさん(26)だ。

  寺田さんは1990年に愛知県で生まれた。生まれつきの脳性まひの影響で足が不自由だったが、小学校から高校まで、大好きな野球に明け暮れていたという。

 「中学校、高校生くらいまでは足が悪い自分が嫌いで、車椅子に乗ったら"障害者"になってしまうという抵抗があった」。

  そんな思いから、車椅子を使わず、自分の足で歩いてきた寺田さん。しかし、人生を変えたのもまた「車椅子」だった。

  「大学生の時に車椅子に乗って人生が180度変わったんです。行動の幅が広がって友達とも会話できるようになって。歩きながら行動もできるし。まさにかぼちゃの馬車でした」。

  行動範囲を広げた寺田さんは、大学在学中に芸人を目指しタレント養成所に入学、そして上京。さらに、お金を稼ぐためにホストにもなった。

  寺田さんが車椅子ヒッチハイカーになったのは、そんな生活を変えたかったからだという。

  「昼夜逆転の生活をしていたせいもあって、身体が悪くなって。これ以上ホストとしての生活はできないと思いました。まだ日本各地に行ったことないから、身体が動く範囲で回ってみたいなという気持ちが芽生えてきて。僕が助けてといえば笑って気軽に後押ししてくれる、そういう方々が全国にいっぱいいるんじゃないかなという思いで旅を始めました」。

■2年間で47都道府県を巡る旅

 先月22日、2年間で47都道府県を巡る旅を東京からスタートさせた寺田さん。「ちょっと助けてもらえませんか?」の声に、車椅子を押してくれ協力者は、100人を超えている。ヒッチハイクに密着取材させてもらった。

 待ち合わせ場所は新潟駅。佐渡島に行くのがこの日の目的だ。寺田さんの旅は、目的地は自分で決めるが、車椅子を押してくれる協力者を見つけ車に乗せてもらうか、交通機関に一緒に乗ってもらい、移動することになっている。

  佐渡島行きの船が出る港に向かう人を探す寺田さんに、実家に帰る途中だという男性が声を掛けた。

  「佐渡が実家だから佐渡に帰るとこなんだよ。俺もバスを持っているから行く?」

  バスで走ること15分。佐渡島には1時間かかる高速フェリーか、2時間半かかるカーフェリーが運行している。高速フェリーを使う男性とはここでお別れだったが、子連れの女性が「子供の機嫌が悪くなったら申し訳ないですけど」と協力してくれた。

  そしてついに佐渡島の両津港についたフェリー。次に寺田さんが目指すのは佐渡金山だ。港付近には歩いている人が少なかったため、交通量の多い道路でヒッチハイクを試みる。

  ここでも佐渡金山のある相川地区へ向かう人を2秒で発見した。乗せてくれた北野さんは「ちょっと遠回りしていいですか?」と声をかけ、特別天然記念物のトキを探し始めた。

  現在日本には250羽(今月17日現在)ほどのトキがいるとされ、佐渡島では時折目撃されている。何度もサギと間違え、ようやくトキを発見した二人。「こういう時って足が動くもんなんですね」と寺田さんも笑顔を見せた。

■バリアフリーの状況や車椅子から見た観光地の景色を撮影、発信

 2日目、ついに目的地の佐渡金山にやってきた寺田さん。

  「ここまで行きやすくしてもらっていたら絶対楽しめるでしょ、これは」と、想像以上のバリアフリーに興奮。

  実は寺田さんは、旅先でバリアフリーの状況や車椅子から見た観光地の景色を撮影、発信している。

  「みんなが感動するところでも、車椅子目線だと、あれっ?っていうことがある。だからウィルチェアー(車椅子)フォトという形で発信していきたい」

 佐渡金山で出会った夫婦に麓まで連れてきてもらった寺田さん。次なる目的地は佐渡最南端の港・小木港だ。再び路上ヒッチハイクをする寺田さんだが、なかなか協力者が見つからず、近くのショッピングモールに移動。すると寺田さんの携帯電話に協力を申し出る一本の電話が入った。なんと、1日目に新潟駅で出会ったあの男性からだった。男性はSNSで寺田さんの生配信を見てくれていたという。寺田さんは、「信じられないです」と、"奇跡"に大喜びした。

  寺田さんはこれまでのヒッチハイクで地方のバリアフリーについて気付いたことがあるという。

  「東京と比べた時に、ホームと電車の入り口の段差がすごく違うなと。東京だと15センチくらいでも高いと感じるのですが、新潟では30センチくらい差があって」。

 ■『ちょっと助けて』だったら気軽に言えるんじゃないかな

 「都内の駅にいて、改札から出た時に10m先に階段があったんですよ。駅員さんに、『車椅子を運ぶのを手伝ってもらえませんか』と声をかけたところ、『管轄の範囲外なので運べません』と言われて」。

  そんな腹立たしい思いを寺田さんが友達にぶつけると、「道行く人はいっぱいいたわけでしょ。駅員さんじゃなくても、ちょっと助けてって言えれば良かったんじゃないの」言われ、考えが変わったそうだ。

 寺田さんは現在、『HELPUSH』という団体を立ち上げ、活動している。団体名の由来は、HELP(助けて)とPUSH(押して)を組み合わせたものだ。

 「世の中を見ていると『助けて』って言いづらいなと感じていて、でも『ちょっと助けて』だったら気軽に言えるんじゃないかなという思いを込めてやらせて頂いています」。

 自身について「ずっと強がりで生きてきた」と話す寺田さん。「『ちょっと助けて』『ちょっと助けるよ』っていう気軽な助け合いの世の中になって欲しいなと思って旅をしています」と話した。

(AbemaTV/AbemaPrimeより)


支援者として地域貢献を

2017年05月27日 03時16分49秒 | 障害者の自立

多摩中で「避難所宿泊訓練」

 市立多摩中学校で5月12日からの2日間、同校の2年生157人が参加して避難所宿泊訓練が行われた。

 大規模災害時に地域の避難所に指定されている同校。その際には、生徒たちは避難者ではなく支援者として活動することが期待されていることから、支援者としての行動・態度を身につけ、実践的な救命救助、防災知識を学ぶと同時に、高齢者や障害者の被災支援を想定した活動を通じて将来の地域の担い手として貢献できる力を養成することを目的に、4年前から同訓練を行っている。

 この日は、2年生を中心にPTAや同校支援地域本部、多摩市、多摩消防署、多摩市社会福祉協議等の協力を得ながら、1泊2日の行程で訓練を実施。火起こしから釜を使ったアルファー米や豚汁を調理する炊き出し訓練、宿泊所の開設、近隣の高齢者住宅まで迎えに行き談話室で高齢者・地域住民と交流、連光寺小学校までの避難ルートの確認などをグループごとに分かれて行った。

「自信がついた」

 夜には、阪神・淡路、東日本の両震災を体験した国立研究開発法人の森岡文明氏の講演が行われた後、再度グループに分かれて視覚障害者の疑似体験、車いす体験、心肺蘇生法・AED体験、煙体験を実施。その後、体育館、談話室で就寝。翌朝、起床して非常食で朝食を取り、片づけを行って訓練を終えた。

 訓練を終えて、体験した生徒は「この体験を通して、いざという時に動けるよう自信がついた」と感想を語った。前島正明校長は「短い時間の訓練の中で生徒たちは大きく成長した。避難所運営のスキルアップ、支援者としてボランティアの精神が培われたと思う。今後にぜひ活かしてもらいたい」と話した。

(写真上)アルファー米を調理する生徒(右下)体育館で毛布を整え宿泊所の開設準備を行った(左下)近隣の高齢者住宅まで迎えに行き、車いすで搬送

2017年5月25日   タウンニュース


宮崎)「出来ないことがおもしろい」 パラ元代表が授業

2017年05月27日 03時07分51秒 | 障害者の自立

 障害者スポーツへの理解を深める体験型授業「あすチャレ!スクール」が25日、宮崎市立生目中学校であった。パラリンピックの元日本代表選手が講師を務め、全校生徒約400人が参加した。

 日本財団パラリンピックサポートセンターが2016年度から始めた事業。これまでに22都府県の小~高校の約130校で実施し、参加した児童・生徒は計約2万1千人にのぼる。この日は、シドニー・パラリンピック男子車いすバスケットボール日本代表で主将だった根木慎志さん(52)が指導した。

 根木さんのデモンストレーションのあと、生徒が競技用の車いすを使い、車いすバスケを体験。球がリングまで届かなかったり、思うように車いすを操れなかったりと苦労していたが、元気にプレーした。

 根木さんは生徒への講話で「車いすバスケと出会って、出来ないことをおもしろいと思えるようになった」と、目の前の困難から諦めない大切さを伝えた。2年生の江藤百菜さんは「やらないことが恥ずかしいこと。出来ても出来なくても精いっぱいやりたい」と話していた。

写真・図版 

車いすバスケを体験した生徒ら=生目中学校

2017年5月26日   朝日新聞


楽しみながら理解を 明星保育園が明星学園と農作業交流

2017年05月27日 02時29分21秒 | 障害者の自立

 明星保育園(飯田市鼎切石)の年長園児25人が23日、同市駄科の障害者福祉施設「明星学園」を訪れ、利用者30人とサツマイモの苗を植えながら交流した。

  2施設はともに社会福祉法人明星会が運営しており、農作業交流は昨年からスタート。「小さい頃から障害のある人と違和感なく接することができるように」と、植え付けと収穫を通して触れ合っている。

  園児は畑仕事が得意な利用者と一緒に苗を植えたり、指示に従って苗に水をやるなど、力を合わせて作業をやり遂げ、終了後にはくるみみそを塗ったじゃがバターを味わった。

  明星保育園の保育士は「園児たちは利用者さんの話をきちんと聞き、すごく生き生きと動いている」、明星学園の職員は「互いに自然な感じで関われていることが素敵。楽しそうでいい」と交流会の盛り上がりを喜んだ。

  両園の園長を務める法人理事長の宮下智さんは「昨年は大きなイモがたくさんとれた。そういった楽しい思い出と、障害がある人と交流した記憶が重なり合っていることが大事だと思う」と話し、一緒に作業を楽しんだ。

  園児と利用者は秋のイモ掘り作業も一緒に行う予定。

利用者の指示で苗に水をやる園児(明星学園で)

2017年 5月 25日   ミナミシンシュウ.jp