ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

パラ駅伝、新潟でミーティング

2017年02月20日 03時50分18秒 | 障害者の自立

 身体・知的障害者と健常者の合同チームがたすきをつなぐ「パラ駅伝 in TOKYO 2017」(3月12日・東京)に本県から唯一出場する「新潟コメット」が18日、新潟市中央区のデンカビッグスワンで初ミーティングを開いた。完走を目指し、チームの団結を深めた。

 パラ駅伝は、パラリンピックサポートセンターの主催。20年東京パラリンピックのPRイベントの一環で15年に続き、2回目。東京・駒沢オリンピック公園陸上競技場などを舞台に、1周約2・5キロのコースを8周する。

 新潟コメットは2大会連続の出場で、15年は完走を果たした。今回はチームをほぼ一新し、10~50代のランナーとサポートメンバーら総勢12人で挑む。

 ミーティングでは選手らが大会への意気込みを語った。その後、障害者ランナーに応じたたすきの渡し方などを練習で確認した。

 中学時代に病気で右足を切断した加茂市の男性(52)は車いすで出場する。「さまざまな障害のある人と健常者が一緒の競技をする機会はあまりない。まずは楽しんで、結果も付いてくればうれしい」と力強く語った。

来月のパラ駅伝に向け、たすきの渡し方を練習する新潟コメットのメンバー

2017/02/19    新潟日報


熊本被災地での支援活動、17団体が報告 神戸

2017年02月20日 03時06分49秒 | 障害者の自立

 地方自治体の広報活動向上を目的に日本広報協会が主催する「2017年全国広報コンクール」に向けた県審査が行われ、各部門で1位になった県代表作品が決まった。市部広報紙部門では、北本市の広報紙「広報きたもと」が初めて1位に輝いたほか、コンクール常連の三芳町の「広報みよし」が一枚写真部門など3部門でトップになり、4年連続の「3冠」を達成。映像部門では鶴ケ島市のパラパラ漫画ムービー「雨恋いシリーズ」が選ばれた。 

 初の県代表となった北本市の広報紙は「広報きたもと」一六年十一月号。一五年度の市の決算報告という堅苦しいテーマを赤いマントのヒーロー「財政状況伝えるマン」が分かりやすく解説するという斬新さが大きな評価を得た。

 漫画風のストーリー展開で“出演”しているのは、財政課職員で、身長一八三センチ、端正なルックスからヒーロー役に抜てきされた新井亮平さん(25)と、産業振興課職員でヒロイン役の長久保徴子さん(25)。「落ち込む市税収入やこれから控えている大型事業費。財政課職員らは悩んでいます。どうしたらこの危機感を市民の方々と共有できるかと…」と新井さんは本音を漏らす。

 お堅い広報紙のイメージを打ち破る企画を提案した財政課主事の林博司さん(29)は「三十~四十代の主婦層を主な読者層と想定し、実際に手に取って読んでもらえる紙面をと工夫した。今後、人口が減少していく中で市の事業を見直して最適化していかないといけない」と語る。

◆三芳町 4年連続3部門トップ

 三芳町の「広報みよし」は、障害者差別解消法の施行を前に住民目線で特集した一六年三月号が町村部広報紙部門で、こぶしの里を舞うホタルを撮影した同六月号が一枚写真部門で、町の特産品サツマイモのイベントを取り上げた同十一月号が組み写真部門でそれぞれ一位に選ばれた。

 町秘書広報室主任の佐久間智之さん(40)は愛機のニコンD800を駆使し、ホタル撮影では蚊に刺されながらも五時間粘った苦労が報われたことを「町の魅力を少しでも多くの人に伝えるきっかけになればうれしい」と話している。

 広報みよしは一五年のコンクールの一枚写真部門で全国一位の内閣総理大臣賞に輝くなどコンクールの常連。低予算の中で企画から撮影、構成まで一人でこなしてきたノウハウを学ぼうと佐久間さんを訪ねる担当者は多い。

 今年の県内からの応募作品は昨年より二十四件多い百十五件で、工夫を凝らした意欲的な作品が増えてきた。各自治体の担当者らのそのような交流がレベルアップの要因の一つになっていると県の広報担当者はみている。

 熊本地震の被災地支援活動について報告する参加者
 
 
熊本地震の被災地支援活動について報告する参加者
 
2017/2/19     神戸新聞NEXT
 
 

楽しむリハビリで仲間と交流、活力に かわさき七和会 高津区で作品展

2017年02月20日 02時38分23秒 | 障害者の自立

 脳卒中などの後遺症で体が不自由になった市民がリハビリを兼ねて楽しみながら作った手芸作品などが、川崎市高津区の高津市民館ギャラリーで展示されている。この作品展は8回目。活動の楽しさを伝えるとともに、仲間を増やす機会になっているという。 

 主催の「かわさき七和会」には、リハビリをしている人のほか、その家族やボランティアらが参加している。一九九七年に発足。市内七区に支部があり、会員は三十代から九十代の男女計約二百人。たとえば麻生区の支部では月四回、ハンドベルや絵手紙、書道などの教室を開いている。

 今回の作品展には、手芸のほか書道や絵手紙など約二百点が並んだ。折り紙のひな飾りを出品したのは、同会の副会長、沢淑子さん(82)=麻生区。八七年に脳梗塞で倒れ、右腕などを動かせなくなったが、左手だけで器用に紙を折ったり、開いたりする。

 支部の教室では、たとえ上手にできなくても「大丈夫。笑顔がリハビリになるのよ」と声を掛け合い、仲間との交流も楽しいという沢さん。「普通は一生。私は障害者になって、もうひとつの人生が始まり二生(にしょう)。車を運転できなくなり、歩いていると、道端の花に目がいく。人生を楽しめるようになりました」

 作品展の会場はJR武蔵溝ノ口駅北口から徒歩二分のノクティ2の十二階にある。開催は二十二日まで(高津市民館の休館日にあたる二十日を除く)。午前十時~午後四時。同会は新たな参加者も募集している。問い合わせは沢さん=電044(989)4181=へ。

   

会場に並んだ絵手紙などの作品

東京新聞    2017年2月19日


<タリウム事件>親友の首 思いっきり絞めた

2017年02月20日 02時14分17秒 | 障害者の自立

 名古屋市で知人の高齢女性を殺害し、仙台市で同級生2人に劇物の硫酸タリウムを飲ませたとして、殺人や殺人未遂などの罪に問われた元名古屋大女子学生(21)=仙台市出身、事件当時未成年=の裁判員裁判第14回公判が17日、名古屋地裁で開かれた。元名大生は被告人質問で、2012年の劇物混入事件や14年に女性を殺害したとされる事件までの経緯を詳述した。要旨は次の通り。

 【小学時代】
 小1~2の時、文房具を万引し、母親に見つかった。なぜ怒られるのか、いまいちぴんとこなかった。3~4年ごろ、人の死をとても怖く感じた。身近な人が亡くなったわけではなく、理由は分からない。死への恐怖は小5に上がるまで続いた。
 小5で担任の給食に理科の実験で使ったホウ酸を入れようとした。一緒に集めた友達が紛失し、代わりにホチキスの針約10本と消しゴムのかすを入れた。先生に気付かれたが、故意とは思わなかったようだ。
 インターネットの掲示板で猫がナイフを投げて他の猫を殺すイラストを見つけ、刃物に興味を持った。アニメをきっかけにギロチンなど処刑道具にも興味を持ち、毎日のように絵を描いていた。

 【中学時代】
 父親の話で毒キノコに興味を持ち、中1の自由研究で調べた。1本でも人が死ぬことにすごく魅力を感じ、人に食べさせたいと思った。
 中3に上がる頃、(1996年に)多くの犠牲者を出した北海道・積丹半島の豊浜トンネル岩盤崩落事故の話を母親から聞き、私は「他に人が死ぬ話はないか」と尋ねた。母は神戸市の児童連続殺傷事件や大阪教育大付属池田小の殺傷事件の話をしてくれた。人を殺すという手段があることを知った。
 映画「バトルロワイアル」を見た後、鎌やカッターナイフを買って自室に保管した。手元にあるとワクワクし、満足できる。人に使ってみたい気持ちもあった。具体的に誰にというわけではない。凶器を持つことで安心し、殺人欲求を抑えていた。

 【劇物混入事件が発生した高校時代】
 高校は第1志望ではなかったが、入学後、引きずったことはない。高1では陸上部で短距離を走っていた。友達と一緒に居られることが楽しかった。
 妹とは仲が良かったが、高校入学後、暴力を振るったことがある。顔を平手打ちしたり、首を絞めたりした。ナイフを突き付けたこともある。人を殺したいという気持ちがあり、殺意はあった。自分でも行動を制御できなかった。傷は付けておらず、理由は分からない。
 オウム真理教や少年犯罪について調べた。特に2000年に起きた愛知県豊川市の主婦殺害事件や西鉄高速バスジャック事件で加害少年の「人を殺してみたかった」との動機にひかれた。殺人欲求は同級生や妹に話していた。学級日誌に犯罪者の誕生日を書いた。仙台市の筋弛緩(しかん)剤点滴事件の受刑者や、オウム真理教の元教団幹部は薬品や化学兵器を使っており、お気に入りだった。
 高2の春、毒物事件や薬品の購入にはまった。薬品購入はこの時が初めて。コレクション感覚と、実際に人に投与したいという気持ちが半々だった。薬品を集めるとドキドキワクワクし、気分が高揚した。自分が万能の化学者になった気分だった。
 最も人に飲ませたいと思ったのは硫酸タリウムと亜硝酸ナトリウム。12年5月21日ごろ父親に亜硝酸ナトリウムを見つけられた。小瓶入りの硫酸タリウムは持ち歩いていたので、見つからなかった。入手しにくく、没収されるのは嫌だった。
 鎮痛剤や酔い止めを20~40錠ずつ、3回大量服薬した。人体の反応を試そうと思い、登校前に飲んだ。学校で気持ち悪くなった。同5月中旬、硫酸銅を同級生15人になめさせようとした。実際になめたのは7~8人。反応を見たかった。硫酸タリウムも見せた。
 同5月27、28の両日、同級生ら2人に硫酸タリウムを投与した。毎日、ノートに箇条書きで症状を記録した。2人のことは「2個体」と書いた。実験動物の感覚だった。投与の3日ほど前から1週間は眠れなかった。同6月に気分が沈んだが、翌7月に元気が戻り、(被害男性に2度目の投与をした)同月中旬ごろ、また眠れない日が続いた。
 同6月ごろ、妹に小分けにした硫酸タリウムを持たせた。万が一、誰かにタリウムを没収されても、妹が持っていれば手元に残る。「隠して」と指示した。「同級生に飲ませてみたら」と言ったのは冗談だったと思う。タリウムは投与後、卒業まで高校のロッカーに隠していた。
 同6月下旬~7月上旬、ネットで水銀を購入した。水銀中毒を見たかった。父親に水銀の所持を追及されたが、「知らない」と隠し通し、代わりに酢酸鉛を渡した。
 高3の冬、教室で親友の女性の首をマフラーで思いっきり絞めた。人を殺したいと考えていたと思う。「苦しくなったら止めて」と事前に伝え、女性が手を上げたので止めた。
 大学入学前の春休み、硫酸タリウムや塩化バリウムなどを購入した。高校1~2年時に買ったおのやナイフなどの凶器と一緒に名古屋市内の新居に持っていった。

 【大学入学~殺人容疑での逮捕まで】
 大学入学後、同じ学部やサークルの友達ができた。友達や部活の先輩に硫酸タリウムを見せた。自分と同じように、他人も薬品や殺人に興味があるのではないかと思った。14年春ごろ、人に毒を飲ませたいと思い、友人に「また毒を飲ませたい衝動が出てきた。無差別なんだな」とメールした。
 同年夏、インターネット上でアスペルガー症候群の診断テストをしたら100点満点中69点だった。平均は30点台。母に伝えると、仙台の発達障害者の支援センターに連れて行かれた。
 同11月9日、友人に「今のところ、殺人未遂は何回かあるけど、殺人はないんだよな」とメールした。殺人未遂はタリウムを飲ませた2人のことだ。「未成年のうちに絶対殺(や)ってやる」とも送った。「人を殺したい」との理由で殺すのは少年のうちしかできないという固定観念があった。この辺りは自分でもうまく説明できない。少年犯罪で刑が軽くなることはなんとなく分かっていたが、そのために19歳で殺人をしたわけではない。
 1カ月後の12月7日、女性を殺害し「少年法は偉い、少年法マンセー(万歳)」とする他人のコメントをツイッターで再投稿した。西鉄高速バスジャック事件の加害少年が残したコメントだが、この少年が(刑罰を受けずに)医療少年院に収容されたことは知らなかった。ネットで少年事件について調べる際、加害者の処分には興味がなかった。殺人によってテンションが上がり、目に入ったツイートをどんどん再投稿しただけだ。
 高校以降、幻聴があった。耳を通さずに頭の中に直接声が入ってきたり、雑音が人の声に聞こえたりした。声は聞き取れず、ストレスを感じた。高2の5~7月や大学1年の9、12月など、過去に約10回あった。逮捕後に精神系の投薬治療を始め、幻聴は治まった。

 【現在まで】
 15年1月の逮捕後、日記を始め、気分や夢の内容を詳しく書いた。16年3月末ごろ「拘置所職員や弁護人を殺したい」と書いた。殺人欲求が頭を占めてどうしようもなくなり、殴り書きで発散させている感じだった。もし母親が突然、殺されても「そうなのか」で終わってしまう気がする。
 押収されたタリウムなどの薬品類はとても大切な物だが、人を傷つけない自分に変わる第一歩として手放すことを決めた。現時点では適切に扱える自信がないという理由もある。
 人を殺したいと思う頻度は減ってきたが、なくなってはいない。殺す対象は無制限で、母親や妹を殺したいと思ったこともある。実行しなかった理由は分からない。父親は憎く、いなくなってほしいと思うが、殺したいと思ったことはない。頭の中に思い浮かべるのも嫌だからだ。ピアノ練習や勉強で縛られ続け、薬品も没収された。逮捕後、父の面会は拒否している。
 名古屋の女性殺害を後悔しているかと聞かれても分からない。後悔が全くないわけではないが、殺さずに大学生活を送れたかと言われるとそうでもない。

 名古屋市で知人の高齢女性を殺害し、仙台市で同級生2人に劇物の硫酸タリウムを飲ませたとして、殺人や殺人未遂などの罪に問われた元名古屋大女子学生(21)=仙台市出身、事件当時未成年=の裁判員裁判第14回公判が17日、名古屋地裁で開かれた。元名大生は被告人質問で、2012年の劇物混入事件や14年に女性を殺害したとされる事件までの経緯を詳述した。要旨は次の通り。

 名古屋の女性殺害を後悔しているかと聞かれても分からない。後悔が全くないわけではないが、殺さずに大学生活を送れたかと言われるとそうでもない。

河北新報      2017年1月16日


知ってほしい LGBTのこと 県、解説冊子初めて作成

2017年02月20日 02時03分13秒 | 障害者の自立

 県は性的少数者(LGBT)について分かりやすく解説した冊子「LGBTってなに?~誰もがありのままの自分でいられるために」を初めて作成した。県内にいる当事者の声も収録し、多様性や人権の大切さと差別の解消を訴えている。社会的な関心が高まる中、県内では関連する民間の支援団体も活動しており、当事者同士が交流したり、悩みなどの相談を受け付けたりしている。 (菅原洋)

 LGBTの「L」は女性の同性愛「レズビアン」、「G」は男性の同性愛「ゲイ」、「B」は両性愛「バイセクシュアル」、「T」はどちらの性別にも違和感を持つ状態などの「トランスジェンダー」を意味する。LGBTは医学的な治療や、自らの意思で変えるのは難しいとされる。

 冊子では、二十~五十九歳の約十三人に一人がLGBTの人たちという現状を紹介。しかし、LGBTの人たちの約68%が学校でいじめや暴力を受けた実態がある。性が体と心で一致しない「性同一性障害者」の58・6%が自殺願望を持ち、28・4%は自殺未遂・自傷行為をしたというデータもある。

 背景には、学校教育での情報提供の不足が影響しているとの指摘がある。仕事でも、トランスジェンダーの約70%、同性愛者や両性愛者の約44%が自らの性に関連して求職時に困難を感じているという。

 県内のLGBTの人たちの声では、二十代のトランスジェンダーは「制服などあらゆる場面で男女分けされたり、立ち居振る舞いなどを性別によって強制されたりし、つらかった」と告白している。

 また、二十代のゲイは「上司達に『彼女はいないのか』と聞かれ続け、ずっと『いない』と答えていたら『お前コッチ系か!やっぱり男が好きなのか!』と笑いのネタにされた」と打ち明けた。

 冊子はLGBTの人たちが周囲に自らの性を告白する「カミングアウト」をした場合、どのように対応するかも助言している。

 冊子は巻末で、相談窓口や県内の支援ボランティア団体「ハレルワ」も紹介。団体は二〇一五年六月に発足し、県内のLGBTの人たちが毎月のように交流会を開いている。交流会では、カミングアウトなどをテーマに語り合っているという。悩みなどの相談もプライバシーを守った上で受け付けており、問い合わせはホームページからアクセスできる。この団体はLGBTの人たちに「あなたは決して一人ではありません。県内で困ったらここがあります」と呼び掛けている。

 冊子はA4判、八ページ。四万部を刷り、県と関係機関、市町村、学校などで無料配布している。

 問い合わせは県人権男女・多文化共生課=電027(226)2906=へ。

 
県が作成したLGBTの冊子
 
2017年2月19日     東京新聞