ゴエモンのつぶやき

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ICOCA、18年夏に福井導入 JR西日本、19駅に自動改札

2017年02月02日 02時26分20秒 | 障害者の自立

 JR西日本金沢支社は31日、ICカード乗車券「ICOCA(イコカ)」を、福井国体・全国障害者スポーツ大会前の2018年夏に北陸線福井県内区間に導入する予定と発表した。牛ノ谷駅(あわら市)から新疋田駅(敦賀市)まで19駅で運賃を支払うことができ、指定店舗では買い物にも使えるようになる。

 同日、JR西金沢支社の児島邦昌支社長が県庁を訪れ、西川一誠知事に説明した。県は福井国体までの導入をJR西に要望していた。

 ICカード乗車券は、券売機などで事前に入金(チャージ)し、自動改札機の読み取り部分にかざすと運賃が引き落とされる仕組み。JR西によると、福井県内の導入整備費は約7億円の見込みという。JR西管内の2府16県で自動改札機が導入される最後の県となる。

 首都圏の「Suica(スイカ)」など互換性のある他エリアのICカード乗車券も福井県内で北陸線を利用する場合に自動改札機を使えるため、県外客にとっても便利になる。

 児島支社長は県庁で、西川知事に「福井国体には必ず間に合わせる」と述べ、詳しいサービスの内容や開始日は決まり次第報告するとした。

 また「えちぜん鉄道や福井鉄道、路線バスなど、他の交通事業者とも同じICカード乗車券のシステムで相互に利用できるよう、働き掛けを進めていきたい」と述べた。

 西川知事は「できるだけ早く実現するようお力添えを」と求めた。

福井新聞


武装ラブライバーとは何か? ヤンキー、老人、死刑囚…「アウトサイダーアート」の伴走者が最注目

2017年02月02日 02時14分49秒 | 障害者の自立

つけられてきた。

そんなアウトサイドにいる(と思われている)人々、例えば障害者、ヤンキー、犯罪者、老人、ホームレスといった社会的少数者いわゆるマイノリティの表現活動を発掘し、紹介している「アウトサイダーアート」キュレーションの第一人者がいる。櫛野展正(くしの・のぶまさ)さん。広島県福山市在住の40歳。

去年4月には、自ら経営するアートスペース「クシノテラス」にて、和歌山毒物カレー事件の林眞須美死刑囚や東京・秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大死刑囚ら42人の死刑囚が拘置所で描いた絵画を展示し、話題を集めた。
 昆虫2万匹で作った昆虫千手観音像

そんな櫛野さんがこのたび上京、渋谷にある「実践女子大学」でトークイベントに出演していたので覗いてみた。現在美術家・奥平聡氏のご紹介である。
 
講演は、櫛野さんが実際に取材した人々の作品を見ながら行われた。例えばこれは、2万匹の昆虫を使って建立した「昆虫千手観音像」。高さ1m80cm。

Excite Bit コネタ   2月1日


怪我、競技転向、本番のトラブル……追い込まれて得た銀メダル

2017年02月02日 01時54分25秒 | 障害者の自立

 「最善を尽くしました。全力を出し切って戦えるレベルにはもっていけたと思っています」

 そう言ってから、言葉を探すように話し始めた。

 鹿沼は2014年7月ワールドカップのロード・タイムトライアルで銀メダルを獲得し、直後の世界選手権ロード・タイムトライアルでは初優勝を飾った。その頃までは練習を積めば積むほど強くなっていく実感があった。自身の成長に伴う結果が嬉しかった半面、世界選手権優勝以降、「日の丸」の重圧を感じるようになった。それは周囲の期待の大きさでもあり、追われる立場になったプレッシャーでもある。

 「世界選手権の優勝後は自分の中でいろいろなものが変わっていきました。一度『世界』で優勝してしまうと、勝ち続けるしかないというプレッシャーに襲われたのです。楽しさも喜びもなく、日の丸の重さだけを感じるような時期がありました」

 「負けてしまったら、全てを失ってしまうんじゃないかという恐怖に近い不安です。もちろんそれ以前にも日本代表であるという意識はあったのですが、勝ってからはそこに想像を超えた重みが加わったのです」

プレッシャーからの解放  失ったものと得たもの

 勝たなければならない。優勝しなければ周囲の期待に応えられない。そんな思いが膨らんでいくなか、鹿沼はリオの前年、予期せぬアクシデントに見舞われた。

 「修善寺(日本サイクルスポーツセンター)の5kmコースで、下りから左コーナーに入るところで転倒してしまい、外傷性くも膜下出血と鎖骨と肩峰を骨折、左に倒れたので左半身がひどい擦過傷に……。でも転倒したときに頭を打っていたので記憶に残っていませんでした。幸いにして転倒した記憶がないので、恐怖心も残らなかったのです。それが救いでした。もしも転倒時の記憶があれば、こんなシーンでこけたんだ、という恐怖心からトラウマになってしまったと思うんです」

 「ケガは治りますが、トラウマは治そうとしてもなかなか治すことができないですからね。怪我だけで良かったと思っています」

 クロスカントリー時代にもケガに泣いたことがあった。再び試練が訪れたのである。だが、この期間が鹿沼を大きく変えた。

 「練習を離れ、それまでのことを振り返ってみたら、積み重ねてきたすべてを失ってしまったんじゃないかと思いました。でも、落ちるところまで落ちたし、失ったからこそ自分の原点に戻れたのです。失ったのなら、また積み上げていけばいい。練習量は落ちてしまったけれど、重く圧し掛かってきたプレッシャーもなくなり、精神的には大きなプラスを得ることができました。残された時間がどれだけであろうと、あとはやるだけだと思えたのです」

 怪我を乗り越え、逞しいチャレンジャーとして練習に復帰した。

 しかし、アクシデントはそれだけに留まらなかった。怪我を負った左半身をかばい、右腕に極度の負荷を掛け過ぎてしまったせいか腕の神経が麻痺してしまったのである。

 鹿沼は上半身を前傾させ、肘や腕にかなりの圧力を掛けながら漕ぐタイプなのだが、手首を曲げることも、ハンドルを握ることもできなくなった。

 「2016年の5月に発症しましたから、ほとんどリオの直前と言ってもいい大事な時期です。腕に麻痺があっても私はやるしかありませんでした。幸いなことに、足はケガしていないんです。だから、リオまでの期間にやれるだけのことをやりました。怪我は私にいろいろなことを教えてくれて、迷いはないという状態でリオに向かうことができたと思っています」

数値化による質の向上とメンタル面の強化

 メダル獲得を具体的目標に掲げて取り組んだことは、『ワットバイク』というインドアバイクを使って、10分間踏み続けられるワット数を増やしていくトレーニングを導入し練習を数値化した。最初は180ワットで10分間という負荷からスタートして、リオの直前は270ワットで10分間まで踏み続けられるようになった。

 「私の場合は瞬発力がなかったので1分間でどれだけ力強く踏めるかという負荷を上げつつ、10分間漕げるように増やしていったのですが、練習を可視化して、分析してもらって、自分でも確認しながら進めることができました。以前の私であれば、練習を数値化するなど考えていなかったのですが、メダル獲得を実現するためには必要なことだったのです」

 またメンタル面では徹底して自分と向き合う心理サポートを受けた。毎日練習前と後に10分間自分の呼吸にだけ意識を集中し、いま自分がどのような状態で息を吸い、吐いているのかなどを具体的に感じられるようになると、さらに進んで、自分が現実に自転車に乗って、ペダルを漕いでいるようなイメージまで掴めるようになっていった。

 「最初は落ち込んでいる人に対して行うものという印象があって抵抗があったのですが、私が受けたのは、『自分と向き合う』というものなので、それならやってみようと」

 「続けるうちに、自分は座っているだけなのに、現実に自分が漕いでいるイメージを作れるようになるんです。漕いでいる負荷とか、いま自分の身体のどこの部分を使っているのか感じられるようになってくると、実際の練習でもその感覚を確認しながら、フォームに意識が向くようになって練習時間の短縮に繋がったのです」

 もしも、あのタイミングで怪我を負わなければ練習の数値化も心理サポートも受けなかったのではないだろうか、以前のままの練習を継続していたのではないだろうかと鹿沼は振り返る。

 「リオの直前には、呼吸への意識とトラック1周のイメージをひたすら行うことによって、実際のタイムも縮まっていきました。私の場合は、『私はやれる!』とか『勝てる!』という言葉を使うと、力んだり、縮こまったりして逆の結果に繋がりやすいので、ひたすら自分と向き合うというトレーニングが自分に合っていたと実感しています」

良い距離感で自立したチームワークに

 健常者の田中と視覚障害者の鹿沼による二人乗り自転車のパラサイクリング・タンデム競技は、前にパイロットと呼ばれる健常者の田中が乗ってハンドル操作やブレーキ操作を行い、後部の鹿沼はストーカーと呼ばれ自転車に強力なパワーを伝える役割を担っている。ちなみにストーカーとは、蒸気機関車に石炭をくべる火夫という意味である。

パイロットの田中まいとストーカーの鹿沼由理恵

 

 二人が初めてペアを組んで出場したのが2013年カナダで行われたロード世界選手権。以来、怪我なども含め半年ほど離れたことはあったが、二人で国際大会を戦い続けた。

 自転車競技はスピードとパワーに溢れる世界だが、チームワークという点では言葉以外にも繊細なコミュニケ―ションが勝敗を左右する要素となる。

 「最初はお互いが気を遣い合って練習中も遠慮しながらやっていたような気がします。たとえばカーブの入りの体重移動で気づいたことや、相手にしてほしいことがあっても、気を悪くするんじゃないかと口に出せなかったり、自転車を降りてからも近くにいた方がいいのかな……、なんて考えて落ち着くこともできませんでした。長い間、お互いがそんな思いを持ったまま練習をしていたのです」

 海外の選手たちは競技中でも前と後ろで言い合っていることが多いというが、日本人らしさなのだろうか、鹿沼達は必要以上に相手へ気を遣ってしまい、けっして良いとはいえない影響が出たようだ。

 だが、お互いを思う気持ちというのは規律や自立した関係が構築できれば、強固なチームワークの基になるものだ。

 「ふとした言葉がきっかけで、遠慮していてもタイムが縮まらないことにお互いが気づいて、言い合えるようになってから、ぐっと二人の距離が縮まったように思います。そして『私は田中まいとリオの表彰台に上りたい』と伝えました」

 「今では練習のこと以外ではお互いに干渉しない関係にあります。話したいときは話すし、話したくないときは話さない。その干渉し合わない距離感を保って時間を過ごしています。お互いに自分のペースでやった方がコンディション作りのためにも良い結果を生みました。時間は掛かりましたが、その関係ができてからは練習中のコミュニケーションがよくなったと感じています」

2017年2月1日   ニフティニュース


もう一つの高校サッカー 創部初松江養護 全国大会へ

2017年02月02日 01時47分26秒 | 障害者の自立

 松江養護学校(松江市西川津町)のサッカー部が2月11、12の両日に静岡県藤枝市である「第2回全国知的障害特別支援学校高等部サッカー選手権大会」に初出場する。関西・中国予選を全勝で突破し、創部以来初の全国舞台をつかみ取った。日本代表選手を有するチームは総合力の高さが持ち味で、初出場優勝を目指すメンバーは「新たな歴史をつくりたい」と士気を高めている。

 大会は、冬の全国高校選手権にちなみ、日本知的障がい者サッカー連盟(東京都)が「もう一つの高校選手権」と銘打って2015年度に始めた。対象は知的障害特別支援学校高等部の単独部活動チームで、今回は地域予選を勝ち抜いた関西・中国2校、関東2校、東海4校、九州1校の計9校がトーナメント方式でしのぎを削る。

 松江養護学校サッカー部は約20年前に発足し、現在は高等部1~3年生23人が所属する。走攻守の三拍子そろった日本代表選手で、ワールドカップ(W杯)と同じ14年にあった知的障害者世界選手権ブラジル大会に出場した3年生のMF安達寛人さん(18)を司令塔に、「全力疾走」を掲げてピッチを駆け回る。

 初の県外チームとの試合となった昨年11月の予選では、関西地区の4校と総当たりで対戦。終了間際に1年生のFW景山愛弥さん(16)の劇的ゴールで初戦を制して勢いに乗った。3試合目は大黒柱の安達さんがハットトリックを記録し、4戦全勝で全国切符を勝ち取った。

 全国大会は1回戦で兵庫県内の特別支援学校と対戦。勝てば、準々決勝で優勝候補筆頭の東京都立志村学園とぶつかる。厳しいブロックだが、メンバーは強豪を撃破して新たな歴史を刻もうと熱のこもった練習を続けている。

 大社高校2年の時に全国高校総体に出場した田原直生監督(28)は「生徒たちが必死でつかんだチャンス。貴重な経験になる」とし、3年生のFW吾郷智徳さん(17)は「チーム一丸で頂点に立つ」と闘志を燃やした。

 

創部初の全国大会に向けて闘志を燃やす松江養護学校のメンバー

'17/02/01   山陰中央新報


息子はなぜ死んだのか 来月2日判決 /栃木

2017年02月02日 01時43分26秒 | 障害者の自立

 真岡市の市立小学校で2010年2月、給食に出された白玉団子をのどに詰まらせ脳死状態となり、13年1月に亡くなった飯沼晃太さん(当時10歳)の両親が、真岡市に約8400万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が来月2日、宇都宮地裁(吉田尚弘裁判長)で言い渡される。事故の予見可能性などを争点とした訴訟について、司法はどう判断するか。独自に調査を進めてきた父健一さん(37)は「事故の経緯をはっきりさせたい」と訴える。【野田樹】

 

教訓化されず遺族憤り

 13年1月14日午後8時20分。晃太さんは病院のベッドの上で苦しむ様子もなく、すっと息を引き取った。野球とゲームが大好きな男の子だった。元高校球児の健一さんは「よく公園で野球をしていました。(少年野球チームに入ったら)鍛えようと思っていたのに」と声を落とした。

 息子はなぜ死んだのか。白玉団子を喉に詰まらせてから通報までの経緯を知ろうとしても、学校側からの情報提供はほとんどなかったという。そこで、健一さんは独自に関係者から聞き取りを始めた。事故当時、教員がどの教室にいて、どう行動したのかを表にまとめた。事故を調査した第三者委員会の報告書では発生から2分後に通報したとあったが、「これだけのことを2分でできるのか」と疑問を拭い去ることはできなかった。

 12年7月には、栃木市の保育園で女児(当時2歳)が、同じメーカーの白玉をのどに詰まらせた事故があったことを知った。晃太さんの事故の情報が共有されず、教訓化もされていない現状に、憤りを感じた。「『真岡市に(事故のことを学校現場に)伝えていなかったのか』と聞いても、答えはあいまいでした」

 また、健一さんは真岡市に対し、事故が起きた後の支援制度の必要性も訴えている。学校管理下の事故で重い障害を負いながら、市からは「障害者」として一律の支援を受けただけ。「(晃太さんと)同じような子どもが出てきた時、自分のように苦しむ親が出てくる」と懸念している。

 今月14日は、晃太さんの命日だった。家族で墓参りし、自宅には仲の良かった同級生が訪れた。「晃太のためにも、伝えられる人は自分しかいないから」。黙っていてはいけないと感じ、「小さな声」を上げ続けている。

市は支援策より再発防止を優先

 一方、真岡市は晃太さんの事故を受け、再発防止に努めてきたという。市学校教育課によると、市内の学校給食センターではメニューを見直し、白玉団子をはじめ、うずらの卵など喉に詰まりやすい食材の提供をやめた。また、給食を食べ始めてから、5~15分程度は静かに集中して食べる活動を進めている。話しながら食べると、誤って気管に詰まる可能性が高まるためだ。同課は「給食は『食育』の面から楽しむことも必要。後半には歓談の時間も設けるようにしている」と話した。

 さらに、教職員を対象とした救急救命講習を、3年に1度受講するように義務付けた。喉にものや食べ物を詰まらせた際の救命法も想定して行っているという。

 ただ、真岡市は事故後の対応について、独自の支援策を検討していないという。同課は「事故後の支援を想定するよりも、事故を起こさないようにすることが学校現場で必要なこと」と説明している。

毎日新聞      2017年1月31日