ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

手話通訳者手配ミス 地裁「単純な事務的ミス」 /高知

2010年02月01日 00時35分10秒 | 障害者の自立
 ◇県聴覚障害者協会「認識にズレ」
 県内初の裁判員裁判の選任手続きで、聴覚障害者を裁判員候補者として呼び出しながら手話通訳者が手配されていなかった問題で、県聴覚障害者協会(山中睦子会長)などと高知地裁の話し合いが29日、高知市内であった。山中会長は「裁判所の言うことが少なく、納得できない部分が残った」と不快感をあらわにした。

 話し合いは同協会や全国手話通訳問題研究会高知支部から計18人と、同地裁から下田厚郎首席書記官ら2人が出席。聴覚障害者が不選任となった理由の説明などを求めて今月27日に提出した要望書に対する同地裁の回答を聞こうと、約1時間半にわたり非公開で行われた。

 終了後、会見を開いた山中会長によると、地裁側は「単純な事務的なミス」と説明したという。山中会長は「私たちは聴覚障害者に対する人権、また耳が聞こえない人への保障が付いていなかった(手話通訳者を手配していなかった)という大きな問題としてとらえている」と両者の間に認識のズレがあると指摘した。

 また、同地裁から不選任の理由についての回答はなく、回答日も明らかにされなかった。今後の対策として、質問票のチェック態勢強化▽質問票の様式見直し▽裁判員裁判の日時が決まった段階で裁判員候補者の中に聴覚障害者がいなくてもまず同協会に手話通訳者の派遣を要請する--の3点を提示したという。

出発を励ます集い:知的障害者「応援に感謝します」 /福岡

2010年02月01日 00時33分11秒 | 障害者の自立
 第29回出発を励ます集い(北九州市、北九州市手をつなぐ育成会主催、毎日新聞西部社会事業団後援)が30日、戸畑区汐井町のウェルとばたであった。入学や卒業、成人、還暦など人生の節目を迎えた育成会会員の知的障害者96人に記念品が贈られた。

 この日出席したのは35人。育成会の北原守会長が「この集いを機に新しく出発することを願う。我々会員も障害者の自立と社会参加に向け、今後も進んでいく」とあいさつ。

 96人を代表して桑の実工房(八幡西区)で働く平野駿介さん(20)が「たくさんの人に出会い、たくさんの応援をいただいた。感謝します。これからは僕も他の人を応援していく」と決意を表明すると、会場から拍手が送られた。

障害者雇用と業績向上の両立学ぶ 福井で事業者向けセミナー

2010年02月01日 00時31分03秒 | 障害者の自立
 福井県発達障害児者支援センター「スクラム福井」は30日、自閉症やアスペルガー症候群など、発達障害者の雇用促進に関するセミナーを福井市の福井商工会議所ビルで開いた。県内の事業主や企業の人事担当者ら28人が発達障害者の雇用状況や実情について学んだ。

 伊勢丹の子会社で、障害者を雇用している伊勢丹ソレイユ(東京)の四王天正邦社長は「障害者の能力を引き出すと、会社の業績向上に結び付けることができる」と話し、障害に対するマイナスの固定観念を持たないように呼び掛けた。

 県民生協第3地区本部(嶺南)の織田良本部長は、食品スーパーで発達障害者を雇用した経験から「業務を増やすタイミングや接し方は難しいが、職場風土を改善するきっかけになる。本人の特性と職種がマッチすれば、できる作業は多い」と話した。

 また、この日はセミナーに先駆けて発達障害者との交流会があり、支援者ら計61人が参加。実際に就労する当事者2人の講演と、継続的に働くための方策を探るシンポジウムが行われた。

事故重度意識障害ケア 医療費抑制の壁 回復の希望、置き去り

2010年02月01日 00時29分10秒 | 障害者の自立
 7年前、交通事故で脳がダメージを受け寝たきりで意思疎通ができなくなった「遷延(せんえん)性意識障害」の男性が奇跡的に回復しつつある。入院7カ所目でたどり着いた病院でリハビリを続け、数字を指で示すなど、わずかだがコミュニケーションがとれるようになった。しかし、同じ障害がある患者の大多数は病院を追われ、回復の望みすらもてない。背景には、医療の必要性が低くなってもケアが必要な重度障害者のニーズとはかけ離れた国の医療費抑制策の実情がある。

 昨年11月下旬、宇都宮市郊外の白澤病院。159のベッドの多くが高齢者を中心とする慢性期医療を担う療養病床だ。その一室で舘野(たての)ひろ子さん(71)は、次男祐二さん(38)の右手のひらにボールペンを載せた。祐二さんは握り直すと紙に薄く線を引いた。判読不能だったが、舘野さんは確信した。「いつか必ずペンで言葉を交わせる」

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 03年1月11日未明、同市の舘野さんの自宅。夢うつつの中で電話が鳴った。「祐二が車にはねられた」。会社の新年会から帰る途中だった。電話のそばでは祐二さんが普段かわいがっている犬のライリーがじっと見上げていた。

 独協医大病院(栃木県壬生町)に搬送された祐二さんの頭は大きく腫れ上がっていた。脳圧を逃すため頭骨の一部を外す手術を受けた。執刀医は告げた。「意識が戻っても手足や言語に障害が残る。ただ、脳には未知の部分がある。音楽を聞かせるなど刺激を与え続けてください」。入院は延べ約7カ月間に及んだ。

 当時、祐二さんは話しかけても反応や表情がなく、気道確保のため気管を切開していた。同病院は「特定機能病院」。生命の危険に対応する急性期医療が終わると転院を促された。だが、入院を打診した病院の多くは「重症者は無理」と口をそろえた。入院できても、1年余りで4回の転院を余儀なくされた。3カ月間入院した病院はリハビリをしてくれず全身硬直が進み、入浴は一度もなかった。「追い出されるのが怖い」。文句は言えなかった。

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 事故に遭った03年以降、医療費抑制策を受け、入院患者の平均在院日数が長びくほど診療報酬が下がる仕組みが強化されていった。

 07年初夏、転機が訪れる。宇都宮市内のホテルであった地区保護司会の会合で、舘野さんは白澤病院を運営する医療法人理事長で医師、太田照男さん(64)とたまたま隣り合わせた。「行き場がない」。小中学校教諭を経て保護司を務めていた舘野さんは、太田さんに窮状を切々と訴えた。

 祐二さんの病状は安定し医療の必要性が低いとされる「医療区分1」。06年の診療報酬改定で同病院の場合、1日1万6000円だった入院基本料(リハビリ含む)が8850円に引き下げられた。リハビリも180日を超えると回復の見込みがある場合を除き、診療報酬として算定されない。つまり入院が長引くほど経営を圧迫する患者だ。それでも太田さんは「リハビリすれば回復の可能性がある」と入院を引き受けた。

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 「これはいくつかな」。言語聴覚士が数字の「5」と書いた紙を見せると、祐二さんは指5本を広げた。握手もできる。ZARDのヒット曲「負けないで」を聞くと、右手で左肩を打つ「拍手」もするし、ボールも投げられる。毎日1時間のリハビリの成果だ。太田さんは「回復の期間には個人差があり、リハビリ日数の180日制限は撤廃すべきだ」と訴える。

 だが、祐二さんは例外だ。「全国遷延性意識障害者・家族の会」の桑山雄次代表(53)=大阪府交野市=は「国が進める平均在院日数の短縮化で、たらい回しどころか療養場所がない人が大勢いる」と嘆く。介護保険制度は脳血管疾患など加齢に伴う16疾病については40歳から適用されるが、交通事故が原因の遷延性意識障害は65歳まで対象外のため、介護保険施設にも入所できず、医療と福祉のはざまに取り残されている。

 毎朝6時、舘野さんは50分間のウオーキングにでかける。祐二さんの帰宅を玄関先で迎えるのが日課だったライリーは事故以来、玄関であるじを待ち続け、3年後息を引き取った。「体力をつけて一日でも長く息子を見守りたい」。そんな思いを胸に亡き愛犬との散歩コースを歩く。

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 ■ことば

 ◇遷延性意識障害
 頭部外傷や脳血管障害などが原因の最重度障害。呼吸など生命維持に必要な脳幹部は機能していて「植物状態」とも呼ばれる。日本脳神経外科学会の定義によると、(1)自力移動できない(2)自力摂食できない(3)し尿失禁状態(4)眼球が物を追っても認識できない(5)意味のある発語ができない(6)「手を握れ」などの命令に応じても、それ以上の意思疎通ができない--の6項目が3カ月以上続く状態。国内には推計約3万4000人の患者がいる。


心込め整備、発送作業

2010年02月01日 00時25分59秒 | 障害者の自立
名古屋「AJU自立の家」LC、ボランティアら40人


 アジアの障害者に車いすを贈るための発送作業が30日、名古屋市昭和区の社会福祉法人「AJU自立の家」で行われた。「アジア障害者支援プロジェクト」の一環で、豊橋西ライオンズクラブや地域のボランティアら約40人が参加した。

 同プロジェクトは、自身も車いすに乗る事務局長の小倉国夫さん(62)が2002年、アフガニスタンで、物ごいする足のない人を見たことがきっかけだった。衝撃を受けた小倉さんは帰国後、アフガニスタンの悲惨な現状を訴える写真展を全国で開き、車いすを贈る資金を集めた。そして、再び同国に行き、約80日かけて障害者一人ひとりを訪ね、404台の車いすを手渡した。

 小倉さんは「車いすがあれば、足が不自由な人でもどこへでも行ける。車いすにはダイヤモンド以上の価値がある」と話す。

 同プロジェクトでは、これまでにラオス、カンボジア、ミャンマー、パキスタンなどに計1260台の車いすを贈った。

 この日は、県内外から集まった中古の車いす155台を歯ブラシで磨いたり、空気を入れたりして、心を込めて整備した。ぴかぴかになった車いすは段ボールに詰められ、タイの学校に向けて発送された。

 今回贈る車いすのうち50台は、豊橋西ライオンズクラブが豊橋市内の病院などから集めた。同クラブ会長の深見哲史さん(58)は「日本では簡単に手に入る車いすだが、貧しい国ではそうはいかない。これからも支援していきたい」と話した。