ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

――「サラマンカ宣言」から「障害者権利条約」へ――』

2009年02月05日 01時01分07秒 | 障害者の自立
 この本はDPI日本会議の編集になる『DPIわれら自身の声』(Vol.24、No.3、2008年10月16日)に掲載されている安積遊歩さんの書評で知ったものである。すでに安積さんによる整った書評がある。ぜひ、現物を手にとってほしい。しかし、私流に勝手に紹介しよう。なお、国連の障害者権利条約については日本で出版されたものも多い(その一つは、私がこのページでも紹介した障害児を普通学校へ・全国連絡会編の『障害者権利条約――わかりやすい全訳でフル活用!!』である)。

■ 完全な2部構成になっている本書
 第一部が嶺井雅也さんによる「インクルーシヴ教育を求めて」である。第二部としてシャロン・ラストマイアーさんになる原文の日本語訳があるインクルーシヴ教育の具体的事例である「カースティとインクルージョン」がある。

 私が見た限り、第一部と第二部と個々に目次がついている。全体の目次は見当たらない。2つの本が合わさった感じになっているつくりである。

 嶺井さんの文章は「サラマンカ宣言」(1994年)と2006年の国連での権利条約制定に始まる2007年に日本政府が署名した動きを丹念に追っている。嶺井さんが恐れているノーマライゼーション理念と同様の「換骨奪胎」がすでに始まっていることを示している。

 そこにあるのは、分離・別学体制を前提にする「インクルーシヴ教育」という奇妙なものである。嶺井さんが感じとっていらっしゃる危険性は、現実に姿をあらわしている。

 インクルーシヴ教育が今の社会では抵抗を受けやすく、さらに変形されやすい。第二部に置かれているシャロン・ラストマイアーさんの「カースティとインクルージョン」でも見られる。しかも、本人たちは社会生活を思いきり楽しんでいる様子がはっきり見える。

■ 原点に戻って考える
 嶺井さんは、1994年にユネスコがサラマンカ宣言を採択した時点に戻って、原則をもういちど確認されている。スペインのサラマンカという地理も含めてである。当時は社会的排除や社会的包摂はもちろん、インクルージョンという言葉自体も日本にはまだ紹介されていない時代であった。この宣言でしきりに使われている「インクルーシヴ教育」も、日本語への訳語から議論になったという。

 と同時に、国連の障害者権利条約の制定過程も作業部会の草案から取り上げられている。国連での議論のなかで、分離型の特別教育自体が徹底的に批判されていることがわかる。

 こうした過程を辿ると、日本政府の、とりわけ外務省が仮訳したという訳語についても、問題があることが明確になる。訳語に苦労した嶺井さんだから指摘できるのであろう(なお、先に本を紹介した障害児を普通学校へ・全国連絡会が編集している『障害児を普通学校へ』でも機関誌で、日本語訳の問題性についても指摘していたと思う)。

■ 教育面から国連障害者の権利条約の重要性を説いている
 これまでにも、障害の定義を巡ってなど、社会的権利については多くの指摘があった。本書では、教育についても国連の障害者権利条約について詳細が明かにされている。しかも、原則にたち戻って、共に学び共に生きる関係が明らかにされている。

 まさに副題にあるとおり「サラマンカ宣言」から「障害者権利条約」に向う歩みを、述べている。インクルージョンという社会政策も、教育から大きな動きがあったことも分かる。

 障害者たちが動くことによって、日本社会も大きく変わるだろう。インクルージョン社会に変えていきたい。障害者たちが試みるとともに、私たち、その他の人々も力を合わせるときだろう。本書は体裁は小さく重さも軽いが、ぎっしり詰まった内容に圧倒されないように、エネルギーを蓄えたときに読む本だろう。

嶺井 雅也/シャロン・ラストマイアー 著『インクルーシヴ教育に向って――「サラマンカ宣言」から「障害者権利条約」へ――』
2008年、八月書館、110ページ、ISBN978―4―938140―58―8。


障害者が旅企画グループ

2009年02月05日 00時58分44秒 | 障害者の自立
 県西部地区の18~63歳の障害者15人が、障害者や体の不自由な高齢者向けの旅を企画するグループ「リップル旅行企画」を発足させた。第1弾として、4月に島根県雲南市への花見ツアーを計画。代表の米子市錦海町、世良井充さん(34)は「夢は、地域の人と一緒に楽しむ旅の実現。将来は法人化し、仲間たちの自立にもつなげたい」と張り切っている。

 ツアー商品はたくさんあるが、障害者は移動や食事の不安から参加をためらいがちだ。

 「もっと気軽に旅行に出かけたい」。世良井さんは、昨年発足した自助グループ「りっぷるの会」の仲間らと語らううち、昨年秋に自分たちで旅を企画することを思い立ち、1月末にグループを結成。名称には、社会に支援の輪が広がるようにと、英語で「波紋」を意味する自助グループの名をそのまま生かした。

 支援団体や福祉施設などを通じ、障害者や高齢者から行きたい場所などを聞き取って旅を企画。協力を申し出た日本交通旅行社米子営業所に提案し、同営業所が商品化する。リップルはチラシ作成やPRも担い、参加人数に応じて企画料を受け取る。

 初回は4月11日の日帰り旅行。米子市を朝に出発し、木次川土手で花見をした後、同県出雲市の温泉で昼食と入浴を楽しみ、近くのワイナリーで買い物をして帰る。

 着替えに時間がかかることを見越し、温泉は2時間貸し切りに。食べ物をのみ込みにくい人用に、材料を細かく刻んだ食事も用意してもらうという。こうした配慮を旅行会社側に伝えたり、介助ボランティアを確保したりすることも、メンバーの大切な仕事だ。

 相談役で米子市手をつなぐ育成会の植村ゆかりさん(58)は「障害者が観光地にどんどん出かければ、段差の解消など誰もがともに暮らせる社会づくりも進むはず。息の長い活動となるよう支えてほしい」と話している。問い合わせは、NPO法人・地域活動支援センターおおぞら(米子市法勝寺町)内のリップル旅行企画(0859・23・0825)へ。


中・高生が障害者を“体験”

2009年02月05日 00時57分03秒 | 障害者の自立
 区内・岩井町にある横浜清風高等学校で昨年12月、生徒たちが主体となった「障害者体験教室」が行われた。これは地元エリアで生活するにあたり“誰が、何で困っているのか?”を察知して周囲に理解と協力を求めると共に、自分達が実体験を通して“障害とは何か?バリアフリーとは”等を考えようというもの。

 当日は、生徒達で組織された「ほどがやボランティアを広める会」のメンバー達が近隣の岩井原中学校の生徒を引率する形で一緒に交流を深めながら『車いす体験』(写真)や『視覚障害者体験』などを実践。

 車いす体験の中心メンバーを務めた高校生は「(中学生に)教えるのではなく、お互いに『障害』に対して理解し合い、学びあう事を目的として“楽しめる内容”を取り入れました。皆さんが楽しそうに福祉体験をしていた時の顔や、帰るときに笑顔で手を振ってくれたのを今でも覚えています。自分にとっても、すごく良い経験になりました」とその意義を説明していた。

 元々、建学時から仏教精神に基づき福祉教育に力を入れてきた同校では「今回の岩井原中学の生徒さん達との活動で育まれた小さな“福祉の芽”を、岩井町を中心に少しずつでも広げることが出来れば」と話し、今度も地域ニーズに適した福祉活動を展開する方針を打ち出している。

3月には活動報告会

 こうした高校生などによる活動は保土ケ谷区の地域福祉保健計画『ほっとなまちづくり』事業の一つである“学生プロジェクト”に則って実施されたもの。区では近年、地域福祉の担い手となる次世代ボランティア育成に力を入れており、今年度はこの清風高校を含む4つの学校・団体からの申請を受け入れ助成を行ってきた。こうした学生の福祉活動を応援する推進事業については、来年度以降も継続して行われる事が決まっており、3月14日(土)には他団体の活動報告なども含めた「ほっとなまちづくり発表会」が区役所を会場に開催される予定になっている。

介助犬同伴拒んだ兵庫県、理解深めよ=生野由佳

2009年02月05日 00時54分57秒 | 障害者の自立
 昨年11月、兵庫県の職員採用試験に介助犬同伴で臨もうとした女性(26)の申し出を県の人事委員会が拒否し、女性がやむなく犬を家族に預けて受験する、という出来事があった。公共施設への補助犬(盲導犬、介助犬、聴導犬)同伴受け入れは身体障害者補助犬法で義務付けられているが、取材に県人事委の担当者は「犬嫌いやアレルギーの人がいるかもしれない」などと、法の精神を無視した釈明を繰り返した。兵庫県では、介助犬普及に尽力した「シンシア」(06年3月永眠)が活躍していた経緯もあり、理解が進んだ県だと思いこんでいた私は怒り、あきれてしまったが、同時に、介助犬はまだまだ社会的に認知されていない、という現実も痛感した。

 介助犬は盲導犬、聴導犬とともに「補助犬」と呼ばれる。身体障害者の代わりに物を拾うなどの介助動作をし、用がなければ静かに待つよう訓練されている。日本では90年代に入って民間団体が育成を始めた。だが当初は、やはり「犬嫌いの客がいるとトラブルになる」とする店などから拒否されることが多く、介助犬使用者が個別に交渉したうえで、OKが出た店だけを利用するようなありさまだった。

 使用者らは▽介助犬は人前でおとなしくできるよう訓練され、予防接種など衛生にも気を使っていること▽介助犬は義手や義足と一緒で、いつも身近にいなければ用をなさないこと--などを熱心に訴え続けた。熱意は実り、02年、身体障害者補助犬法が成立した。不特定多数の人たちが出入りする公共施設などで、補助犬の同伴受け入れが義務付けられた。

 毎日新聞は98年から、介助犬の法的認知を求めるキャンペーンを続けている。兵庫県宝塚市に住むコンピュータープログラマー、木村佳友さん(48)と介助犬シンシアの活動を、阪神支局発で報じたのがきっかけだった。

 木村さんは27歳の時、バイク事故で車椅子生活になった。96年、ペットだったシンシアが訓練を受け、介助犬になった。物を落としたときは拾ってくれ、車椅子から転んでしまったときは、助けを呼ぶための電話の子機を口にくわえて運んできてくれた。現在、2代目の介助犬エルモと暮らす木村さんは「介助の役割はもちろんだが、いつもそばにいてくれる。いざというときには頼れるという安心感が心強い」と話す。

 補助犬法は07年11月、改正された。障害者の雇用義務がある従業員56人以上の職場での補助犬受け入れが義務付けられたのだ。法制度はまた一歩、前進したといえる。だが、同伴拒否は相次いでいる。使用者団体の調査によると、02年の法制定後も6割以上の人たちが同伴拒否を経験しているという。ペットとは違い、訓練された介助犬を身近に感じてもらうのは、なかなか難しいのも現実だ。

 実は、こうした状況を変えるよう期待されているのが行政当局だ。改正補助犬法は各都道府県に補助犬に関する相談窓口を設けるよう定めており、この窓口が補助犬使用者からの同伴拒否に関するSOSや、マナーの悪い補助犬への苦情などを調整するとともに、補助犬を社会に広める「広報役」を、期待されているのだ。もちろん、兵庫県にもその窓口はある。

 だが、今回の同伴拒否に関し、窓口の障害者支援課は、私が取材するまで何も知らなかった。また人事委も、同課に法令を確かめたりはしていなかった。典型的な縦割りの、お役所仕事。障害者支援課は「庁舎内で法律を徹底できていなかった」という。後日、県側が一連の対応を謝罪し、介助犬の理解を広げる努力を約束したのが、わずかな救いといえた。

 約2年半前、交通事故で車椅子生活になり、介助犬と暮らすことで社会進出を希望している女性を取材した経験を思い出す。女性は運び込まれた病院で長い髪を切られ、動かなくなった体を見られたくなくて、友人の面会さえ断ったことや、それでも「社会から逃げ出したくない」と介助犬とともに外に出ることを決心したことなどを涙ながらに話してくれた。そして、介助犬と暮らす今、彼女は運転免許を取得し、自由に外出している。車椅子に乗り、低くなった目線に寂しさを感じたとき、介助犬に向ける周囲の優しい視線に励まされているという。

 障害を背負った人が、再び歩き出そうとする。その傍らに寄り添う介助犬が一頭でも増え、多くの人たちに理解が得られるよう、これからも応援したいと思う。

性同一性障害者:事故被害で訴訟 「男性」認定され賠償額

2009年02月05日 00時52分17秒 | 障害者の自立
 戸籍上は女性だが、男性として生活する千葉県内の30代の性同一性障害者が、交通事故の相手に約6400万円の損害賠償を求めた訴訟で、岡山地裁倉敷支部(安西二郎裁判官)が、男性の平均賃金を基準に逸失利益を算定し、約2550万円の支払いを命じていたことが同支部などへの取材で分かった。

 昨年10月の判決(確定)によると、原告は03年8月、岡山県倉敷市の国道を自転車で横断中、乗用車にはねられ、頭を強く打って高次脳機能障害の後遺症が残った。原告側は、男性ホルモンの投与や女性名を改名したことなどを挙げて、男性労働者としての賠償を主張。安西裁判官は原告を「生物学的には女性だが、心理的には男性」として性同一性障害を認定し、「男性の平均賃金を採用すべきだ」と結論付けた。

 性同一性障害学会理事長を務める九州国際大の大島俊之教授(民法)は「戸籍を唯一の基準にしない柔軟な判断で、当事者の生活実態にも合っており評価できる」と話している。大島教授によると、同趣旨の判決は東京地裁で99年、女性として生活していた戸籍上の男性が、顔に傷を負わせた相手に賠償を求めた訴訟で、同地裁は逸失利益を男性より高額な女性として算出している。