「聖書との対話」浜崎英一ブログ

聖書はもはや現代人には関係のないものなのか。わたしは今も、聖書との対話から再発見することことがあり、感動している。

神のいのち(10)

2017年07月09日 | 聖書の真理発見
「問題をハッキリさせると」

今日、主イエスを信じている人たちでも、救われた後、何かをしなければという意識や思いが強くて、
この「新しいいのち」のことを忘れていることが少なくありません。
わたし自身もそうでした。
主イエスを信じる人には、新しいいのちが与えられます。
いのちはみんな同じではないことを、前のところで見てきました。

自分はやるべきことがまだまだ出来ていない、という意識がいつも心のどこかにあって、
古き人によってただ頑張って、何かをしなければというような思いです。
信仰によって、与えられている「新しいいのち」は無視されたままです。
いのちというのは目に見えたり、実感しにくいために、忘れられたままです。

これはキリストを信じる人たちの問題です。
そうです。問題なのです。
問題がハッキリしていなければ、いくら答えばかりを聞かされても、頭の上を通り過ぎてしまいます。
長年繰り返されている問題が何かが見えてきたでしょうか。

問題が何かが見えてきた人に、次のみ言葉は明確な答えとなります。
ローマ6:10-11
なぜなら、キリストが死んだのは、ただ一度罪に対して死んだのであり、
キリストが生きるのは、神に生きるのだからである。
このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、
キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。(口語訳)

自分の根本的な問題は何かが主の啓示によって見えてきた人に対して、
ここにハッキリ「認むべきである」と言われています。
何を認めるのでしょうか。
自分は罪に対して死んでいるということを認めなければなりません。
新しいいのちに生きたいと願う人にとって、このみ言葉の啓示は決定的なものとなります。
これは福音です。
ここに人間の根本的な問題の答えがあります。
そうです。十字架です。
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