LIFE UNDER GOD'S CALLING「召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。」 エペソ4:1

神様が下さっている「召し」についてフォーカスしたブログです。
〜妻、母親、そして実を結ぶクリスチャンとして〜

ハンナ愛実香ちゃん一歳

2012年05月25日 | 喜びの子育て

えみかが一歳を迎えました〜! 彼女とのこの一年間は、祝福と感謝でいっぱいでした。

3人目は、気楽に子育てできたので(そうでないとやってられないし:)ーいわゆる手抜きです^&^、その分、心にゆとりもあり、楽しかったんだと思います。そしてもちろん女の子という事もあり、また違った楽しみもたくさんありました。

霊的には試練多き一年だったのだけど、彼女の存在、そして主に授かった「家族」の尊さに本当に癒されました。

5分間の記念のビデオをつくりました。興味があったらみてください〜。

http://youtu.be/AaUZne2SNo4 

トドラーへ突入ですが、神様に感謝しつつ、これからもママ業をさせて頂こうと思います。

えみかと二人で、土曜日はシアトルまで5時間半、来週は日本まで11時間半のフライトです。飛行機に関してはずっとナーバスだけど、良い子にしててくれることを願って、、、、

次回のブログは、ネット環境があれば、日本からこんにちは!です。

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母の日と献児式

2012年05月21日 | 教会のこと

今年の母の日も、例年とは違った意味でスペシャルでした。昨年あたらしく始めた教会にて、同じ想いを持ってこのグループをスタートした特別な家族と一緒に献児式を執り行いました。

2010年の秋、私たち両家族、第3子を授かり、上の二人と共に、またまた同じ歳の子供ということで、本当にエキサイティングでした。ところがお友達のあかちゃんは、20週で生まれて来てしまい生存できなかったのです。この出来事は、ご本人達にとっては本当につらい体験で、また私たち家族にとってもいたたまれない日々でした。共に妊娠していたという事実、将来の様々な希望が取り去られた事、お互いの関係がどうなってしまうのかという不安、、、、

けれどもそんな時でも、私たちは皆、主をほめたたえ、偉大なご計画をお持ちの主に期待して祈り続けてきました。この試練を神様は一人一人のために用いて下さり、信仰の成長のときと変えられました。この間は、一人一人が通らなければいけなかった試練があったのです。

2011年5月、私は長女を無事出産しました。
 
その夏、新しい教会を、2家族で始める門が開かれ、9月11日に第一回の礼拝の時を持ちました。
(あの9•11からちょうど10年後、、、主の御業が広がる新たな希望と共に、はじまりました:)
 
同じ頃、このご家族は新しい命を授かり、無事に2012年の4月、待望の女の子(またまたうちと一緒!)を授かり、
先週、献児式を、共にとりもったわけです。
 
私たち二家族、そしてこの新しいコミュニティーへの神様の導きとご計画に、感謝と希望で満ちています。
母の日だときづかずに計画が進んでいましたが、蓋をあけてみると、さらなる祝福で満ちていました。
 
不可能だと思っていた、おばあちゃんたちの出席、母として親として感謝を巡らす機会、また子供礼拝の聖書箇所も、
ぴったりに、サムエル記一章のハンナの記事だったんです!!! 二家族一緒に、というのも本当に意味深いものでした。
 
ただただ主を讃美します!
 
 息子からもらったカードと手作りのクラフト ^&^
 
 
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主に望まれている御霊の一致-まとめ

2012年05月14日 | 弟子訓練一般

つづき。


まとめ

このように、御霊の一致について理解し、実践していくことは、クリスチャン同士の交わり、奉仕、教会形成において必要不可欠なことなのです。パウロはこのようにも言っています。

「もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせて、志を一つにしてください。」(ピリピ2:1−2)

続いていく聖句には、何事も自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって互いに人を自分よりもすぐれた者と思うように、相手のことを顧みるキリストのうちにある心構えの大切さが読み取れます。イエスキリストの十字架による贖いに立ち返り続け、自己中心の思いがあるかどうか探り、悔い改めることも大切です。へりくだると罪の告白に導かれます。人を自分よりもまさっていると思える心を与えて下さいと祈ったり、人の良き所が見えるように助けて頂く様に祈ったり、など具体的に、おりにかなった助けを与えて下さる主に祈り求めていきましょう。

愛されている子どもらしく、神にならう者となっていくにあたって「御霊の一致」が求められているのです。キリストが示されたように愛するよう召されている私達は、熱心に御霊の一致を求め、保ち、主に最善をもってお仕えしていきましょう。

 

1はこちら。   2はこちら。  3はこちら。

 

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主に望まれている御霊の一致3

2012年05月13日 | 弟子訓練一般

つづき。


3:どのように御霊の一致が可能となるのか

御霊の一致を持つことは可能です。その理由として二つあげられます。まず、主なる神ご自身が御霊を送られたのは、私達が真理に目を開かれ、御霊によって一致するためでした。御霊による一致が可能なのは、主ご自身による働きがあるからこそです

次に、私たちがその御霊の働きによって生きることを選択することによって、違った人格、背景、趣味や考えの神の子達とも御霊による一致が可能となります。上にあげた、主による働きがなされるために、私たちもへりくだり、御霊が内で働かれやすい状態にいる事が大切です。

ローマ書6−8章を見てもわかるように、私たちの肉との戦いは続いているものの、いのちの御霊の原理によって、罪と死の原理から解放されているので、肉に従って歩まず、御霊に従って歩むことができるのです。御霊を与えて下さり、働かせて下さるのは神ですが、私たちはその御霊によって生きることを選択し、御霊によって導かれていくべきです。

御霊の一致を破壊する自己中心、虚栄、プライド、卑下、不一致、不和、批判などは、罪ゆえに自然とおこってくる現象でしょう。罪ある者同士が一致を保つというのは困難な事実であることを受け止めることも大切です。さきほどの、召されたものとしてふさわしく歩みなさいとの後に続く言葉に、何がふさわしい歩みなのかが書かれています。「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」(2,3節)

御霊の一致を求め、保っていくことは、神様から願われていることであり、またご命令なのです。しかも「熱心に」保っていく努力が必要とされるのです。そこには、神の愛を受けた私たちが、神の愛をもって相手を受け入れ、尊重し、一致を求めていく姿勢が求められています。また、「生み出しなさい」「築き上げなさい」などではなく「保ちなさい」とあるからには、救われた者達の中で御霊の一致とはすでに与えられて存在するものであり、一致を邪魔するものを取り除き、「熱心に保っていく」姿勢が求められています。

また、「一致を熱心に保ちなさい」とあるのは、意図的な熱心さがなければ簡単に成し遂げられることではない場合が多いからかもしれません。だからこそ、先ほどあげたエペソ4:2,3節で「平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」の前に「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、」という愛が根底にある謙遜さを持ち、肉の思いから解放され砕かれていくべきなのです。

神様は一人一人を多種多様に創造され、その違いゆえに、お互いへの愛の実践を学び、またお互いの違いから学び合える豊かさをもたらして下さいました。主と自分の関係において、自分の「部分」を探り、受け入れ、キリストの体の中で機能していく姿勢を大切にしていくべきです。

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主に望まれている御霊の一致2

2012年05月09日 | 弟子訓練一般

2:なぜ御霊による一致が大切か

一つ目の理由として、御霊の一致は主に望まれていることだからということがあげられます。主に望まれているならば、私達も前向きにそれを追求していくべきです。

救われて神の招きに応答した者は、神に望まれている姿に変えられていこうとする姿勢、ふさわしくあろうとする思いが大切です。「召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。」(エペソ4:1)招きを受け入れる事が最終地点でなく、永遠の観点を持って「キリストにあずかる者」(へブル3:14)となるために、どのような歩みをするべきか神の御心を追及し続けることが大切です。神の招きにふさわしく歩もうと願う献身の思いと決断を持つとき、御霊の一致は、御霊ご自身によって導かれていくのです。

次に、その大切さとして、周りの人が私たちをキリストの弟子と認めるため、と周りの人々へ主の栄光を現す生き方においても愛にもとづいた御霊の一致が求められています。この世における人間的な違いや感情による対処を超えて、神の子たちこそが持つことのできる信仰による御霊の一致は、力強い証となっていくのです。

「もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」ヨハネ13:35

さらに、御霊の一致が大切な理由として、様々な違いが豊かに生かされ、みなの益となっていくため、ということがあげられます。主にお仕えする際、賜物についての理解と扱いが大切になってきますが、みなの益となるために、おのおのに御霊の現われが与えられている(Iコリント12:7)という、違いには目的があることを理解するべきです。

この前の聖句では、御霊の賜物には様々な種類があるが、御霊は同じ御霊であり、また様々な奉仕や働きもあるが、すべての人の中ですべての働きをなさる同じ神であることが述べられています(4−6節)。同じ御霊から生み出された、賜物を含め「違い」は、みなの益となるため(7節)、各部分がいたわりあうため(22−25節)、共に苦しみ、共に喜ぶために(26節)あるもので、それらの違いを通して豊かさが生み出されていくのです。キリストの体としてみなの益となっていくために、違いを尊び一致を求めるのです。

「しかし、私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました。。。。。それは聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全に大人になって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。。。キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」(エペソ4:7−16)

ここで比重を重く注目する点は「違い」ではなく、神の子それぞれに与えられている「同じ御霊」であるべきです。愛と配慮をもって違いや多様性に向き合うとき、それは互いの益となるために生かし合えるべきものであると同時に、主キリストによってもたらされている同じ御霊に焦点を注ぐ時、一致して、主のために生き、お仕えしていくことを、主ご自身が望まれていることでしょう。一致してクリスチャンたちが共に主に仕えるとき、捧げたものがさらに大きな力となって生み出されていくのです。


3へ続く。

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主に望まれている御霊の一致1

2012年05月05日 | 弟子訓練一般

主に望まれている御霊の一致

これからシリーズでアップしていきます。

 

1:御霊による一致とは

イエス・キリストによる救いを受け、御霊を注がれた者たちは、キリストを信じるその信仰(ローマ3:23,24、使徒10:34−43、ローマ10:9−10等)により「一つの御霊を飲む者とされた」のです。

「私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も、自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。」(Iコリント12:13)

その御霊とは、何種類もあったり、人によって違った形のものを持っているわけではなく、唯一のものしか存在しないのです。

「からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。主は一つ、信仰は一つ、パブテスマは一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。」エペソ4:4

その同じ御霊を持っている救われた者は、同じキリストの心、同じキリストにある信仰、同じ神を見上げて生き、お仕えしていくことが主ご自身に望まれていることであり(2:なぜ御霊による一致が大切か、を参照)、また人種、文化、信仰の背景、主との関係のあり方が個々それぞれであっても、一致を持つ事が可能なことなのです(3:どのように御霊の一致が可能となるのか、を参照)。

御霊による一致とは、御霊が与えられている者たちにもたらされる真理における歩み方であり(Iヨハネ6:13,14)、また御霊ご自身の働きによって可能となるものです。個人的な好みや意見、外面的なこと、また同じ行いをするという同一化ではなく、個々の状況は違っていても御国のために生きる大きな意味でのビジョン(箴言29:18)を共有することによって内側から生み出される霊的一致です。

つづく、、、

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みこころなら、、、

2012年04月29日 | 神様からの語りかけ

この一ヶ月、あまりにもいろんな御言葉が語られてて、まとめようがなく、ブログもすっかりご無沙汰に、、、他で書き留めている事を、またブログにも再利用していくつもり、、、:)

日本行きの準備のため、いろんな連絡や調べもの、楽しい旅の計画をしているところで、この言葉は痛い。。。

 
ヤコブ4:13−15
あなたがたは、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それから消えてしまう霧にすぎません。むしろ、あなたがたはこう言うべきです。『主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、またあのことをしよう。』
 
2年ぶりの帰国だし、娘にまだ親は会っていないし、上の子達もかなり変化したので、家族との時間も貴重。おともだちとの再会や教会訪問なども楽しみにしている。けれども、自分の思いにすがりつくのではなく、この御言葉をもって準備していきたいなと思わされる。
 
基本的に、御国を思って生きている。いつこの命が絶たれてもいいと思っているし、後悔もない。
残されることになる子供達と主人には迷惑がかかるだろうけれど。。。
 
先日、子供達の将来のために、主人と一緒に遺書も仕上げて来た所だ。日本ではどうかわからないけど、アメリカでは、遺書がなければ、政府に、自分たちの所持品や親権などもコントロールされることがあるらしいので、きちんと弁護士とあって遺書をもっておくのは大切らしい。遺書ときくと、お金持ちの人が財産をわけるのに必要なものというイメージがあったが、家族を守るために多くの普通の人が持っているのでびっくりした。死に際のこと、死後のためのいろんな決断についても話した所だったので、余計にこの箇所にピピっときたのかもしれない:笑
 
みこころなら、いろんな楽しい計画が実行されますように。
そしてみこころの中で生かされているなら、みこころに沿った歩みをしていきたい。
主によって生かされない日は一日も存在しないので、毎日の小さな計画すべてを神様にお捧げして歩んで行きたい。

 

 

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イースタークロワッサン

2012年04月13日 | 教会のこと

新しい教会で初のイースター★

子供プログラムの時間に、「イースタークロワッサン」のデモンストレーションをして、よみがえりのお話をしました。

前日に練習したけど、案外うまくいったのでよかった!

1:マシュマロをイエス様の体にみたてます。体にオイル(バター)をぬって埋葬の準備。

2:香料(シナモン)もつけます。

3:布(クロワッサン)で体をまきます。

4:お墓(オーブン)に入れます。

イエス様はここにはおられません!マシュマロがとけてます!

新しい方もこられて、20名の集まりでした。感謝!

 

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愛され言葉を受け入れる

2012年04月08日 | 夫婦は人生のパートナー

今日の礼拝で牧師がちょっと余談をしていた。奥さんにこの30年間、きれいだよ、愛しているよ、と言い続けて来たそう。それでも彼女は聞きあきないし、彼もほめることを怠らない(と本人は言ってなかったが)。

神様も、私たちのことを毎日毎日、愛しているよ、気にしているよ、あなたの生活の必要を満たすよ、試練も共に歩むよ、安らぎを与えるよ、私のもとにきて休みなさい、と語りかけて下さっている。

そして私たちは、その語りかけが毎日必要で、毎日真剣に受けとめて愛され上手になるべきなのだ。

昨日からなぜか主人がべた褒めしてくる。。。日本語だとはずかしくなるのでここには書かないけど:笑

でもいつも、すなおにありがとうと言えない私。心のどこかで、はいはい、わかってるわ、無理して言わなくても良いのに、本心なはずがないわ、一体何が目当て!? とまでも思ってしまう。。。りっぱな夫を与えられて、自分の罪深さがよく浮き彫りにされ、神様にへり下される。何度でも、本心からいってることだ、とあきらめずに言ってくれる。なので私も、その言葉を受け入れて、普通にありがとうっていうわね、と主人に伝えた。

今でも忘れられない、高校時代のクラブの時間。テニスをばりばりやっていた私。コーチに一度おこられた内容が、「よいショットをしたんだから、うれしい表情をしなさい!」がんばったね、上手だね、と言われても、なぜかそれをうまく受け入れられず、いやまだまだ、、、という気持ちがいつもあった。考えてみれば、そういう態度は、ずっと続いている。

そう!私は愛され言葉、褒め言葉をうまく受け入れられない自信のない人間だ。

神様が愛してくれている事実をもっと大胆に受け取っていきたいなと思わされた一日だった。クリスチャンになったばかりの時の方が、もっと簡単に愛を受け入れて、喜びに満ちていたな。今は、成長もさせられたけど、余計なものがたくさん入り込んでいる気がする。「幼子のような信仰」に立ち返らねば、、、

神様の愛にも、主人の愛にも感謝。

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求めている安心

2012年03月26日 | 神様からの語りかけ
 
クリスチャンは、神様が必要を満たして下さることを知っているので、平安があるし明日のことは心配しなくてもいい。空の鳥も野のゆりも育てられるのだから(マタイ6章)、神の子である私たちはどれほどまで神様に愛され、生かされ、必要が満たされていくことだろう。
 
「あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義をまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」6:33
 
これはシンプルな真理だが、意外と実践するのが難しかったりするのだ。
 
神様が必要を満たして下さると信じ祈る。けれども、何か状況があやうくなると、いとも簡単に心配に陥り、私たちはまず主に求めたり主権を認めたりする前に、すぐに自分の力でなんとかしようとしてしまう。
 
私たちは「神様が必要を満たして下さる」という真理を、自分の安心感のなかにあてはめて考えようとしてしまうことが多々ある。自分が思う安全さ、自分が必要だと思っているものは、神様が本来与えようと思っておられるものとずれていることがよくある。「自分の希望のために養い主である神様を利用している」人間的な&日本人的な「困ったときの神頼み」思考は、聖書的な「神の国とその義をまず第一に求め、すべての必要は神様に自然と満たされていく」思考に修正しなければいけない。
 
私たちが持っていて安心感を得るもの、人生が安全だと思えるもの(例えば経済的な安定、社会的地位、所属すること、着飾ることなどなど)は、本来神様が意図されているセキュリティーとは違うものだ。だから、それらのものを求めて祈るとき、ずれた視点ゆえ、与えられなかったりする。
 
神様、私たち一人一人が、あなたを求める思いで満たされ、あなたからの注ぎかけで平安にひたり、世の必要に目がとらわれることのないように守って下さい。今日一日も、あなたの栄光があらされる生き方ができますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。
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